十三湖の蜆がたっぷり入った「しじみラーメン」

今回の旅ではとくに名産品を求めることは無かったが、青森市内の食堂で食した「しじみラーメン」にはいたく感動した。

調理の工程を目の前で眺めることになっていたのだが、とてもスローに、しかし丁寧に充分な慈しみが込められてその一杯はつくられていた。

生のしじみを煮て、とっておきの自家製しじみエキスを加えてスープにし、薄めの醤油だれと合わせていく。「十三湖」で捕れた大降りのしじみがたっぷりと、滋養豊かな香りを振り撒いていたのだ。

毎日はと云わないが、ときどきはこんな地味豊かな味に接することになったらさぞ嬉しく思うだろう。スローフードの原点とも呼ぶべきラーメンに大満足なのだった。

東北青森の「棟方志功記念館」を訪問

福島、宮城、岩手を通り越して、東北の青森に来ている。

東北地方はまさに心の故郷であり、何度も足を運んでいるが、今年は大震災後という特別な状況もありなかなか例年通りの観光旅行、慰安旅行の気分にはならなかったが、かといって東北が遠く感じてしまいつつあるのをそのままやり過ごすこともままならずに、とにかく行ってみようと新幹線に飛び乗っていたのである。

初めて降車した「新青森」の駅舎はモダンでありつつ、青森の風景に馴染んでいた。少し前までこの場所の駅舎が無人駅だったということを聞きつつ、新しい玄関口が開かれたことを嬉しく感じた。「青森駅」とはまた違った展開をこれから見せてくれていくことになるのだろう。

さて最初に訪れたのは「棟方志功記念館」だった。棟方志功さんの作品には、都内や青森県内の様々な場所で接することはあったが、一堂に会して鑑賞するという体験はなかったように思う。大変尊敬しているアーティストに対しては、些か礼儀を欠いていたと、改めて思った。

現在の企画展は「躍動する生命 棟方志功の眼」と題して開催されている。今のネット環境の悪いここでその詳細を記すのは困難なので、内容その他については帰京してから改めてまとめたいと思っているところだ。

富士吉田うどんは、聞きしに勝る個性的麺類なり

富士方面に旅した途中で「富士吉田うどん」に遭遇した。山梨県には「ほうとう」という歴とした伝統的郷土料理があるのだが、それに対抗しようとするかのように「富士吉田うどん」というものが存在している。ほうとうと比較すれば似ているようでいて全然似ていない。これまで都内において「吉田うどん」的メニューを食したこともあったが、現地の食堂にて食べたことは無かった。それだけに噂に違わぬ、聞きしに勝るこの麺類の個性は強烈である。両者は別物であることにあらためて驚かされたのだ。

富士吉田うどんの麺は、ほうとうの麺より一段とごん太く、しかも腰が強いのが特徴だ。うどんを食する地域は日本全国いたるところに散在しているが、此処のうどんほど硬い麺は無いだろうと思われるくらいに徹底している。これこそ吉田うどんの個性であり、好みが分かれるところだ。硬い御飯を噛むようにして味わわなくてはならない。顎の運動になるくらいの思いがする。するするっとした喉越しなどとは全く無縁の食材なのだ。

基本のトッピングが茹でたキャベツというのがまた凄い。いくら茹でているとはいえするするっと喉に入る代物ではなく、よく噛んでいかなくてはならない。麺類の常識からすればかなりずれていると云ってよい。麺の常識と共にトッピングまでもが個性的であり、ダブルで驚かさせることになった。

キャベツ以外に特徴的な具材が馬の肉。これが存外いけたのだ。馬肉を食う習慣は隣の信州長野だとばかり思っていたが、甲州にもそんな風習があったのだ。甘辛く丁寧に煮込まれた馬肉は、それだけでも御飯の友になりそうなくらいに美味であった。

さて最後に出汁の評価になるが、醤油に味噌を合わせており極めて折衷的な味付けである。言葉を換えれば何ともダサい味付けと云えなくもない。味噌味の美味い麺類は色々な地域で見られるものだ。もっと味噌味を利かせて田舎くさくした方がよいだろうと思われるのだ。今度吉田うどん麺を使って、味噌味のうどん作りでもしてみたくなった。

雪化粧した富士西湖の風景とヤーコンの漬物

関東にも大雪が舞い降りた日、おいらは富士五湖の方面へと向かっていた。雪化粧した富士山の姿を眺めたいという願望などもあったが、それは叶えられることがなかった。一見さえなし得ずであった。午後からは雪も小降りになっていたのだが、見晴らしは極めて悪く、すぐそこに存在するのであろう富士の雄姿を、分厚い雲群が遮っていたのでありました。

JR中央線、富士急行線を乗り継いで、河口湖駅から観光客向けのレトロバスに乗り西湖へと向かった。雪に煙る樹海付近を通り過ぎたとき、深く重厚に冷え冷えとしたその景色がまさに「樹海」と呼ぶに相応しいことを実感させたのだった。

西湖に面した根場(ねんば)という集落に着くと、そこでは「かぶと造り」という茅葺民家が立ち並ぶ風景に遭遇した。かつてこの地域は、地元のものづくり文化で活気溢れていたとされ、昭和41年の台風災害によりそれらのほとんどの民家が消滅してしまったという。現在に建ち並んでいるのはかつての活気ある民家集落を再現したものである。再現された茅葺民家の中では、地元の伝統料理や伝統工芸品の展示販売、あるいは陶芸作家等による作品展示販売などが行なわれていた。

そこで試食したヤーコンの漬物なるものを口に頬張れば、まるで新しく瑞々しい食感に驚き感動の雨霰状態だったのだ。店の小母さんは「梨みたいにサクサクの漬物だよ」と宣伝していたが、成る程である。まるで果実の食感なのだ。それが漬物として御飯にも合うくらいに仕上がっている。早速土産品として買い求め、日本酒の相棒のつまみとして味わっていた次第なり候。

先述したが今回の旅にて富士山の雄姿に接することはなかった。それでも西湖という富士五湖の中では地味な湖の、その周辺の雪景色された風景に接して、日本一の山と共に息づく土着的な生業に接することが出来た。有意義な旅の収穫なのであったのです。

「盛岡じゃじゃ麺」は忘れられぬ味わいなのだ

先日の岩手旅行にて忘れられないメニューがあった。「盛岡じゃじゃ麺」である。

 

中国北部の「ジャージャー麺(炸醬麵)」という中華麺料理がその起源とされているが、盛岡のじゃじゃ麺の方で用いられている麺はといえば紛れのない「うどん麺」なのであり、和風である。うどんのユニークなバリエーション料理と捉えることが可能である。

豚ひき肉を甘辛く調理した「肉味噌」が味の決め手であり、それに加えて、きゅうり、ねぎ、おろし生姜がトッピングされている。

箸で一気に混ぜ合わせれば、汁無しのうどん料理の様相だ。まったりとして奥深い肉味噌が程よい喉越しのうどん麺に絡みつく。その味わいは他の追随を拒否するくらいに新しく、創作うどん料理として認定しても良いくらいなのである。

素朴な岩手の郷土食「ひっつみ」を食したのです

先日の岩手旅行の旅先で「ひっつみ」という料理を食したのでした。

人参、大根、蒟蒻、等の野菜類の出汁が充分に効いた汁の中に、小麦粉を練って平たくした、丁度すいとんの様な具が入っている。岩手県内の「南部」と呼ばれる地域の郷土食なのだ。

南部という地域はかつて南部藩が統治していた地域を示しており、そこには八戸等、青森県の一部が含まれている。かつて同じ南部藩を領していた青森県八戸地方には「せんべい汁」という汁物が存在するが、これとよく似ている。ちなみに八戸の「せんべい汁」はB級グルメとして全国に知られており、B級グルメの大会には何度か「銀賞」を受賞している。それくらいに知られたメニューである。「せんべい汁」の元になったのがこの「ひっつみ」だという説もある。

どの地方にもありそうな、取り立てて特徴のある名物ではないが、小麦粉などの穀類を上手に調理して味わうという、極めて基本的な、人々の素朴な意気込みが伝わってくる。

ビールにも日本酒にもよく似合う。晩酌の〆にはもってこいの逸品なのだ。

石川啄木が新婚のときを過ごした家

盛岡市内の「啄木新婚の家」を散策した。

けっして豪華とは云えないが、想像していた以上に立派な造りである。二世帯用の住居と思われるが、石川家の側の間取りを見ても5部屋存在している。手入れの行き届いた庭があり、本家とは縁側で接している。縁側が消えて日本の家にもロマンが消えた。「縁側」こそ日本家のあるべき姿と云えるだろう。

明治38年6月ごろ、節子さんとの恋を実らせた啄木はこの家に住居を構えた。おそらく彼の人生ピーク時のころの思いを十分に伝える建造物と云えよう。

啄木少年の像

岩手八幡平の紅葉は今が見ごろなり

ふと紅葉が見たくなり、岩手県の八幡平に出かけたのです。

盛岡駅前から乗り込んだのは、「八幡平自然散策バス」という名のツアーバス。八幡平頂上停留所乗り場から、地元の登山ガイドさんが無料で案内をしてくれるという特典つきなのだ。それ以外にも、紅葉の名所の大橋、地元の観光広場などで休憩時間を取るので、一便で八幡平を満喫できるというすぐれもの。特に関東圏からの観光客を対象に組まれたバス便のようだ。こんな機会はまたとないと強行軍を敢行した次第なり。

東北自動車道を降りて八幡平温泉郷に入った頃にはもう、あたり一面の樹木は黄色、赤色に彩られていた。さらに走り行き温泉郷から松川温泉までの通称「八幡平樹海ライン」に入ればまさに紅葉の見ごろ。近くの紅葉、遠方に並ぶ紅葉、高みから眺め渡す紅葉、等々、バリエーションも申し分がない。

頂上停留所に着くと冷んやりとした空気が襲い掛かった。聞けば気温が約5度程度だという。樹木の葉はすでに落ち、紅葉の「こ」の字も無かった。いつもより厚着をしたつもりだったが想像以上の冷え。気合を入れて散策に臨んだのだ。

細い登山道に入れば2~3メートルの樹木が覆い、今にも熊が現れそうな光景だ。だがここは急激に冷気がもたらされるため、熊の生存には適さないのだという。鏡沼、メガネ沼を通り過ぎて山頂へ到達。山頂とは見えず案内板でやっとそれと判るくらいのなだらかな山肌なのだ。そして後半は、ガマ沼を過ぎ、八幡沼を眺めつつ、見返り峠へ、それから整備が半端な石段を下りて行程は終了したのだ。

振り返れば1時間少しの散策だったが、澄んだ空気や新鮮な景色に触れて心底からリフレッシュできたのでした。この山頂散策は7月が見ごろだという。またぜひその季節に来たくなったのでありました。

信州旅スナップ3 信州大町で、日本酒三昧の夜を過ごす

信州の大町は黒部ダム観光の玄関口として有名だが、民話と日本酒づくりが盛んな町でもある。町なかには三つの蔵があり、それぞれに「金蘭黒部」「白馬錦」「北安大國」という銘柄酒を製造している。

夕方になり街を散策していると、風情ある暖簾のかかった居酒屋が目に付いた。その一軒に入ってみたところ、「原酒3点セット」というメニューが飛び込んできたのだ。おいらは迷うことなくそれを注文。グラス製の洒落たお猪口に3種の原酒を注いで出されたその光景は、目と嗅覚とを虜にし、喉に流した原酒はピリリとしてとても刺激的に感じられた。

東京では中々こんな体験はない。まさに大町でしか体験できない種類のものだったと云えよう。いつかまた大町に来て、ここの日本酒酒場を踏破したいと、密かに願ったくらいなのでありました。

信州旅スナップ2 白馬蓮華温泉の絶景露天風呂

白馬の蓮華温泉に向かった。白馬山を含める北アルプス山脈の眺めが素晴らしい。自噴するいくつもの源泉を持つ温泉は、4つある露天風呂にそれぞれがそのまま流れ込んでいて、それぞれに泉質の違いを感じることが出来る。よくある旅行雑誌風の表現を借りれば、まさに野趣溢れる天然温泉の宝庫だ。しかもこの天然露天風呂に入浴するためには、山道登山を行なわねばならない。かといって片道15~20分程度であるから、おそれることもないのです。


薬師湯
蓮華温泉郷にあり他の風呂より最も高いところに位置している。登山口から20分弱歩かねばならない。それなりに高みから見下ろす風景はそれなりのものがある。ここまで登山してこそ蓮華温泉に向かった甲斐があるということだろう。

仙気の湯
最も大きな湯船を構えており、蓮華温泉露天風呂の中心にある。仙人の気分になれるということでこの名前が付いたらしい。

黄金湯
昔は黄金色の湯が沸いていたという説もあるが、今は無色透明の澄んだお湯がこんこんと沸いている。自然の中の天然温泉に漬かれば、身も心も癒される思いになれる。登山口から5分足らずの場所にあり、登山に不向きな人にも利用できる便利なお湯である。

三国一の湯
とても小さな浴槽に、とても温いお湯が注ぎ込んでいる。まるで野生の猿の為に設置されたような風呂。とてもだいの大人が入って温められるような代物ではない。横目で眺めて素通りする登山客がほとんどだ。

信州旅スナップ1 信州路で出合った特産メニュー

イナゴの甘露煮
昔は稲を荒らす天敵として田舎の水田にはよく見られていたが、最近は特別な場所にしか棲息しなくなってしまったイナゴ。このイナゴを甘辛くじっくりと煮詰めて甘露煮にした保存食である。かつては田舎における貴重な蛋白源として、とてもポピュラーであったと田舎のお祖母さんから聞かされたものである。バッタに似ていて細い足はかじるとパキパキ音がする。これが苦手という近頃の若者も多いらしいが、食べなれてくればこれが絶妙の味わいに感じるから不思議なものだ。

山賊焼き
鶏肉のから揚げだが、東京でよく食べるものとは味付けや調理法が異なっている。主にモモ肉を使用し、醤油とにんにくの付けダレに数時間置きじっくりと漬け込む。それに片栗粉をまぶして揚げる。素朴な料理だが、パンチのある味わいが信州らしい。これを蕎麦に乗せたのが「山賊蕎麦」であり、信州では天ぷら蕎麦にも負けないくらいにポピュラーなメニューとなっている。

野沢菜漬け
信州の野沢温泉地方が発祥の「野沢菜」を漬け込んだもの。今では全国中に出回っているが、やはり信州で味わえばその感動もひとしおなり。じっくりと漬け込んだその味わいはピリリと刺激するほどにワイルドで濃密。秋に種まきをして冬に収穫される野沢菜を年中味わえるようにじっくり漬け込んでいる。やはりこれも保存食の一つなのだと納得させられる。

うなぎの名産地、三島の不二美の「うな重」で夏バテ予防

本日は丑の日ということもあり、尚且つ伊豆に旅行中だということもあったので、首尾良く絶品の、三島のうな重にありつくことができたのでした。

静岡県の三島といえば、富士の雪解け水が流れ込む名水の地として有名だが、絶品のうなぎを置いて語ることなどできないのである。良き水のあるところに良きうなぎが育つという。すなわち美味しいうなぎを育てるには、そんじょそこらには無いくらいに良き水が必要であるということ。三島には、そんな良き美味しいうなぎが育つ条件が揃っている。全国的に有名な浜松と比べても決して引けをとることのない絶品のうなぎを味わうことが出来るのである。

開店間際の暖簾をくぐったのは「うなぎの不二美」。三島には「うなぎ横町」という専門街もあるくらいであり、その街中の名店である。いくつかあるメニューのうち迷わず「うな重」を注文した。

重箱の蓋を開けると、いつもの整ったうな重の姿が目に飛び込んできた。東京で食べている「うな重」との、とりたてて違いは無いようにみえる。だが箸でうなぎを刻んでご飯とともに口に頬張れば、その違いは歴然としていたのである。箸で刻んだうなぎの蒲焼は柔らかで、ふっくらと蒸しあげたということを示している。蒸して焼くのが関東風の基本であるからとても基本に忠実なことが判る。かつうなぎの味が苦味を含んで濃い味である。たれの味ではなくてうなぎの味がこれ程に染み渡る「うな重」は、滅多に有るものではないのだ。

数年ぶりに見た石部の棚田は絶景なり

本日は伊豆の天城ドームで「Folk Song Festival 伊豆」というイベントが行なわれており、とりあえずは会場に足を運んでみたのだが、ステージに立って歌っていた西荻窪在住のるりちゃんという女の子の音程が滅茶苦茶で、こんな場所に居ることが耐えがたく思い出したので、さっさと会場をあとにしていた。

向かっていたのは西伊豆の石部温泉。そう遠くはない昔に何度か足を運んだことのある港町である。此処の「棚田」が評判なのだ。何度も訪れた好きな漁港でもあり、棚田の場所は知っていた。当時のその場所は荒れた天然野という風景であり、過去にはそこが棚田であったことを示していた。その場所がどうなっているのか、非常に興味があったのである。

小さな港がある海岸から30分くらい丘を登ると目指す場所がある。いまだ猛暑の続く夏の日に丘登りするのはつらいものがある。体中から汗が吹き出ていた。棚田の場所までずっと民家が並んでいる。生活圏の中にその棚田があることを示しているのだ。そして何年ぶりかで眺めた棚田の風景は圧巻だった。棚田に生える緑の稲の幹葉は生命力がはじけるようにピンピンとしていたのだ。

沼津で途中下車してかもめ丸の「ぬまづ丼」を食したのです

伊豆の修善寺に旅しているのだが、ここに来る前の旅の途中で沼津港に立ち寄ったのです。そこには駿河湾で収穫された魚介類が豊富に陸上げされ、港周囲に立ち並ぶ市場には朝どれされた食材をふんだんに使ったメニューが提供されている。十数年ぶりの訪問の、今回の最大の目当ては駿河湾の名物「桜エビ」であった。過去に由比ガ浜で食べた「桜エビのかき揚げ」の味が忘れられないのである。

十数年前に来たときにはこんな賑わいは無かった。港周辺の風景は一変していたのだ。港町にも色々あり、例えば千葉の勝浦がいつでも長閑な港町風情を示してくれているのとは対照的に、常に前のめりに変化し続けているさまを呈示するかのようだ。

わざとお腹を空にして市場の食堂「かもめ丸」に到着した。メニューを眺めてみると「ぬまづ丼」が視界に飛び込んできた。桜エビに加えて生シラス、鯵が載っている。一目見てそれに決めた。10分くらい待たされただろうか、目の前のテーブルに出された「ぬまづ丼」は、桜エビ、、生シラス、鯵刺し、がキラキラと宝石のように光って視界に飛び込んできた。口に頬張ればますますその感動は高まっていた。一つひとつの食材がキラキラと舌と目を愉しませてくれる。どんぶりのご飯にもまた一味が加わっていることに気付いた。炊き込みご飯を使っているようなのだ。酢飯ではこうはいかない。旅の天晴れがここにあった。

千倉、南房総への旅の跡

先日巡った千倉、南房総で撮影した写真、旅先でアップできなかったものをまとめてアップロードしておきます。急に夏化した風景とともに記憶に深く刻まれた風景たちです。

村上春樹「1Q84」の「猫の町」千倉を歩く

千葉県の千倉に向かった。村上春樹の「1Q84」の舞台となった土地に、千倉という小さな町がある。館山からさらに南下した房総半島の最南端の町である。天吾と長く離れて生活していた父親が、その地の療養所で闘病していて、父との関係を取り戻そうと決意した天吾は、ある日ぶらりと千倉を訪ねるという設定である。BOOK3では、病状がさらに悪化した父親を看病する為、長く逗留するという設定もある。(あまり詳しく書くとネタバレにも繋がるので千倉の説明はこのくらいにしておこう。)

さてここ千倉の町に、作家村上春樹は「猫の町」のイメージを被せ合わせている。「1Q84」の中で、ドイツの無名な作家の短編とされる物語を展開しているのだ。もしやして実在する文学作品なのかと調べてみた。ロシアのボドリスキイという作家が旧ソ連時代に発表した「猫の町」という作品がみつかったが、ストーリーはまるで違っていた。やはり春樹さんのオリジナルな物語のようだ。洒落た構成である。「空気さなぎ」の物語が綴られているがそれと同様のミニチュア版の物語と捉えればよいのだろう。

作中作品「猫の町」では、そのまちにふらりと立ち寄った旅人が登場する。その町が実は人間が猫によって支配されているという奇妙な土地であることに気づく。そしていつの間にか帰る電車に乗ることが出来なくなり、帰る手段を持たない主人公は、知らぬ間に自分が「失われた」ことを知り呆然とする――というストーリーである。「失われる」とは実世界から消失する、すなわち「死」を意味するともとれるが、あるいは死ではない別の特殊な概念を示しているのかもわからない。謎掛けが得意な春樹さんらしい暗喩である。(以下、この稿続く

のりピーの別荘炎上

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のりピーこと酒井法子の別荘を見てきました。

焼けた奥の日本間に見えたのは、ただただ雑然とした煤だらけ。
しかも入り口玄関に近い場所には、某暴走族用語のスプレー落書きが、散乱していて、まるでアイドルが住むべき住居にはあらず。かつて「トップアイドル」とももてはやされたのりピーにとっては、至極残念無念だったことでしょう。

執行猶予がつくであろう微罪に対して、その犯罪テーマが「麻薬撲滅」という社会テーマにフィットしたからと云って、あるいは、当事者が「元トップアイドル」であったという経歴が作用したからと云って、これほどまでのマスコミ媒体を介した大騒ぎは無用のはずである。だがおうおうにしてこのような事象は、発展的大騒ぎを呈する。吾が国の病んだ一面を見ているようであり、おいらもまた憂鬱レベルを拡大させてしまうのです。

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