実は「銀座七福神」巡りが出来るくらい、銀座は神に溢れている街である。
左写真は「あずま稲荷大明神」。三原小路と呼ばれる一角に隠れるようにして佇んでいる。夜にもなると料亭がこの辺りで七輪を出して魚を焼く。その風情が良いのだ。
「朝日稲荷神社」も、裏町のビルの隅に棲まうさまが又良い。
昨今のように、西欧流似非近代的グルメ本が蔓延ってくると、昨日までグルメ本で通っていた書籍類がいきなり「お馬鹿グルメ」の本に変質していたりしておりまして、おいらもいささか警戒しないではいられないのである。その際たると云いたいのが、「中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」(大竹聡著・筑摩書房文庫)である。その本に示されているのは、ただ単にホッピーを飲んで中央線を横断しようというもので、その実態はといえば、中央線をホッピー片手にマラソンしながら走り続けるという凄いものでは毛頭無く、さらに日々刻々連続して中央線を横断するという真面目なものでもなく、しかも1日の最低限のノルマを定めることなく、ただただお馬鹿な呑み芸が披露されていくのである。まともなグルメ酒本を期待していたおいらはじめ読者にとっては、ほとほとお馬鹿な飲み芸に付き合わされる羽目になってしまうのだからたちが悪いのである。
とはいいつつも、おいらはここ数日来、この馬鹿の見本、おっと失礼変換ミスでした、「馬鹿呑み本」で紹介されていた酒場に出没したので、レポートしたいと思います。名付けて「文化人類学」ならぬ「酒飲み人類学」であります。
まずはとほほなネタから参ります。お茶の水駅を降りて辿り着いた神保町の某店舗には、自慢の一品「チリホッピー」というメニューが無かった! これはもう、あるある詐欺にも等しいのではないか! またどこにでもあるチェーン店舗など紹介するのはほとほとやめてもらいたいのである。そして僥倖と云えるのが中野の「やきや」。ひたすら焼くメニューが並んでいるのだが、これが古き良き立ち飲みの風情をかもしていてGOODである。ここならば行きつけにしたいと思えるB級名店なり。まあこのように、お馬鹿グルメ本に書かれてある本の内容は確率1~2割と考えて居たほうが宜しいようでございます。1~2割の店に当たったら僥倖と心得るべしなのです。
八王子駅前の通称「ユーロード」にて、全国的な「大陶器祭り」が本日開催されていた。「陶器」とは一応名乗っているものの、路上に出展しているのは、木工や家具などもあり多彩である。その中に南部鉄瓶の店が1軒だけあったのである。重々しく黒光りする南部鉄瓶だけを並べているその店は、やはり異彩を放っていた。
鉄瓶の箱を見るとそこに付いている値札は、ほとんどが1万数千円なり。大きさは大小さまざまなれども、それほどの価格差が無いのが不思議だった。しかしながら、燦然と目立つ場所に鎮座されていたその鉄瓶には、二十数万円なりの値札が張られているのを見て取ったのである。一点豪華主義というにもほどがある。何故これほどまでに、その鉄瓶はそれほどに特別な代物であったのだろうか?
ボージョレヌーボーがいよいよ解禁したのだが、おいらの関心は、相変わらずレヴィストローク博士なのである。今日も小雨の降るなか銀座の某喫茶店で、レヴィストローク先生の講演集を読んでいた。やはり百歳まで生き延びた学者の言葉はとても重いのだ。「悲しき熱帯」が何たらこうたら、構造主義の限界がこうたら云うより、長老のドンとした重みのある講演語録には圧倒される。
ボージョレヌーボーのことを書きたくない理由は他にもある。職場からの帰り際に某未来のIT長者から、「最近飲み過ぎですよ」というきついひと言が身にしみていたからなのである。であるからして飲み物の話題は極力避けることとなったのである。美味いであろうその陳列棚をカメラに収めて、今宵は普段の買い物をするのに留めたのです。まあいずれ復活するでしょうが、しばしのお別れなり。
という訳でいつもより前書きが長くなったが、昨日の五十嵐茂さんの発言をもう少し引用してみたい。
「自分という人間は世界とどうかかわるか、他者にどう接し、受け入れるのかという問題を、問うていかなければならない。それこそが人間が生きている意味、自分が抱えてきたテーマを浮かび上がらせることになる。そのときの言葉は自己テキストと言える内容をあらわすようになると思うんだ。表現するからにはやはり、『このことに気づいているのは私しかいない。このことは私しか書けないことのような気がする』というものを書きたいし、読みたいよね。」
引用も普段以上に長くなってしまったのだが、これからもおいらしかかけないことを一所懸命書き続けようと思ったということなりにて候。とすれば、おいらもまたネット人種の一員なのかもしれないなぁ。嬉しいような。哀しいような。
昼間からレヴィストロース博士の本を読んでいて、帰宅途中の電車の中でも読んでいて、「よし、今日のブログはレヴィストローク先生の高尚なネタでいくぞ。タイトルはずばり、レヴィストロースの遺言だ!」とばかりいささか意気込んでいたのです。決まっただろうと勇躍いさんで駅を出てはみたのがつかの間、けれどもまた悪いくせが出て、駅前の居酒屋でホッピー3杯ばかり引っ掛けたせいなのか、脳味噌ぐらぐら廻って、とても高尚なネタをまとめられる状況ではありませぬ。しかるがゆえ、今宵はまた軽いネタで行きたいと思います。
先ごろよんだ本の中に、かの有田芳生氏の「メディアに心を蝕まれる子どもたち」がありました。(決して有田さんの本が軽いということを云っているのではないので誤解なきように)
その本の中で、有田さんの対談相手の五十嵐茂さんという人が興味深い話をしているので紹介してみます。ちなみに五十嵐茂さんという人とはおいらもメールのやり取りをしたこともあり、とても誠実な人柄をそのメール文のあれこれに滲ませていたことを思い出すのです。
五十嵐さんの指摘によれば、ネットの時代とは「空前の<自己テキストの時代>」が始まった時代だという。リアルなコミュニケーション、ネットワークでは表現できないテキストを、自己テキストとして表現し得ることの可能性を述べているのだろう。おいらがかねてより、ネットの達人(かもめさんやみなみさん達)に対してかんじていた、考えていたキーワードを表しているとも見えた。そこには「日常からの解離」もまた存在し、ネットコミュニケーションを面白くさせている。ネットもまだまだ捨てたものではないのである。
今日みたいに寒い夜は、自宅に直行して家ばんしゃくに限るのである。
料理に手間や時間は掛けられないから、畢竟できあいのおかず類に頼ってしまうのは否めないが、ひと手間くらいかける余裕はおいらにも備わっている。今宵もまたスーパーで買い込んできたおでん種になめこ、しめじのきのこ類をたっぷり加え、生姜と大蒜と唐辛子を少々。そして味の決め手となるのが、群馬のいわゆる須川味噌である。利根郡須川でせいさんされるこの味噌は、信州味噌みたいに甘くなく、かと云って八丁味噌みたいなくせもなく、味噌の王道をゆくものであり、おいらの手料理にはこの須川味噌が欠かせないのだ。
さて、肝心の酒であるが、家呑みには日本酒がいちばん。外で呑むより家なら気儘に呑んだくられるから、いつのまにか習慣になってしまった。そして日本酒を沸かすのが、以前に内藤さんからギフトでいた だいた代物なのだ。岩手県の名産品なのだが、がっしりと重い鉄の感触がとてもモダン。天然の鉄分が染み込んだ酒の味わいは格別なり。
先ほど気付いたのだが、ネットの達人ことみなみさんのブログ「伽羅日記」のトップ画像にも南部鉄瓶が採用されていました。みやびな趣がよろしゅうございます。
帰宅途中の電車の中で、日刊ゲンダイの「『市橋ギャル』ネット中心に大量出現」という記事見出しを目にした。記事内容は読んでいないのだが、家のパソコンで検索してみると、確かにいろいろ出現しているらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=xbHCLQnOfnk
然もありなんというネタである。かつてオウム事件でワイドショーが大騒ぎを呈していた頃には、ご存知「上佑ギャル」が大量に出現し、大いに失笑を買ったものである。今回の「市橋ギャル」出現も、同様のメディアとその享受者との間のメカニズムが作用しているに違いない。このあたりのメカニズムについては、マーシャル マクルーハンの著書「メディアはマッサージである」にて詳述されているので参照していただきたい。書名の「マッサージ」とは、「メッセージ」を茶化したものであることを、念のためだが記しておきたい。
ネット人種とは? TV人種とは? そんなことを考え始めたらきりが無いが、ミーハー人種の暴走だとか、匿名人格が悪意を暴走させることなどは、メディアリテラシーの基本として押さえておかねばならない現代社会の常識である。
今日あたりが高尾山もみじの見頃だという風聞を耳にして、高尾山に向かったのでありました。
そもそも東京都心の公園などで眺めるもみじは色付きがいまいちである。発色が鈍いばかりでなく、透明感がまるで無い。もみじは透明感が無ければ風呂屋のペンキ画と同じで、季節感もへちまもあったものではない。まるで、腐った林檎か柿の実がそのまま木に生っているような姿を見せ付けられているようであり、合点がいかないのだ。少年の頃は、古里に近い赤城山や利根の温泉地などで色鮮やかなもみじに接したものだが、それとはまったく異種のものが、都会で目にするもみじなり。
ある種の期待感などもあり、昔購入したが押入れの奥に仕舞い込んでいた一眼デジカメ(ニコンD50)を引っ張り出してのぶらり旅であった。
京王線「高尾山口」駅を降り歩いていくと、ケーブルカー駅前には群衆の群れが目に入る。そこを通り過ぎ、高尾山頂を目指したのだ。登山コースはいくつかあるが、おいらが選んだのは小川が流れる沢沿いを歩いていくコース。京王案内でのいわゆる6号路コースなり。案内書には3.3kmの90分コースとある。日常のおいらの運動量をはるかに超えている。山登りというイメージとは若干違い、ひたすら川のせせらぎを耳にしながら沢を登るのだ。山登りだからがけ下を目にして歩くコースもあり、道幅は1mに満たないところが頻繁に現れ、ちょっとの油断でがけに足を滑らせてしまいそうだ。
ハーハーと息を荒げて心臓も漠々になり、やっと辿り着いて眺めた八王子市内からもっと先の眺めは圧巻だった。頂上付近はまるで原宿かと見紛うくらいの人だかりで、もみじの美しさも目に留めなかったが、帰り道の薬王院近くに他とはまるで存在を異にするように佇んでいたかえでのもみじは、おいらが求めていたものだった。高尾山で、古き懐かしきもみじの記憶を今に蘇らせたのであるから、満足感もひとしおだったのでした。
静岡のB級グルメとして注目されているのが、「静岡おでん」。おでんは全国的なB級グルメアイテムであるが、どこが静岡なのかといえば、真っ黒な煮汁に付け込まれた、串に刺さった具が特徴なのである。そんな静岡グルメの出前とでもいえそうな店舗が、おいらの住む町にも出店した。
静岡おでんに欠かせない「黒はんぺん」が1本40円の安さなり。そもそも静岡おでんは静岡の子供たちのおやつとして広まったという。駄菓子屋などと同じくお駄賃で子供たちが食べていた。今でもそうなのだから「食べている」というべきか…。
おいらもたまに静岡に旅行などした折には、必ず「おでんロード」こと「青葉横丁」に足を運んであつあつの静岡おでんを頬張る。そんな旅風情も、幾つも想い出として刻まれている。だが実を云えば、東京と静岡では、やはり肝心なところで味が違うのだ。その味の違いを今日は解明できなかったが、いずれの日にか解明して、当ブログで発表してみようと思っているところなのです。
昨日「中華三原」のことを書いたせいなのか、無性に三原の店内が懐かしくなってたまらなくなってしまった。という訳で、何ヶ月ぶりかで、銀座の名店「中華三原」の店の前の行列に並んだのでありました。
今日のお目当ては「炒飯」である。あまり注文する人はいない。だから後回しにされるメニューである。何十分も並ばねばならない覚悟を持ってのチャレンジなのだ。実は以前、この店で、一人黙々と炒飯に喰らい突く銀座風体のおやじを目にしたときから、「今度来るときは炒飯」と胸に決めていたからなのである。
迷いは大きなものがあった。折角の並んで待つ十数分を、秋風吹きすさぶ風街に立っていなければならないのである。それならば折角のご褒美として誰もか賞賛する「タン麺」にありつくべきなのではないかと、おいらも自分自身を省みながら悩んだのである。だが結局、おいらは初志貫徹を貫いたのであった。
席についてからも五分程度の間はあったかとおもう。そしてやってきた「炒飯」。↓写真参照。
昭和の風情が漂う脂っこい炒飯である。ここのオリジナルの叉焼をふんだんに使っているせいか値段も高めで800円なり。じっと見つめる限り、特別な炒飯には見えない。普通盛というのに多めである。通常の大森に近い。盛り土されたかのごとくの炒飯の表面には、フライパンで焼かれたおこげのようなしみも見えてくる。一体これがかの銀座名店の炒飯であるのか? 甚だ疑問の時間を過ごして、いざ炒飯をほお張る。そうそう、これが昭和の味だったのである。脂っこい炒飯にかぶりついて食する光景など、今やほとんど過去の遺産だとして軽んじられる光景が、まさにおいらの身に起こっていたのであった。美味い炒飯は脂っこくてよいのである。しかもトッピングとして添えられているのが「たくあん」。たくあん和尚が愛した逸品である。脂っこさに辟易したときに、このたくあんをつまんで一呼吸置く。これが通の、炒飯の食し方なのである。つまり「炒飯にはたくあんがよく似合う」なのである。
炒飯と格闘しても冷え切った体はいっこうに温まらない。ほとほと「秋はタン麺だな」という教訓を胸に、今度はタン麺を食うぞと誓ったのである。
近頃はおいらも、銀座で一杯傾ける機会が増えてきたのです。おいらの行きつけは高級バーなどではもちろんなくて、三原界隈の小料理店である。まさに銀座の裏町風情が漂うこのあたりは、その昔、江戸の時代には相当栄えていた要所だったと聞く。だがいまやそのような面影は微塵もなく、三味線と小唄がよく似合うようなさびれた町並みがまた味わい深いのである。
此処で一杯。しっかりと出汁のきいたおでんの大根などをほお張れば、いつしか小唄などを口ずさんでみたくなってくる。
ところで、このあたりの店舗名は「三原」が定番なり。小料理「三原」、定食屋「三原」、中華「三原」、エトセトラ。これでもかというくらいに「三原」の看板に出くわすのだ。
そんな中でも「中華三原」は、昼飯時には必ずや長蛇の列ができるという繁盛店である。おいらは流石に並んでまで此処へ足を運ぶことは滅多になくなったが、確かに並んでも食べる価値あるメニューが出される。中でも人気なのが「タン麺」である。野菜がたっぷりのって、天然の野菜出汁がピーンと鼻に突き刺さるくらいの絶品なり。職場のかしまし娘などは、初めてこの店でタン麺を食したらその味の虜になって、器までなめていたというのだから、推して知るべしなのである。
いつもながら今宵はまた、いつもながらの行き付けの居酒屋に立ち寄り、いつもながらのホッピーを飲んでいましたのですが、隣の客が発した言葉「蒸し野菜」には、今宵とても感動的な発見をしたので、ちょっとばかり紹介しておきます。
今宵初めて食した「蒸し野菜」は、れんこん、ズッキーニ、かぼちゃ、ブロッコリー、それにソーセージ、エトセトラなどが一緒になって蒸せられる。極めてシンプルな料理ではあるが、作り置きなどしない真っ向料理の同店ゆえに、一から蒸していたことは天晴れ至極にござ候。
以下は雑談ではあるが、少々お付き合いを。本日は朝から、都心の中央区銀座はピリピリムードであった。おそらくオバマ米国大統領の訪日を受けての予備的な警備であったのだろう。ところがどっこい、おいらはこれには過剰反応してしまったのだ。かつておいらが画学生としての青春期を過ごしているとき、街中でしばしば警官に呼び止められたものである。
「ちょっと! そのかばんを見せてもらえませんか」
口調は穏やかではあったが、仕草は有無を言わせぬものと見えた。かばんの中には大量の絵の具などの画材類が入っているのを見届けると、警官は何事もなかったように挨拶をしてその場を離れたものだ。おそらくその巨大なかばんの中に爆弾が仕掛けられているとでも思っていたのだろう。まったく猜疑心もいいところてなのである。そこで例えば「逃げた」らばどうなったであろうかという友人との議論が、その後に真面目にあったということからして有無を言わせぬということの証明だろう。
米国大統領の来日とあれば、多少の市民生活の不自由は享受するくらいの気持ちはあるのだが、一体このこの状況についての納得はできかねるのである。何か別の事件や、別の目的などが存在していないかと実は疑っているのである。
地元のホルモン焼き店に久々に足を運んだ。そこで発見したこと、まさにホッピーはホルモンに合う。「hormon に fit」なのである。
ホルモンとは牛や豚の内臓のことであり、これを炭火で焼いて食するのが「ホルモン焼き」である。ホルモンという言葉の起源は数種有るようだが、もともと食べずに「放るもん」、すなわち捨てるものの意味であるという説と、ホルモンが医学用語で云うところの「ホルモン」から来ており、活力の源というイメージがぴったりしたことから定着されたという説が有力である。
どちらの説を採る立場においても、その発祥は関西であり、ことに食い倒れのまち大阪のイメージによく合う(fit)なのである。そんなホルモン料理に、ホッピーはよく合う飲み物であった。
色々なブログをネットサーフィンしていると、「ホッピー」は関西には馴染まないなどという記述を目にするが、これは噴飯ものである。おいらが4~5年前に大阪グルメを取材旅に訪れたとき、ホッピーは大阪の大衆居酒屋にたしかに根付いていた。ただ、その薦め方が少々違っていた。
「お客さん。ホッピーには少しのアルコールしか入っていません。もっと豪華に飲むには、焼酎で割って飲むのがお薦めですよ…」
こんな会話はこと関東では聞いたことが無いのである。
東京もいよいよ色づいてきて、吾輩の家の近くの公園にも、紅葉の季節が訪れつつある。散歩した公園にも、色づく様子が見られたので、携帯カメラで撮っておきました。
ところで俳句にはとんと縁の無いおいらだが、松尾芭蕉さんといえば話は別格なのであります。かの「奥の細道」はまさに、おいらが度々東北を旅するときのあかりの様なものでありますゆえ、存在が別格なり。実は前々から胸に突っかえて居る句があるのです。
人毎の 口に有也 したもみぢ(松尾芭蕉)
実は「したもみぢ」という言葉が引っかかっているのです。紅葉は「下から」色づいていくのだから「したもみぢ」なのか? あるいはそれ以外の特別な意味があるのではないのか?
我が国の和歌には「したもみぢ」なるキーワードが多数存在する。例えばこれなど。
したもみぢ かつちる山の ゆふしぐれ ぬれてやひとり 鹿のなくらん
紅葉は下から順々に色づくという。それを意味して「下もみぢ」というのか? だが「したもみじ」は、「舌紅葉(したもみじ)」と読めないこともない。人は時々前言撤回する、つまり裏切る。それを意味して「舌もみぢ」というのではないのだろうか?
芭蕉さんの句だからというわけではないが、人生訓として読んでみると、「下紅葉」より「舌紅葉」のほうがずっと、芭蕉さん的ではないのか、なんて考えているところなのです。
肌寒さが身にしみる秋本番である。昨夜もまたおいらは、ホッピーのあるお店へと足を運んでしまいました。それはそうと「ホップス」はサントリーが出した発泡酒であり、麒麟ではありませんよ。みなみさまお間違えなきようご注意遊ばせまし。もちろんここで云う「ホッピー」ともまた関係ありません。
そもそもホッピーが最初に市民権を得たのは戦後間もない頃のことで、当時のビールもろくに飲めなかった貧しい小市民が、ビールテイストの炭酸飲料として糊口を凌いでいた、云わば代用品であったのだが、近頃ではあの恐ろしい痛風の原因因子であるプリン体が少ないことから、おいらみたいな高尿酸血症人類に好まれているのである。甲類焼酎と組みあわせれば、ビール以上の健康飲料なり。
些か前書きが長くなったが、地元のサラリーマンたちが足繁く通う某居酒屋店の、創作的おすすめメニューを発見したので紹介しておきます。
イカは生でなく、程よく湯通しされていてなまぐさくなく、アボガドとの相性が絶妙である。芥子マヨネーズもオリジナルで辛すぎたりせず心地よい。オリジナルメニューをさらりと出せるこんな店は、何度足を運んでも飽きることがないのである。
学研の「大人の科学」という雑誌に「二眼レフカメラ」のおまけがついていたので、ふろくにつられて買ってしまった。ふろくつきで2500円、決して高い買い物ではない。プラスチック製とはいえちゃんと35ミリフィルムを使えて撮影可能という代物だ。
けれどその後がいけない。少年の頃にはプラモデルを組み立てるのは得意で、友人に見せびらかしたりもしていたものだが、昔とった杵柄が、云十年もたっておいそれと通用するはずもなく、悪戦苦闘なのである。
肝心のシャッターの組み立てがうまくいかない。子供の頃の器用さがウソの様にてこずっている。本当に使えるカメラはできるのだろうか? もし幸いにも組み立てが成功した日には、自作カメラを持って撮影日記などつけたいものだが、一向にその日はやって来そうにないのだ。
ホッピーについて先日は、当ブログでも「ホッピー党宣言」とやらをしてしまったという事情も有り、ホッピーの将来は如何なる苦渋が待ち受けているか、などといった消極的思考に雁字搦めにされていたものだったのでした。でも今日からは心と身体を入れ替えて、幸ある「ホッピーの将来」をかなでていこうなどと考えているのであります。
そこで考えたこと。
【ホッピーのある店】の条件とは?
【その壱】
まず第一に圧倒的なのが、もつ焼きやである。焼き鳥、焼きトンと、その種類はまちまちだが、両者をあわせて、そのたぐいの店のほとんどには「ホッピー」があるのだ。(※まあ地元の事情で無い店もありましょうが…)
【その弐】
余りに形式に格しきばらずに、ほどほく調和した新規嗜好なりを積極的に取り入れている店。逆に言えば頑固おやじ系の店には例えば麒麟のラガーしかおいてなかったり、サッポロのラガー(小売店にはない)しか無かったりするので、残念である。
「発泡酒の時代」が来ても「ホッピーの時代」はいっこうにやって来ない。これは90年代の酒税法改定の流れが最大の要因となっている。
日本人なら誰でも知っていることだが、かつて1994年にサントリーから「ホップス」が発売されたのが、発泡酒ブームのルーツである。実はそれ以前の戦後の一時期にも発泡酒が売り出されたことがあった。だが当時はヒットする気配さえ見せなかった。「カストリの時代」と呼ばれていた当時、発泡酒は人々の記憶に残ることさえなく、敗れ去り消え去ったのである。それが平成の時代の大逆転なのだから、二度びっくりである。
寮美千子さんが先日のコメントで指摘していただいたことだが、発泡酒といえばビールに比べて「軽くて、偽者で、チープで、そこそこ楽しい」という4条件を満たしている。平成の時代を背景に、現代人が求めている嗜好に見事にかなっているかのようだ。馬の鼻前に吊るされた人参を追う馬のように、人々は発泡酒を追い続けていくのだろうか?
そんなことを思うたびに、「発泡酒」を飲みたくなくなる。最近の晩酌は、外ではホッピー、家ではビールと決めているのもそのためである。
時代は「発泡酒の時代」であるということを、以前書き記していた。だか余りピンとこない、中途半端な考察であった。今日あらためてそのことを思い出し、ほろ酔い気分で再考をしてみたいと考えたのである。
だがしかし、おいらの脳味噌はそうとうばかりアルコールに浸潤されていて、確かな考察などできる状況にはないのである。であるからにして、おいらはその決意だけ述べて、後日に託することにするのだ。