生樽ホッピーは銀座の味か?

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先日、銀座のガード下で立ち寄った居酒屋で、「生樽ホッピー」なるものに遭遇した。樽で発酵されたウイスキーみたいなホッピーかと思いきや、そうではないらしい。生ビールのようなタンクに入ったホッピーを、これまた生ビールみたいにジョッキに注いで出したものらしい。焼酎は「キンミヤ」というブランドものを使用しているとのこと。まろやかな舌触りとのど越しが心地よい。

だが残念なことに、あの純ビール(即ち発泡酒ではないビール)のような苦味が感じられないのだ。この生樽ホッピーは果たしてありやなしや?

ホッピーを飲んでいて中(なか、即ち焼酎のこと)を2杯、3杯、4杯と注文していくうちに「ちょっと酔っ払ったな…」と思うとき、外(そと、即ち焼酎を入れないビンのままのホッピー)を、ジョッキに注いでグイッと飲み干すときのあの苦味走った快感が、ホッピーならではの味わいなり。この快感は生樽ホッピーでは味わうことが出来ない。弱点もありなのである。

私はいつも都会をもとめる 2「銀座のホッピー」(C)萩原朔太郎

たまにはおいらも、都会の味をもとめて銀座で一献傾けることもある。今宵のテーマは、銀座のホッピーとその味についてである。

銀座にも当然のことながらホッピーを出す店は多数存在している。頑固親父が仕切っている老舗店舗についても、次第にその垣根は低くなっているとみてよさそうである。焼鳥、焼きトンを出す店にその傾向は顕著とみえる。例えばメニューに「ホッピー」は載っていなくても「ホッピーください」と云えば当然のようにホッピーを出してくるお店は腐るほどある。あるいは「ホッピーはないんですか?」と問いかけると、気まずそうに「そんなことはないですよ」といいつつ、周囲を気にするようにしながらホッピーを出してくれた店もあったのである。それぞれに事情は異なれども、今やホッピーを置いておかずには居酒屋経営もまずい局面に呈しているということなのであろう。

時代は発泡酒全盛だが、しかしながら発泡酒が居酒屋経営に対して何の貢献ももたらさなかったことに比べれば、ことホッピーの果たす役割はいや増すばかりと云ってよいのである。

ところで銀座で飲むホッピーの値段はといえば、価格がまちまちである。「ホッピー=150円」というメニューに気を良くして飲んでいたら、最後に高級焼酎代を請求されたというケースもあったのだ。ご用心してください。

鳩山首相がブログとツイッター始めたと?

まあ新し物好きの鳩山由紀夫ちゃんのことだから、いつかやルナとは思っていた。ん?「ルナ」っていうのはルナちゃんのことではにゃい。ルナシーのことでもない。ルナティックじゃないかいな。

http://twitter.com/hatoyamayukio

う~ん、疲れた。みなみさんの真似をするのも楽ではないっちゃ。

気を取り直して…。

ブログはおいらもやっているからまあ、頑張ってやってくだされなんだけど、ツイッターっていうのは、いったいどうなんだろう? いまさら一国の首相がツイッターでつぶやきを公開したからといって、何か新鮮なメッセージでも届けられ、任期が長引くとでも考えているのだろうかにゃんこ。いったいぜんたい、一国の首相が人気取りにうつつを抜かして何ぼのもんじゃいなぁ。

新年の初頭に吾が原風景を想う

多くの兄弟姉妹に囲まれてすくすく育ったのだ。(うそ)

多くの兄弟姉妹に囲まれてすくすく育ったのだ。(うそ)

広瀬川の白き流れを毎日目にしつつ育った、そんなおいらの原風景を想い出を浮かべようとするたびに浮かべる生涯(らいふ)は、夢に現にと現れては消えていく。今日はその原点とも云うべき一葉の写真を見つけたのでここにアップしておきます。画面右に流れているのが広瀬川。中央でよちよち歩くのが幼少のおいらである。

資本主義の安っぽい最終楽園(藤原新也讃)

故郷に帰省している。

ごくごく個人的で恥ずかしい話であるが、今朝起きて、藤原新也の「渋谷」を置き忘れていたことに気付いた。ほろ酔い散策の失態であり珍しいことではない。帰省の電車で読み進めるつもりでいたが、当てが外れてしまった。置き忘れた場所は見当がついてはいるが、何よりも時間が惜しくなり、地元の一大ショッピングモールにある紀伊国屋書店を訪ねて同書を再購入した次第なり。

昨日読んだところを記憶で辿りつつ、いま一度再確認する。藤原新也さん原作の映画「渋谷」の予告編ムービーにて表出された、印象的なシーンが、この本の冒頭にて、同様のシーンとして記述されている。原作のメインとなるのがここかと合点。出し惜しみしない原作者の心意気だろうか。第2章「仮面の朝と復讐の夜」では、紫染みた実験的な写真の数々とともに、1章を要約したともとれる文章が踊っている。実験的な写真については新也さん自らがあるインタビューで解説していた。渋谷に生きる少女が見た色を失った風景を表現したような…。(出典データを確認できないのです)

資本主義の安っぽい最終楽園というべき街をなぜかいとうしいと思う俺

写真とは別のページにて要約されたこの言葉は、にわかには肯定しがたいものではあったが、おいらの心にズドンと一発の爆弾を落としていた。それは例えば、おいらの故郷の大先輩である萩原朔太郎先生の詩に接したときの気持ちにも似たものであった。朔太郎先生は、田舎を拒絶することにより、教科書にも載っているかの有名な詩を書いていた。「わたしはいつも都会をもとめる」と。

新宿ゴールデン街を巡る

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

昼ごろにボランチなるものを摂った後、何の気なしに新宿のガイドブックを手に取っていた。そして自然と足が新宿へと向かっていたのです。普段は通勤列車で通り過ぎる場所である。

まずは西口「ヨドバシカメラ」へ。先日購入したオリンパスペン用の予備バッテリーを買うためなり。西口散策も久しぶりで、帰郷者が群れ成す大型バスの発着拠点に出くわした。慌しく行きかいしている様を見ながら、おいらも明日は故郷に帰ろうと決めた。

思い出横丁を通り過ぎて東口へと移動する。もの凄い人ごみの中をかき分けて歌舞伎町の入り口にたどり着いた。歌舞伎町の門を潜ると日本人が大好きだという坂本竜馬さんの肖像写真が大きく貼られた、某立ち呑み屋が目に入った。まだ4時前だというのに営業していたので、久々の昼酒にありつくことになった。大サービス品のまぐろは未入荷とあって、仕方なくどこにもありそうな串揚げを注文することになる。数十分の時間をつぶして坂本さんの門を出た。ほろ酔い気分のおいらは、いつの間にか、昔に足繁く通っていたゴールデン街にたどり着いていた。まだ陽は落ちず明るかったが、馴染みだった店の門をたたいた。

「すいません。5時からなんですが‥」

というマスターの声。

「こんにちは。お久しぶり‥」

と、挨拶しつつ店に入ると、昔懐かしのマスターの顔があった。開店時前だというのに店内に入れてもらい、ハートランドのビールでちびりちびり。薄暗いランプの照明で、購入したばかりの「渋谷」(藤原新也著)を読んでいた。

「5時から女の子が入りますからね」

話を聞いていくうちに、若いキュートな女の子たちが切り盛りするお店にと成り変っていたのを知る。流石においらもびっくり仰天したものであった。そしてそう長くは無い時間をすごしてその店を出たのであった。お勘定は、以前に通っていたころに比べて格段に高くなったていた。このデフレのご時世にである。

新宿は、いつでも人を呑み尽くしている。そんなパワーを持った街だ。

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藤原新也「黄泉の犬」を読む〔1〕

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

一昨日の日記に対するコメントで、mimiさんが藤原新也さんの「黄泉の犬」を推薦してくれていたので、ネットで調べてみたところ、つい先日にはその文庫本が発売されたばかりであることを知る。初本の単行本発行が2006年10月であるから、3年2ヶ月ばかりを経ての文庫本化ということになる。それ自体は少しも驚くことなどない。早速、銀座コアという銀座5丁目に聳えるビル内の書店にて購入する。そして帰宅途中の電車内にて読み進めていたと言う訳である。

一読して、ぐいぐいと引き込まれるのである。テーマがオウム真理教に関わる類いのノンフィクション(というか、おいらが好きな言葉で云えば「ルポルタージュ」なり)であることに、二重の意外性を覚えつつページをめくった。第一章「メビウスの海」を読み進めつつ確信するに、これは紛うことなき一流のルポルタージュである。

冒頭のテーマがオウム真理教に関連するのであるから、作者も読者も、また間を取り持つ編集者たちも身構えているのだろうことは容易に察しがつく。さらには、麻原しょうこうの実兄へ、身一つでの突撃取材を試みたりするのだから、話題性も衝撃度も充分である。

思うに、我が国の現役ルポライター(これは和製英語であるからにして、おいらの好きな言葉なり)の誰が、この藤原新也の、ぐいぐい引き込んでいく筆致なりで感動を与える作品を書き得たであろうか? 例えてみれば、一時期は「ニュージャーナリズム」の旗手などとも持て囃されていた吉岡忍の作品のどこが、この一冊に匹敵するくらいのインパクトを与え得るものであったかを問えば、おいらの答えは決まっているのである。所詮、吉岡忍などの書いたものなど取るに足らないものであると。

余談であるがその昔、知ったかぶりの後輩が吉岡忍を称して「ニュージヤーナリズム」を云々した挙句に、「小林さんも読んだほうが良いですよ」と、アドバイスまでしてくれた。そして読んだらもう、その薄っぺらさに呆然としたことなど、蘇って思い出すなり。

という訳にて、今宵のおいらは、第一章「メビウスの海」(p87)までを読み終えると、文庫本を外套のポケットに仕舞い、いつもの行きつけの居酒屋に駆け込んだのでありました。そして酔っ払って帰ってから、本の表紙などスキャニングして、結構大儀な作業なのでありました。

第2章「黄泉の犬」からは、明日以降また気合を入れて読み進めていく覚悟なのです。

ロールキャベツ(イタリア風)

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昨晩放映されていた某テレビ番組では、石田純一がイタリア風ミートボールを作っていたのですが、それを見て無性にイタリアンな料理など作ってみたくなったのでありました。

肉食系の石田純一に対抗して、同じような肉料理を作るのもも大人げないことなので、ここはベジタリアンも納得させるものをと、イタリア風ロールキャベツを、久々作ってみたのです。

ことことトマトソースで煮込むこと20分、まろやかに煮込まれた、トマト仕立てのロールキャベツの完成です。ほっこりと美味しかったのでした。

藤原新也の21世紀エディション「メメント・モリ」

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藤原新也というア-ティストは凄い人である。漆黒の闇を写し取ることの出来る稀有なアーティストなのである。

もはや古いニュースなのであるが、昨年の冬に、彼の代表作「メメント・モリ」の新バージョンが発行された。「21世紀エディション」と帯文に記された当書は、あまり注目されることも無く、ひっそりと書店に並んでいた名著である。

「メメント・モリ」-何度この言葉をつぶやいたことだろうか。すべて思春期に遭遇した藤原新也さんの一冊に依っている。彼岸の国から響いてくる言葉とともに、現代へワープしたかのごとくに写る風景写真のかずかずに、今更ながらに心惹き込まれている。いささかなさけな話であるが、心が癒されたいときなどこの本を開いてみずから慰めていることなど多し。特別なる一冊也。

年末ジャンボ宝くじ協奏曲

有楽町駅前の宝くじ売り場は、毎日朝から、年末宝くじを求める人間たちによって長蛇の列が作られる。師走の寒さもどこ吹く風とやらとばかり、防寒具に身を包んで、ニタニタ顔の行列である。初めてその光景を目にした朝は、おいらは何か新興宗教の御託宣を受け取る集団に出喰わしてしまったのかと、思わず知らずに身構えてしまったものである。こんな集団に拉致、洗脳されてしまったらばたまったものではない…。

しかしながらその集団は、新興宗教のそれではなくて、一攫千金を求めていた人間たちによる列だったのである。云わずと知れたことであるが宝くじのみかじめ料は5割を超えている。膨大なものとなる。一部の恵まれた人を別にすれば、ほとんどの国民がせっせせっせと汗水たらして、時には胃袋に穴を開けながら、理不尽な上司に相対して受け取った貴重な給与を、こんなものに上納して良いはずがないのである。

おいらはこんごとも、取材によるネタが必要となったとき以外には、絶対に宝くじは買うまいと心に決めたのでありました。

神の焔の苛烈を知れ(太宰治の遺言〔1〕)

太宰治さんの生誕百周年というのに、本年これまでにあまり関心も示さずに過ごしてしまった。本日はそんな太宰治原作映画を鑑賞しようかなどとレンタルビデオ店に立ち寄ったのだが、そんな作品のビデオは無かった。吾ながら拙いの一言なり。世間一般においては、太宰さんの原作による映画が沢山に公開されていたり、雑誌には太宰さん特集が組まれていたり、さまざま賑わせていたことに接して、偉い、とてもえらかった太宰さんの足跡をいま一度辿ってみたいと考えたしだいてあります。題して「太宰治の遺言〔1〕」なのである。

ある日太宰さんはおいらの神になっていた。詳細は忘却の彼方にありて見出すことできないのであるが、確かに15歳を過ぎた頃のおいらは、太宰さんをあたかもまるで神であるかのごとく崇拝していた。そして毎日のように太宰治全集に齧り付いていたのでありました。

改めて想うに、太宰さんのえらさを一言で述べるならば、苛烈なる探究心である。そんな彼の探究心は己をも滅ぼすまでに徹底していたのだから益々えらいのである。昨今流行りの「自分探し」などといったお笑い種などとは比較にならない。取るに足らない「自分」を探している輩などは、とかく「自由」だとか「自我」「個性」とか云々したがるものであるが、太宰さんの自分探し的自我の探求は、「津軽」といった一作品に書き表す程度のものであった。もっとえらい太宰先生による自分探しの旅はといえば、吾が身を賭した彼の膨大な全集に眠っているのである。

そんなこんなを云々する以前に、太宰さんは、正しきデカダンスの思潮を広めていたのだし、誰にも真似できない文学的才能を発揮したのであるし、さらには戦後の出鱈目な「戦後民主主義的」世相に対する強烈な批判を呈してもいたのである。であるからにして一流文化人としての評価は枚挙に暇がないのである。たださらに以上の太宰さんのえらいところについて述べていきたいと考えたのである。という訳で今宵は「太宰治の遺言」の序章を記してお仕舞いにします。

武蔵国高麗にて高麗鍋を食する

味噌とキムチの相性は良いのだが…。

味噌とキムチの相性は良いのだが…。

埼玉県日高市界隈は「高麗」と呼ばれる。かつて武蔵国の高麗郡として歴史に名を連ねてきた。朝鮮半島の高句麗との関係からこの名が冠せられているようだ。おいらも群馬の故郷に帰省するときなど度々ここ「高麗川」というターミナル駅を通り、ときには1時間以上の電車待ち時間を過ごすことも珍しくない。いつだったか時間待ちの間、駅舎を出てぶらぶら歩き回ったことがあったのだが、周囲には見るもの訪ねるものなど見当たらない。今をときめく鳩山由紀夫のおじいちゃんが高麗神社を参拝したら総理大臣になったという逸話の高麗神社という立派な名所はあるのだが、目的を持たないぶらり旅にとって高麗神社を目指す気になるはずもない。想えばとても面喰っていたものである。

そんな高麗の有志たちが町興しで始めたのが「高麗鍋」。この高麗発祥の鍋をPRして売り出そうというのだ。高麗に育って数十年という知人にこの話を振ったところ、「知らない。食べたことが無い」というのだから、益々興味が沸いてくる。という訳で、地元民も食したことのない町興し鍋を求めて、高麗を訪ねたのでありました。

高麗川駅に近い某居酒屋に電話予約をして出かけた。インターネット検索して調べたところ、予約が必要とあったからである。店に着くと一人分の鍋がすでにセットされており、すぐにありつくことができた。白味噌ベースの出汁にどかんと真中にキムチが乗っている。具材は人参など地元野菜と厚揚げなど、取り立てて目を引くものはない。目に見えない特長が、高麗人参を使っていることである。固形燃料に火をつけしばし待つと、静かに沸騰してきた。丁寧に鍋に箸を入れかき混ぜてみた。高麗人参を探したが見つからなかった。多分そのエキスとやらを入れているのだろう。小鉢にとって野菜を一口。味噌とキムチの相性は悪くない。良いと云って良いくらいだ。だが高麗人参を齧りたいと願っていたおいらにとっては、ちと残念であった。昔おいらの家で火鍋パーティーをやったときは、当然のこととして火鍋のスープに高麗人参を忍ばせたものである。高麗人参スープをアピールするならそれくらい当然である。高麗人参を具として齧れるくらいにふんだんに使った高麗鍋が食べたいものである。

美味い「あんきも」の季節です

あんきもをつくるには数日を要するらしい。

あんきもをつくるには数日を要するらしい。

地元のいつもの居酒屋で、美味しい「あんきも」に遭遇したので、購入したばかりの「オリンパスペン」にて撮っておきました。

冬の魚、鮟鱇をさばいたことのある人なら強烈にその、大きな肝が目に付くのですが、その肝こそ美味なる味の宝庫なのです。「あんこう鍋」にもこのあんきもが必須の素材となります。

そして今日食した「あんきも」はといえば、そのあんきもの良さを丁寧にていねいにと心を尽くして手づくりした逸品なのでした。多少脂っこいのがあんきもであるが、こんなに丁寧に調理されてあると、とてもすんなりと咽越しよく味わえるのです。これをつくるのには、蒸して干してを繰り返して数日かかるのだとか。

「オリンパスペンE-P1」購入

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ボーナスが出たという訳でもないのに、そんな当てなど全然あるはずも無いのに、少々高い買い物をしてしまった。「オリンパスペンE-P1」という名のデジカメ。税込み九万九千八百円なり。

おいらが小学生の頃使っていたハーフサイズカメラ「オリンパスペン」の復刻復活版、等々といった触れ込みで、今年の夏頃から売り出されていたモデルである。先日、上級機種の「E-P2」が発売されたと聞き、旧型のモデルが安くなっただろうなどという見込みでカメラ店を覗いたのであるが、いっこうに値下げの気配など無かった。やっぱりリストラクション吹き荒れる昨今の状況では、新型カメラなど高嶺の華かと放念しつつあったのであるが、こんなことでは一生手に入らぬ買い物になってしまうぜ、買うなら今! 云々かんぬんコールがおいらの脳味噌を去来したので、めでたく購入と相成りました。

懐古的古きモデルと同様に、撮像素子(アナログ的フィルムに相当するもの)が35mmの半分の17.3mmであるのも、古き「オリンパスペン」の伝統を引き継いでいるのである。小学生時代はこの名機片手に写真を撮りまくっていたものであり、数々の懐かしい想い出が去来してくる。新型となったモデルを手にして、幾分浮き浮き気分なのである。明日からはこの新型カメラを持って散歩に出かけよう。

冬鍋の一番はやっぱり「あんこう鍋」だね

昨晩、ハウスの「カレー鍋」のことを書いたからなのか、某未来のIT長者から「小林さん、今年はトマト鍋ですよ」と云われたのです。なるほど時代は常に進化しつつ新しい鍋料理を求めているようである。「トマト鍋」と云えば、それを売りにしている居酒屋があるからにして、今度はそこで「トマト鍋」を食らうぞと思ったしだいなり。

それはそれとして、「西のてっちり、東のあんこう」と称されるくらいに美味なる「あんこう鍋」に、このところありつくことがなかったなあと、しみじみと思うのである。かつてはもしおいらの記憶がたしかならば、冬季のホームパーティーで食していたのが、おいら特製のあんこう鍋なのだった。はるか茨城県の平潟からあんこうの七つ道具といわれる肝7種類を取り寄せたり、上野のアメ横にて一匹あんこうを買い求めてさばいたこともあったのだった。今は遠方彼方(はるかかなた)を眺めるがごとき遠いまなざしなり。

茨城県平潟のあんこう鍋は「どぶ鍋」とも呼び、あんきもいっぱいに出汁をとり、味噌鍋仕立てにします。このレシピが基本なり。やっぱり冬鍋は「あんこう鍋」だぞと考えつつ、あんこう鍋のレシピを思案する今宵なのであります。

http://www4.zero.ad.jp/ucchy/ankou/process/index.html

冬の鍋考現学 [1]

二枚貝が蓋を開けたら食べごろなり。

二枚貝が蓋を開けたら食べごろなり。

鍋が美味しい季節になったが、最近おいらがありつく鍋はといえば、一人鍋ばかりなり。一人鍋というものはさびしいものである。二人鍋はこれまた楽しい。だからといって、三人鍋、四人鍋、五人鍋、グループ鍋が楽しいかと云われたら、決してそうとばかりはいかないのである。

先日はおいらも、某一足お先の忘年会にありつくこととなったのだが、出てきた料理はといえば、鍋無しコースだったのである。かつて無い驚きであった。だが幹事をやった若手某女史によれば、他人が箸を突いた鍋など食したくはないとのこと。う~む、なるほど一理ある。冬忘年会にて鍋料理が無かったことがあったであろうか? という訳にて先日の忘年会では鍋料理が出なかったから蓄積していたマグマが噴出したのかも知れないのです。

魚料理専門の居酒屋が提供する鍋であるからして、魚介類が豊富な味噌仕立てなり。近頃は一人鍋も億劫がらずに注文できるのだからそれは嬉しいのだ。

先日は家鍋をしたのだが、そのときは初めてハウスの「カレー鍋」のもとを使ってみた。悪くは無かったが、所詮子供の食べる料理である。大人がこんなものを鍋料理だと云って憚らないとは看過しがたいものがあるのだ。であるからして今度「カレー鍋」を作るときには、ハウスのカレー鍋は使わずにやってみるぞと内心誓っていたのであった。

立ち呑み考現学

♪この道は~ いつか来た道~♪

詰まるところ旬なネタがなくなるとまたリカーの話題に立ち返るのは、当ブログの宿命であるからしてご注意無用。あ~あ、また馬鹿やってら~、てな具合に大目に見とって欲しいのであります。

さて銀座にも立ち呑み酒場はあるのですが、今日行ったのは地元の立ち呑み屋。そこは初めての場所だった。街の商店街に軒を並べるそこそこ規模の酒屋の一角に、その立ち呑みコーナーは設けられていて、酒屋の入り口と立ち呑み酒場とのそれがひとつであることから、入った瞬間、とても気まずい立場に置かれる。

「あの~、立ち呑み屋はどこですか?」

我ながら余計な愛想を振りまいて入ると、「あ、そこそこ」という店員の横柄な受け応え。まずはここで、あ~、来るんじゃなかった! と後悔するのだ。まあ人生における後悔のひとつや二つはどうってことないやと気を取り直して、お飾りくらいに小さな暖簾をくぐって、それからいつものホッピーを注文。

「普通のでいいですか?」
「うん。いいよいいよ。白い普通のやつね」

とまあ、素人店員に対して玄人ぶってみたわけではなかったが、多少ここで溜飲を下げることが出来た。

さておつまみはと、メニューを探したのだが、それらしきものはない。そうなのだ、純粋立ち呑み屋のおつまみはといえば、缶詰と相場が決まっている。そう思って見渡したらあった。さばの水煮缶にさばの味噌に缶に、あと二種類くらい。「さばの味噌煮が人気ですよ」と、いつの間にか店員が説教を始めている。「おんどりゃ~そのくらい知ってるら~!」と怒ってみるのも情けないので、「うん、それにする」とまあ、さばの味噌煮缶詰とホッピー二杯でその店を出たのでありました。

地元のもっとましな立ち呑み屋をもう二軒は知っているので、こんどはちゃんとした立ち呑みレポートをお届けしたいと思いますです。

銀座のネオンもまた見頃です

なんと百獣の王ことライオン様がお迎えする銀座三越店。

なんと百獣の王ことライオン様がお迎えする銀座三越店。

銀座の四丁目にそびえる由緒正しい三越デパートにもリストラの嵐だそうなのである。

株価も暴落しており、やはりといっていいのだろう、光あるところに影があるのだ。今宵はそんな「三越の影」を訴状に、おっと違った俎上に上げてみようかとも企んだのであるが、眠気(睡魔とも云う)が襲撃なのでありまして、この項はまたの日に持越しするのです。

納得しない方々は、銀座のネオンなど鑑賞なさってくださいませ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091202-00000534-san-bus_all

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オパール寸前のアンモナイト

先日もレポートした「奥野ビル」内の某ギャラリーにて、アンモナイトの土器を発見したのです。燻し銀のごとく妖しい輝きを発するその土器は、宝石のオパールに変化する寸前のアンモナイトのものだという。モナッコ産なり。

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アンモナイトが妖しい輝きを発していたのである。

銀座一丁目の由緒正しき奥野ビルは別名で「骨董ビル」とも称され、十数軒のギャラリーが軒を並べているのであるが、それかあらぬか、ビル内ギャラリーには、陶器関連、時代物関連、高齢者関連、等々の展示でこれでもかと云うくらいに骨董関連に溢れている。そんな中で今日遭遇したのが「土器」を専門に扱っている展示室であった。信州をはじめとする国内産の土器から、欧州、アメリカ大陸産のものなど多様に渡る。世界中を駆け回って収集しているマニアによる展示会であった。骨董の中の骨董とも云える「土器」専門展示。流石に「骨董ビル」に棲まうギャラリーの名に恥じないものである。

今日もまた当ビルの探索を決行したのであった。有り難いことにこのビルには骨董エレベータと呼ぶに相応しい文明開化の利器が設置されているのである。まずはビル最上階の7階へ登るのである。鉄格子と見紛うエレベータの扉は、がっしりとしたドアノブを手にして回さなければならない。手動式である。降りるときにも二重に設置された扉を開いて、手動で閉じなくてはならないのである。かりに手動扉を閉じ忘れたらば、エレベータ自体が動くことを止めてしまうのだから、このビルの住民、利用者にとっては死活問題なのである。

骨董品だろうが天然記念物であろうが容赦なく破壊する、我が国の非常識にかんがみれば、早晩の間に取り壊されること必至なりの奥野ビルなのである。このエレベータに乗るだけでも奥野ビルを探索する価値がある。小声ではあるがここで断言しておきたいと思うのであった。

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二重に設置された鉄製の扉がいかついのである。

銀座四丁目を俯瞰する 昼の銀座散歩 [2]

銀座四丁目を眼下に見渡せる場所なのだ。

銀座四丁目を眼下に見渡せる場所なのだ。

昼時になるとたまに足を向けるのが、銀座四丁目交差点に隣接するDOUTORなり。サンドイッチが五百数十円にコーヒーを付けてしめて八百数十円なりと、チェーン店舗の喫茶店にしてはかなりの割高である。なんでまたこの様な割高な店舗へと足を向けるのかと云えば、地価日本一と云われ続ける銀座四丁目交差点の一等地を眺め渡すことのできる場所だからであり、この場所で、かつての一時期文化人類学の手法として風靡した路上観察を行なうためである。世の中を風靡した路上観察の対象はと云えば、石ころやガラクタのたぐいであったと記憶しているが、おいらの観察対象はと問われれば、交差点をぶらつき歩くおのぼりさんやら海外から遥々おいでましたる観光客だということになる。銀座の達人でもないおいらが銀座人を見下し観察するのであるからたちが良いわけが無い。吾ながらお恥ずかしい趣味のカミングアウトなのであるが、我慢し通し持ち堪える自信などないのである。

路上観察のことを横文字の別名で「フィールドワーク」と云う。こう云い換えると多少高尚な響きも有してくる。今日はしかるにフィールドワークのテーマを立てて、路上観察を敢行したのだ。題して「銀座四丁目スクリーン広告の考現学」である。銀座四丁目の三越本店には巨大なスクリーンが掲げられ、日夜行きゆく人々にスポット広告を流し続けている。その広告をフィールドワークしてみたのだ。不況の只中にあって、地下日本一の巨大スクリーンに広告を流していその広告主とはいかなるたぐいか?

・フジテレビ
・産経新聞ニュース
・ニンテンドー
・ブリジストン
・ミキハウス
・赤い羽根募金
・GMアジアパシフィック
・東京メトロ
・創価学会
・すしざんまい

とまあ、この様な広告主が並ぶのである。知名度だけでは計れないゲンダイの世相が見て取れるのだ。光あるところには影がある。不況下においても明るくスポットライトの当たる一等地でスポット広告を流し続ける広告主たちの、異様なる華やかさ志向、明るさ志向に接しながら、おいらの興味関心は、それらの影の部分に向いていたのであるが、そのあたりの考察についてはまだ少々時間がかかりそうである。