ほろ苦い辛味が染みる「シシトウ(獅子唐辛子)」の串焼き

おいらは「シシトウ(獅子唐辛子)」が好物である。串焼きやでモツ焼きを食するときなどは、ほとんどこの「シシトウ」の串焼きを注文する。ネギ、椎茸とともに、シシトウの焼き物は箸休めとしてはもってこいなのだ。

マイルドで程よい辛味が持ち味である。これに形がよく似た「青唐辛子」というものを以前食したが、強烈に辛くてとても食べきれるものではなかった。その点で「シシトウ」は安心して口にできるし、野菜としてのインパクトが充分である。串焼きにはもってこいなのである。逆に云えば串焼き以外に他の料理法には向かない食材なのかもしれない。

「ミノ(第1胃)」と「ギアラ(第4胃)」の食べ比べ

牛という哺乳類は4つの胃袋を持っている。「ミノ(第1胃)」、「ハチノス(第2胃)」、「センマイ(第3胃)」、「ギアラ(第4胃)」の4つである。草を主食とする草食動物でありながら、このような独立した胃袋を持つということは即ち、人知が及ばぬ自然の叡智が働いている一つの実例であると考えられる。生命を維持する機能の細分化については、人間が他の生物をおいて断トツだ等という説は、説得力を持たない俗説の一つとして取り扱われるべきである。

それはさておき、4つの胃袋の中では「ハチノス(第2胃)」、「センマイ(第3胃)」の2つがモツ焼き屋の人気メニューとなっているのは、それらの独特の見た目、派手なルッキングのパフォーマンスによっていると常々考えていたところだ。それに引き換え「ミノ(第1胃)」、「ハチノス(第2胃)」の2つは、胃袋としての重要な機能を担っているのであり、ある種の地味なこの2つの胃袋が有する機能とともにその味わいもまた特筆されるのだ。

ざっくりと記せば、「ミノ(第1胃)」はピチピチの歯応え抜群であり、「ギアラ(第4胃)」の方は見た目は悪いが奥深い味わいが楽しめる。新旧世代のある種の特徴が、この食材についても云えるのかも知れない。

具沢山過ぎる今時の「すいとん」考

戦時中および戦後の一時期に「すいとん」とは、質素なと云うよりお粗末至極な食べ物の代表的存在であったが、今時の居酒屋にて提供される「すいとん」はと云えば、とても具沢山であり、お粗末、質素どころか、味わい深き逸品のメニューとなっていたのだった。

かつてのメリケン粉こと小麦粉を練って団子状にして、熱々の鍋に仕入れて行くという基本は一緒なれども、添えられる具材が、鶏肉、蒲鉾、ほうれん草、蒟蒻、葱、等々と具沢山であり、まるで長崎チャンポンか中華の広東麺か五目ラーメンくらいに豊富なのであって、一目見てこれは戦時中、戦後の「すいとん」ではないなという印象に苛まれてしまっていた。おいらがたまに家でつくるすいとん以上に具沢山であり、そのギャップはと云えば、ある種のカルチャーショック的なものであった。

現代日本の郷土料理の中で、岩手の「ひっつみ」というメニューが、すいとんの発展系とも云えようが、それ以外にも、埼玉本庄界隈の「つみっこ」等々、すいとんをベースにしたメニューは全国に拡がって定着している。

ちなみに今回食した具沢山の「すいとん」は、東京の郷土食がベースとなっているそうだ。地元東京都内の居酒屋店主の試行錯誤の表れとも云うべき、ホットで満足至極のメニューではあった。

バカ貝とも呼ばれる「青柳」の刺身に舌鼓

中身は綺麗なオレンジ色の色味で魅了させてくれる、別名「バカ貝」との異名をとるのが「青柳(あおやぎ)」である。食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。

二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせているかのごとくである。

其の身の視覚的印象は、べろっとだらしないように舌を出したかの如くでもあり、そんな風体から「バカ貝」との嬉しからざる命名をされたと云う説がある。或は「馬鹿に捕れる」と云った、とても捕れて嬉しいのだと云う、本来は賛嘆すべき形容がその謂れであると云った説も根強く流布しているのだ。

どちらの説が正統であるか? といった試みには、残念ながら手立てを失っているのであるが、それにしても、「青柳(別名「バカ貝」)」のしっとりとした食感にはいつに無く舌鼓であったのである。

高級魚の仲間入りした「キス(鱚)」の南蛮漬け



白身魚の「キス(鱚)」と云えば、天ぷらかたまに塩焼きにして食べるくらいしかなかったが、このたび鱚の南蛮漬けというメニューに遭遇。早速食べてみたら、品の良い白身に酢味が程よくしみており、これは鯵や鰯の南蛮漬けよりいけるぞと云う思わぬ発見をしたのだった。滅多にお目にかからないメニューだからと、じっくり味わっていただいたという次第也。

そもそも鱚という魚、図鑑や水族館ではお目にかかるものの、それ以外の魚屋、スーパー、等々で生身のその姿になかなか出逢うことがない。寿司屋のネタケースにはたまに鱚を見つけるが、仕込まれたネタに鱚の面影を見ることは出来ない。今では釣り人か一部の漁業関係者くらいしか出逢うことのない特別な魚であり、大衆魚とは一線を画しているのだ。天ぷらで食するには鱚の旨みがなかなか伝わってこない。かといって寿司屋で食うにはその味は淡白すぎるようなのだ。南蛮漬けに注目する理由にも、それなりの道理があったと云えるだろう。

身が締って中々楽しめる「飛魚(トビウオ)」の刺身

海上を羽ばたいて飛ぶことから飛魚と呼ばれる。この飛魚の疾駆する姿は未だ生で接したことはないが、それにしてもとても神々しい。魚という生命体にプラスされた特別な能力が、何か特別な天からの摂理というべきものを感じ取らせるのだ。

刺身として食したその飛魚の身は淡白だが、とても身が引き締まっており、とても味わい深いものであった。

添え物として乗っていたのは飛魚の羽根だ。広げると立派な空を飛ぶ羽根になる。想像していた以上にでかい、巨大な神々しき羽根なり。

久々にありついたアメ横「豚坊」のロールキャベツ

上野アメ横のガード下にあり、おいらもちょくちょくと顔を出す「豚坊」で、「ロールキャベツ」に久々にありついたのだった。

毎回のようにこの「ロールキャベツ」を注文するのだが、何時もいつものごとく「売り切れです」の店員の一言が返ってくる。おいらはてっきりこのメニューは客を釣る、云わば騙しのメニューであると決め込んでいたのだったが、そんな決め込みを払拭すべく、肝心要の「ロールキャベツ」にありつくことが出来たという訳なのだった。

上野のアメヤ横丁界隈はとても馴染み深い界隈であり、しばしば散策するのであり、最近ちょくちょくと腰を降ろして一献やっているのが「豚坊」なのである。その昔は「錦」という看板を降ろしていた同店舗の軒下の想い出は数限りなく存在している。

とてもグロテスクだが味は悪くない「手羽餃子」

鶏の手羽先を用いた餃子、或は餃子に見立てた手羽先料理と云うのが「手羽餃子」と云うメニューである。

もう何年も前だったが最初にこのメニューを視て接した時の驚きは筆舌に尽くせないものがあったことを思い出す。手羽先を餃子にすると云うのは快挙ではあるが途轍もなく無謀な試みと思われ、こんなグロテスクなメニューを開発した人間の気が知れなかったというのが本音であった。

だが、本日食したその「手羽餃子」は、グロテスクさを控えめに見せて出されていたので、箸を付ける前にも「美味そう」という印象を強くしていた。しかも箸を付けて喉にくぐらせれば、逸品料理の味わいにも感じさせるものであった。

この体験はまさに「手羽餃子」を見直すきっかけとなったのである。

時々この味が恋しくなる、牛の「ネクタイ(食道)」

地元の焼肉店に立ち寄った。牛のモツが豊富なこの店は、様々な部所を味わえるので、時々訪っているお馴染みの店ではある。

例えば牛の、第1から4までの胃袋、すなわち「ミノ(第1胃)」「ハチノス(第2胃)」「千枚(第3胃)」「ギアラ(第4胃)」という4種類の胃袋などを味わうことが出来るということで、ある日にはまった。

本日食した希少部位とは、牛の食道部位である。「ネクタイ」というメニューで提供されていた。

「塩味がお勧めですよ」という店員の声にしたがって「ネクタイの塩味」を注文。脂の量は少ないと見え、炭火に乗せても炎が着火する兆しも無い。ゆっくりじっくりと焼肉の工程が味わえるのであり、じわじわと点火していく食欲ともあいまって、美味しい時間を過ごすことができたのだった。

塩味は些か強過ぎると感じたのだが、コリコリとして適度な食感が、またまた食欲をそそっていた。

稀にとは云えこんな食欲増強の時間を持つことは決してダイエットに良いわけが無いのであり、またまた反省しきりの今宵なのである。

脂が乗った冬の「〆鯖(しめさば)」も悪くない

冬のこの頃は鯖も脂が乗って美味い季節だ。然しながらなかなか鯖の刺身にありつくことは滅多に無く、鯖の旬のメニューは「〆鯖(しめさば)」と凡その相場が決まっているのだ。スーパーやコンビニの生ものコーナー等にはこの〆鯖にもお目にかかるがなかなか食べたいと思うことが無い。工場で大量生産された〆鯖の残念な味わいがずっと尾を引いているからに他ならないのである。

ところがどっこい、居酒屋のこの時期のメニューとして提供される〆鯖には、ひと手間、一仕事を通ってこそ出来た、味わいぶかきものが屡見受けられており、「〆鯖」のメニューに接するたびに注文したくなる。

このたび上野アメ横界隈で食した〆鯖もまた、〆鯖の醍醐味を味わうに足る逸品であったのだった。先ずは大切なことだが、決して塩辛くは無いということ。大量の塩で〆た〆鯖は日持ちはするだろうが決して本来の〆鯖の美味さを有してはいないのだ。コンビニ、スーパー等で販売されているものは往々にしてこのような代物が多い。

決して塩辛くは無く、酢の酸味が喉を潤してくれる。青魚でありながら鯖の紅い身の色合いがまた食欲を誘っている。この時期にこそ食べたいメニューであることは間違いない。

下仁田産葱の旨みが引き立つ「下仁田葱の天ぷら」

上州の下仁田町で生育されることから名つげられた「下仁田葱」は、別名「殿様葱」とも呼ばれ、そのでんぐりと太って丈の短な外見が特徴的だが、その個性的な外見もさることながら、独特のワイルドな旨みの味わいにおいて、多くのファンを獲得している。近頃では東京都内の料理店やスーパー、八百屋の店頭等でもよく見かける品種となっている。通常の葱に比べて食べ応えがあり、辛味も強く、鍋料理の具材には適しているので、おいらも家の鍋料理には下仁田葱を用いることが増えているところだ。熱を加えることにより、少々きつい辛味風味も一転してマイルドな甘さに変身していくさまが、これまたファンにとってはたまらないところだ。

そんなところで遭遇したメニューが「下仁田葱の天ぷら」だ。そもそも葱は天ぷらの具材としては少々役不足であり、玉葱や他の野菜に比較して、どうにも主役にはなり得なかったものだが、下仁田葱ならば堂々と主役がはれることを見せてくれていた。大きくカットされて揚げられた天ぷらをかじると、葱の繊細な香りが口に拡がっていた。滑らかな葱の触感も美味く生かされており、天つゆも要らないくらいに奥深い味わいに満足したのだった。

身体の芯から温まった「粕汁鍋」

そもそも「粕汁」というものは、甘酒として甘受してきた、云わばスイーツの一つであった。それが「粕汁る鍋」というメニューとして提供されていたのであり、しかもこの鍋がホッコリと心身を温めてくれたものであったのだから、興味は尽きないのである。

今回食したその「粕汁鍋」は、玉葱、大根、人参、キャベツ等の冬野菜に豚肉をあしらって提供されていたものだった。粕の風味の奥には味噌の香りが漂っていて、やはりこれこそが日本の鍋なのだと云うことを実感していた。

大衆寿司店にて久々の熱燗を一献

日本酒を飲むのは月に1度程度と決めている。生活習慣病対策においては残念ながらではあるが欠かせないこととなってしまった。

おいらはそもそも、日本酒、ことに熱燗を口にしたときの、先ずは湯気と日本酒特有のあまさが相俟って鼻からそそって入り来る得も云えぬ香りに感激する。ことに今日この頃のような寒気に被われている日々においては尚更である。

月に一度の掟破りの贅沢だから、つまみは何にしようかと思案したのだったが、結局は大衆寿司店の寿司と決めた。懐も寒いこの節には大衆寿司店も通い慣れた店となっている。

イタリア風きしめん料理の「きしめんタリアーナ」を食した

名古屋料理を提供する居酒屋チェーンの「世界の山ちゃん」八王子店にて、「きしめんタリアーナ」なるメニューを食した。名古屋特産の麺である「きしめん」を、イタリアン風にアレンジ味付けして提供されている。「タリアーナ」とは「イタリアーナ」の省略形かと思われるが、店内にそのような説明はなかった。

帰宅してネットで調べているのだが、「タリアーナ」と検索して出てくるのは奈良のイタリアン専門店ばかり。相当有名なイタリアンの店だと見え、アクセス方だとか様々な派生的項目がヒットしてくる。そんな名店であろう、奈良のタリアーナのパスタの味わいにはほど遠いが、名古屋きしめんを素材にアレンジして調理されたイタリア風きしめん料理も、そう悪くはない味わいだった。

イタリアンなのだろうが、大葉を散らしていて和風の味わい。考えてみれば近頃のパスタも、明太子パスタだか野沢菜パスタたかというくらいに日本食材を取り入れて日本人好みにあれんじされているのであるから、別段に「きしめんパスタ」がメニューに載っていたからと云って驚くには当たらないということなのであろう。

未だ冬なのに、一足先に春の「菜の花」の味覚を体験

本日も北日本や日本海側新潟地方等では大雪が降り積もって、冬の真っ盛りの様子なり。そんな季節においらは、春の風物詩でもある「菜の花」を一足先に味わって、春気分に浸っていたのだった。

ピリ辛醤油で控えめに味付けされていたその春の「菜の花」はと云えば、それこそまったく凍えた気配などなくとても鮮やかな春の味覚を呈していたと云えよう。

例えれば、蕾が花を凌駕するという形容が成り立つとすれば、春間近の蕾ばかりの春の「菜の花」の香り、味わいは、まさに花の其れをも凌駕すると云って良いのだろう。

剥いて楽しく頬張って嬉しい「きぬかつぎ」

冬に美味しい里芋を、皮付きのまま蒸し上げて出される居酒屋メニューである。「きぬかづき」と云うメニューを見たこともあるが、どうやらどちらかが誤謬のようなのだが、我国には2つの説が飛び交っておる状況にあり、果たしてどちらが誤謬なのかは今のところ判然としていない。

あまり大きくならない小芋を調理するのが一般的であり、指で里芋の皮をなでるだけでつるんと剥ける。これが楽しい。

そして白身を露にした里芋の身を口に頬張れば得も云えぬとろんとした味わいに酔いしれるのだ。これが食せる季節はそう長くはないのであり、今度は自宅の料理にてチャレンジしてみたいと思ったのであった。

小ぶりで身が淡白なのが天ぷらにうってつけの「キス天ぷら」を食す

スズキ科の魚のキスと云えば、もっぱら日本では天ぷらにて食されている。小ぶりな種類が多い為かは知らぬが、キスといえば天ぷら以外の料理はほとんどマイナーなものとして留まっている。

サカナ科の愛称として、おいらも「カツオ」と称されており、かつての友人達には「マグロ」「トロ」等の仲間が居たのであり、当時おいらたちに仲間入りしたいという女性に「キス」さんが居たのである。小ぶりで淡白で色白で知的であり、多分キスがしたくなるような、魅力的な女性だったと記憶している。そんな彼女の調理法に天ぷらしかないことには、些かの違和感を禁じ得ないのだ。

焼いたり煮たりしては、このキスと云う魚の持ち味が殺がれてしまうのであり、刺身にするのには少々身の押し出しが足らない。創作料理用の食材にもピンと来るものが無い。

或は冬の湖面の下に生息する「ワカサギ」に似ているかも知れないが、ワカサギが主にフライにして食されるのに対してキスは専ら天ぷら専用ではある。骨も細くして繊細なことこの上なき食材であるが故の天命であったと云うことなのか…。

野田佳彦によるどじょうバブルで、庶民生活は逼迫しているのだ

先日、都内下町南千住の居酒屋「大坪屋」に立ち寄った際に、当店の売りの看板メニューである「どじょう鍋」が提供されなかったのだった。もとより「大坪屋」といえば、おいらが度々下町行脚のときには訪れるスポットである。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2200

「どじょう鍋」を注文したおいらに鸚鵡返しに「どじょうは仕入れがないんです」と返答した女将、そのときの大きな掛け声でその場は収まったのだが、しかしながら疑問は却って益々増大していた。どじょうが売りの居酒屋にどじょうが入荷しないという異常事態である。

庶民の行きつけの居酒屋で、庶民の味こと「どじょう鍋」が、かの野田佳彦のぼんくらおたく風演説で、バブルに突入してしまい、今時流通するのは駒形あたりかあるいは料亭等の特別な場所に限定されてしまったのだ。どじょうバブルを惹起させた野田の責任は甚大である。彼はこの落とし前をどう取るつもりなのか聞いてみたい。

もとより「どじょう」には責任はないのである。おいらもどじょうが大好きである。どじょうを持ち出し、中途半端に会田みつおさんの詩を引用したいんちき野田佳彦。

野田は相田さんの詩を盗用しながらも自らの恣意的な解釈によってオリジナルを歪めていたのであり、詩人に対する尊敬の念をもかけている。一流の詩が台無しである。つまり野田は会田さんの名詩をいい加減に引用しつつ馬鹿下駄政治的メッセージにりようし、馬鹿げた政治的メッセージとして利用していたのだから、その罪は軽くない。 続きを読む

今と昔ではまるで隔世の感がある「ハムカツ」に関する一考察


居酒屋にて「ハムカツ」のメニューを食した。大衆居酒屋における定番的メニュー、すなわち「おすすめ」のボードに日々書かれて提供されるものではなく毎日日常的に看板に乗っている代物だったが、ついぞ注文することにためらいがあった。だがここは社会体験、後学のためと割り切って、注文することにしたのだった。

提供されてテーブルに乗ったのは、厚さ1cmもあろうかという分厚い代物だった。そもそもおいらが少年期に食していたハムカツとは、だいぶ風体が異なっている。こんな分厚いハムカツは、大衆料理メニューとは云い難いという印象を持ったのだった。

世に云う鍵っ子としての思春期を送ったおいらは、夕方近くになって帰って来た母親からはよく、このハムカツのおやつをもらって食べていたものであった。そのときのハムの厚さはと云えば、2〜3mm程度のものだったことを明瞭に記憶している。トンカツやメンチカツとは一ランク下の食べ物という印象だったが、間食としてのおやつには最適だったのであろう。だからハムカツはあくまで薄いハムを挙げたものでしかあり得なかったのである。

ところが昨今のハムカツと来たら、とんでもない、まるでトンカツにも匹敵するくらいの厚さである。トンカツと競ってどうするんじゃ! という突っ込みをしたくなるくらいの異様な風体。こんなハムカツは本来の正当的ハムカツじゃあないぞ! ということを主張しておきたいのである。

いつの間にやら時代の空気は「ハムカツ」に好意的てはある。トンカツにも増してカロリー高そう。しかもハムカツに特化したブログがブログ界をも席巻しつつあるという。嗚呼何たるおそれいりやの鬼子母神か。

鱈よりもワイルドな味わいがナイスな「ドンコ鍋」

これから冬も真っ盛りの季節には、美味い鍋料理を発見することも所謂一つのテーマとなっていく。その第一弾として記念しておきたいのが、「ドンコ鍋」だ。実にラッキーな偶然から地元の居酒屋にて食することとなった。

湯豆腐鍋には欠かせない「鱈(タラ)」の様な白身の淡白な味わいである。然しながら鱈の身と比較すると、ワイルドな味諏に満ちており、身はざっくりと筒切りにされており、いささか小振りだがワイルドな白身のエキスを味わいたいときには取って置きのメニューとも云うべきなる、おすすめ食材てあり、鍋料理なのである。

ドンコとはハゼの一種とされており、姿形もハゼを一回り大きくした様な格好である。だが鱈よりはかなり小振りである。何とも特徴を示し難いが、ドンコの身はとても美味だったことは間違いないのだ。