新じゃがいもの欧風肉じゃがを食したのです。

欧風の味付けが利いていた肉じゃがなのです。

「新じゃがいも」なるものが目に付き始めている昨今の季節なり。3月頃に収穫される「新じゃが」のほとんどは、九州地方で出荷されたものである。じゃがいものメッカである北海道では、今のこの季節に「新じゃが」が収穫されることはまずないのだ。関東にても同様である。九州地方でこの季節に収穫された新じゃがは、まず小ぶりである。そして水分をたっぷり含んでいて瑞々しい食感が特徴である。秋に収穫されてふっくりと太ったじゃがいものようには、保存が利かないことが、難点なのである。

さてさて本日は、そんな新じゃがを使った肉じゃが料理を食することができたので紹介しておきませう。よくある甘辛の肉じゃが料理とは一味違い、欧風の味付けをほどこしていることがポイントである。豚肉スープでありながらもコンソメスープの如く澄んだスープで煮込んであるのだが、じゃがいもを味わうにこの欧風スープは格別であった。繊細な新じゃがいもの風味を損なうことなくほくほくと味わうことができたのだから満足でありました。

もつ焼き屋のガツ刺しはときどき凄く旨いと感じるのです。

もつ焼き屋に行って食べるのはもつ焼きのみにしかず。旨いもつ焼きを出す店は、もつの「刺身」というものを提供するので、それが目当てに足を運ぶことも珍しくない。豚の内臓で旨いのは、ガツ刺しである。つまりは豚の胃袋のこと。豚のレバーなど出す店があったら敬遠したほうがよさそうだが、ガツの刺身というものは生では出されず、湯がいて提供される。コリコリと歯ごたえ良く、しかも脂っこくなくて珍重な趣きを感じさせる。フレンチ料理に一品あっても可笑しくない風情を有しているのである。しかもこのガツは、胃袋に良いとくる。おそらくは眉唾の流言なのだろう。しかしながら今日の大変に胃袋なりを酷使したときには、流言をも藁ともすがりたくなるのだ。嗚呼、心ぼそきときにこそ真実は宿るのである。今宵、真実の一端を垣間見たような、そんな気分であったのでした。ジャンジャンっと。

ところで某TV番組「ケンミンショー」では、群馬県民の代表的メニューなどとして、天下無双のタルタルカツ丼なるものを放映していた。おいらは群馬県出身ではあるがそのような代物はこれまで口にしたことなど一度も無い。まつたくもって群馬県民を愚弄する放映であった。

むかえ酒した今宵のメニューたち

昨晩は送別会があり、二次会で飲んだ日本酒やらその他のアルコールメニューが終日身体から離れずにやっかいであった。今宵は地元の居酒屋暖簾をくぐって一杯やって、すっきり。久々の迎え酒した気分にて候。

そんな今宵のメニューを2点ほど紹介します。

そのまま食べても珍味のかに味噌だが、蟹の甲羅にどっさり乗ったかに味噌をあぶって食するのです。

納豆の磯辺揚げてんぷら。

旬なる珍味「バクライ」(ホヤとコノワタの塩辛)を食す。

人間たるもの、なかんずく呑兵衛などと云われる人種どもは、何ごとも栄養補給の為だと考えてつまみを摂るものではない。旬な食材やら珍味やらを見かけると、ついつい御しきれずに口にしなくてはならないのが、呑兵衛どもの習い性なり。

本日はとある店にてありついた「バクライ」(ホヤとコノワタの塩辛)は、そんな条件を満たす一品であった。ホヤの刺身や塩辛は、時々は口にする機会を持つが、本日の「×コノワタ」についてはこれまで口にしたことなく、初体験であったのである。

コノワタとは、ナマコの腸(ハラワタ)を指して云う。これ自体が珍味。ナマコはナマコでコリコリとして味わい深く美味であるが、そのハラワタを想うに、口になどしたためしがなかった。ホヤの独特のエグミをまた程よく中和させて、美味なのであった。

話題の冷製おでんにがっかり

手が凍えるほど寒い夜なのに、久しぶりに出かけた某居酒屋にて冷製おでんなど頼んで食べたりしたので、今宵はちょいと調子が悪い。ちょいとした寒気や頭痛やらが襲ってきた。

その話題のおでんは、おでんの出汁でトマト、アスパラ、鶏肉、そして炒め玉ねぎなどを煮込んでいる。狙いは悪くないのだが、それにしても注文する客のことをまるで考えていない代物である。

帰宅途中のスーパーにて398円の鍋材料を暖めて、ようやくほっこりと暖をとっているような有様である。

春の訪れを告げる、ふきのとうの天麩羅を食す

行き付けの店で飲んでいたらメニューに「ふきのとうの天麩羅」とあったので、早速注文してみました。

むかしはどこでも自生していたとされるふきのとうであり、かつておいらが小金井市に住んでいた頃には、自生のふきのとうを見つけては、友人たちに天麩羅料理を振る舞っていたものである。だが近頃はとんとふきのとうの発芽する芽を見かけなくなっていた。こうして特別な食材を用いた特別な料理にありつけるのは、とても嬉しきことなり。

「甘海老磯辺揚げ」を食して思うこと

ありそうでいてなかったメニューなり。

ありそうでいてなかったメニューなり。

クリスマスイブだというのに心と体はいつになく沈んだまま、1日を過ごしてしまった。昼休み時に外を歩くと悪寒が走った。これはやばい。午後は上着を脱ぐこともなく、机で伏していたような様である。同僚の未来のIT長者は「ジャケット脱がないんですか?」と、妙な質問を投げかけたくらいである。その未来のIT長者はと云えば、1歳のベビーを囲んで一家団欒のホームパーティーを催すのだろう。「これから銀座で、クリスマスケーキを買って帰ります」とルンルンなり。

さておいらは、今宵もまた某居酒屋にて、一服ならぬ一酔を決め込んできたという訳なのでありました。注文した数品の中で、「甘海老磯辺揚げ」というメニューは、近頃になくヒットであった。甘海老を丸ごと殻付きのまま、薄い衣をまぶして揚げたものだ。甘海老の殻というのは揚げてみれば、子供の歯でも難なく噛み下せるものであり、丸ごと食べられるのである。この殻を捨てるなぞもったいないこと甚だしいのだ。そういえばかつて、寮美千子さんのご自宅に呼ばれてホームパーティーをやったとき、甘海老の刺身を食したその後で、残りの「殻」を揚げて出してもらったことなど思い出した。サクサクと香ばしいその「殻」は天然カルシウムの宝庫である。そんな料理を振る舞う寮さんのセンスに脱帽したものであった。

毎年暮れから新年にかけて、旧知の友人たちとホームパーティーを催す慣わしだが、今年は某アキン邸にて新年会が決定した。何か心浮くような料理をお見せしたいと目論んでいるところなり。今から楽しみなのである。

武蔵国高麗にて高麗鍋を食する

味噌とキムチの相性は良いのだが…。

味噌とキムチの相性は良いのだが…。

埼玉県日高市界隈は「高麗」と呼ばれる。かつて武蔵国の高麗郡として歴史に名を連ねてきた。朝鮮半島の高句麗との関係からこの名が冠せられているようだ。おいらも群馬の故郷に帰省するときなど度々ここ「高麗川」というターミナル駅を通り、ときには1時間以上の電車待ち時間を過ごすことも珍しくない。いつだったか時間待ちの間、駅舎を出てぶらぶら歩き回ったことがあったのだが、周囲には見るもの訪ねるものなど見当たらない。今をときめく鳩山由紀夫のおじいちゃんが高麗神社を参拝したら総理大臣になったという逸話の高麗神社という立派な名所はあるのだが、目的を持たないぶらり旅にとって高麗神社を目指す気になるはずもない。想えばとても面喰っていたものである。

そんな高麗の有志たちが町興しで始めたのが「高麗鍋」。この高麗発祥の鍋をPRして売り出そうというのだ。高麗に育って数十年という知人にこの話を振ったところ、「知らない。食べたことが無い」というのだから、益々興味が沸いてくる。という訳で、地元民も食したことのない町興し鍋を求めて、高麗を訪ねたのでありました。

高麗川駅に近い某居酒屋に電話予約をして出かけた。インターネット検索して調べたところ、予約が必要とあったからである。店に着くと一人分の鍋がすでにセットされており、すぐにありつくことができた。白味噌ベースの出汁にどかんと真中にキムチが乗っている。具材は人参など地元野菜と厚揚げなど、取り立てて目を引くものはない。目に見えない特長が、高麗人参を使っていることである。固形燃料に火をつけしばし待つと、静かに沸騰してきた。丁寧に鍋に箸を入れかき混ぜてみた。高麗人参を探したが見つからなかった。多分そのエキスとやらを入れているのだろう。小鉢にとって野菜を一口。味噌とキムチの相性は悪くない。良いと云って良いくらいだ。だが高麗人参を齧りたいと願っていたおいらにとっては、ちと残念であった。昔おいらの家で火鍋パーティーをやったときは、当然のこととして火鍋のスープに高麗人参を忍ばせたものである。高麗人参スープをアピールするならそれくらい当然である。高麗人参を具として齧れるくらいにふんだんに使った高麗鍋が食べたいものである。

美味い「あんきも」の季節です

あんきもをつくるには数日を要するらしい。

あんきもをつくるには数日を要するらしい。

地元のいつもの居酒屋で、美味しい「あんきも」に遭遇したので、購入したばかりの「オリンパスペン」にて撮っておきました。

冬の魚、鮟鱇をさばいたことのある人なら強烈にその、大きな肝が目に付くのですが、その肝こそ美味なる味の宝庫なのです。「あんこう鍋」にもこのあんきもが必須の素材となります。

そして今日食した「あんきも」はといえば、そのあんきもの良さを丁寧にていねいにと心を尽くして手づくりした逸品なのでした。多少脂っこいのがあんきもであるが、こんなに丁寧に調理されてあると、とてもすんなりと咽越しよく味わえるのです。これをつくるのには、蒸して干してを繰り返して数日かかるのだとか。

静岡のB級グルメを東京で堪能

黒いだし汁に付け込まれた静岡おでん。ホッピーによく合う。

黒いだし汁に付け込まれた静岡おでん。ホッピーによく合う。

静岡のB級グルメとして注目されているのが、「静岡おでん」。おでんは全国的なB級グルメアイテムであるが、どこが静岡なのかといえば、真っ黒な煮汁に付け込まれた、串に刺さった具が特徴なのである。そんな静岡グルメの出前とでもいえそうな店舗が、おいらの住む町にも出店した。

静岡おでんに欠かせない「黒はんぺん」が1本40円の安さなり。そもそも静岡おでんは静岡の子供たちのおやつとして広まったという。駄菓子屋などと同じくお駄賃で子供たちが食べていた。今でもそうなのだから「食べている」というべきか…。

おいらもたまに静岡に旅行などした折には、必ず「おでんロード」こと「青葉横丁」に足を運んであつあつの静岡おでんを頬張る。そんな旅風情も、幾つも想い出として刻まれている。だが実を云えば、東京と静岡では、やはり肝心なところで味が違うのだ。その味の違いを今日は解明できなかったが、いずれの日にか解明して、当ブログで発表してみようと思っているところなのです。

一見まがもの、食べて納得の一品

地元居酒屋で、またまた見つけた一品である。

真っ黒に化粧された、その名も「ばくだん」

真っ黒に化粧された、その名も「ばくだん」

中を開けば、ピータンが丸ごとひとつ

中を開けば、ピータンが丸ごとひとつ

 

メニューには「ばくだん」とあった。真っ黒な揚げ物という説明書きとともに。黒いピータンが、真っ黒になって出てきた。いかもこってりと甘いたれに囲まれて出てきたのである。もともとあの臭みが好きだった「ピータン」だから、このようにアレンジされたらピータンらしくはない。極めて大衆的な発想の、創作料理である。

くさやの匂いが似合う居酒屋

いまどき「くさや」を食したいと希っても、どこでも簡単に食せられる訳ではない。あのつ~んと鼻に来る、独特の腐ったような匂いは、人によっては食欲を減退させるばかりか嘔吐をもよおす異臭ともなりかねない。異臭と闘って食するに値するメニューなど、そうそう滅多に出遭えるものではない。

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多数派を取り込むメニューばかりが幅を利かすのが、どこの居酒屋でも当たり前になってしまった今や、ほとんどの店にてこのメニューは、取り扱い厳禁の一品となってしまったようである。無性にくさやが食したくなったときなど、自然と足が向くのが、ここ小金井の「大黒屋」なのである。今宵もふとくさやの面影につられてぶらりと足を運んでみたのでありました。

トビウオ、アジなど、日によってくさやとして出される種類はまちまちであり、それがまた楽しいのだ。今宵はたぶん、アジと思われるくさやにありつけることができ、満足至極。良い味わいの大衆日本酒とも相まって、ほろ酔い気分を満喫しているのでありました。

くさやの後のすっきり感が嬉しい明日葉のおひたし。

くさやの後のすっきり感が嬉しい明日葉のおひたし。

此処「大黒屋」の名物メニューはくさやばかりではない。「明日葉のおひたし」「レバ刺し」など、辛党には嬉しいメニューが並ぶ。ずっと仲良くしていきたいお気に入り店の一軒である。

絶品 椎茸のおひたし

ランチメニューだけではない、当ブログのグルメジャンルには、居酒屋メニューがあるのです。

よく出汁が染みとおって、くきまで美味なり。

よく出汁が染みとおって、くきまで美味なり。

 新潟名物のへぎそばを出す地元の某居酒屋で、おいらがいちおしお気に入りのメニューがこれ。おひたしとは云いながら、出汁でじっくりと煮込んでいる。適度に冷やして出される頃合がGOOD。くきまで美味なり。