新宿思い出横町「ウッチャン」のシャリキンホッピー

新宿西口の思い出横町に向かった。目指したのはモツ焼きが美味しい「ウッチャン」という店である。

最初の注文はもちろんホッピーである。すると店員は冷凍庫からカキ氷状のものが入った容器を取り出し、グラスに入れたのだ。それこそがこの店の名物。キンミヤ焼酎を凍らせてカキ氷状にしたものをホッピー飲料で割り、特別なホッピーを提供する。これをシャリキンホッピーと云う。カキ氷状のキンミヤ焼酎を入れたグラスにホッピーを注ぎ入れて味わう。これがもつ焼き「ウッチャン」の流儀なり。

世にも稀なるシャリキンホッピーに口をつけると、まず初めには苦味走ったホッピーのほろ苦さが咽をくすぐる。そしてその後に襲ってくるのが、キンミヤ焼酎のキーンと来る刺激なのだ。カキ氷の姿と化したキンミヤ焼酎はグラスの表にぷかぷかと浮かんでいて、口をつけたおいらの唇、舌面、咽越しに、ピリリと刺激を与えていく。ぷかぷか浮かんでいるキンミヤ焼酎カキ氷のアルコール度は結構高いのである。心地よい刺激である。これこそホッピー文化が育んだ呑兵衛にとっての理想郷に近いものがある。

まるで偽者のホッピー「ハイッピー」なるものを発見

某所の酒売り場にて「ホッピー」にそっくりであるがちと違う「ハイッピー」なる炭酸飲料を発見したのです。ホッピーの人気にあやかって同様のテイスト飲料として企画・販売されたということは想像に難くない。ご丁寧にも「黒(ビアテイスト)」と「白(レモンビアテイスト)」の2種類のラインナップである。ホッピーに「黒」と「白」があることを真似たことは明らかであり、些かの恥じらいも無いようなのであり、完璧なる剽窃商品と云ってよい。

だがその肝心なる中身には、非常に疑問符が付きまとう。どちらも苦味が無い。ガツンと来るインパクトが薄いのである。これでは本家のホッピーに太刀打ちすることは難しいだろう。

最近になって、実はホッピービバレントが販売する小売り用のホッピーを購入することが増えているのだが、ホッピーは夏の夜にはもってこいの焼酎割り飲料なのだということを思いつつ、この有難みを益々強くしているところなのです。

やきとりのワンダーランド、東松山に出没

久しぶりに埼玉県の東松山を訪れた。目的はご当地名物の「やきとり」を食すること。この小都市には約百軒もの「やきとり屋」が密集している。それを称して「やきとりのワンダーランド」などと呼ぶグルメ本もあるくらいだ。

ここで提供される「やきとり」の材料は鶏ではなくて豚である。本来であれば「焼きトン」と称すべきなのだが、この土地柄では古くからの慣習で「やきとり」と云えば豚の串焼きを指すことになっている。またほとんどの店では、軽く塩焼きにしたものに特性の「辛味ダレ」を付けて食べるのが慣わしとなっている。また特に指定しない限り「カシラ肉」とねぎを刺して焼いたものがやきとりの代名詞である。店に入って席に着くと何も云わずに「カシラ」の焼きトン、おっと間違いだ、やきとりが運ばれてくる老舗店まであるくらいだ。好き嫌いはあるがこの土地では土地の流儀にしたがい個性的なやきとりを愉しむのである。ちなみに「カシラ」とは豚のほほの肉を指すが、程よく引き締まって味わいも濃厚だ。吉祥寺の老舗店「いせや」で出される「カシラ」は脂身がギトギトしていてあまり好みではないのだが、東松山の「カシラ」は下処理が上手にされていて食べやすい。同じ食材でも調理法でこれだけ違いがあることを知ったのである。

一番の老舗は駅から5分程度歩いたところの「大松屋」。店構えもしっかりしていて味も中々なのだが、客が順番待ちしていたり、勝手に料理が運ばれたり、ストップしなければひっきりなしに追加されたりと、落ち着かない。今日はそこはパスして、新規開拓を敢行。

何回か歩いた「やきとりロード」とは別のコースを散策していると「串よし」という小奇麗な店を発見。ここの扉を開く。やきとりの看板を掲げているにもかかわらず、メニューは豊富だった。1本200円と、東松山の相場に比べて高い値段設定に違和感を覚えつつ、躊躇わずに「カシラ」を注文した。味は申し分なく、特製たれも見た目ほど辛くなく甘味が効いていてなかなかのものだ。トマトか何かフルーツをアレンジしているのだろうか。だが折角の東松山散策にしては物足りなく、串数本を食べ終わると早々とその店をあとにした。何か物足りない思いを抱えつつ、下沼公園近くの小さな一杯飲み屋の暖簾をくぐった。入ると地元の呑ん兵衛がくだを巻く飲み屋なのだが、そこに地元名物「やきとり」があるだけで癒される。外来者には少年の冒険心を刺激する類いの異空間なのである。出会いと発見のスリルが、この東松山にはあることを再発見したのでありました。

上野アメ横でみつけた、せんべろの名店「豚坊」

中島らもさん亡き後、せんべろ探偵の後継者を自任しているおいらであります。

さて上野アメ横と云えばもとよりせんべろのメッカとされているが、この街を散策してふと入った、もつ焼き酒場「豚坊」は、まさにこの名称に恥じない名店であるとの印象を強くしたのです。

この場所にはかつては「錦」という、マグロなどの海鮮つまみが安く味わえた店舗があったところだが、いつの間にやら模様替えされていたのだ。マグロの中落ちが大変うまかったことを記憶している。そんな過去の記憶を頼りに訪れたのだが、店舗の模様が替わっていたので、初めは何となく落胆していたのだ。

だが店内に足を踏み入れると、そんな気分も一新された。まずレトロなつくりに強烈に引き込まれる。去年ここではTBSドラマ「官僚たちの夏」のロケが行なわれたという。佐藤浩市、吹石一恵といった俳優の色紙が店内に飾られている。ウリの「焼きトン」が2本210円とリーズナブル。ダイコンの巨大な煮込みがこれもまた210円。もちろんせんべろ居酒屋の定番のホッピーもメニューに並べられていたのである。上野アメ横ならではの名店と云って良いだろう。

「TOKYO大衆酒場」はせいぜい50点の出来栄え

最近は「せんべろ」酒場がブームとみえて、安くて美味い居酒屋の雑誌類がそこかしこに飛び交っている。そのどれもが信じるに足りるものとは云い難く、やはりおいらの足と目と舌と鼻と、その他諸々のフィルターを介した当「みどり企画のブログ」のレポートは、それら玉石混交なるマスゴミ情報とは一線を画するものであるとの矜持を抱きつつ、レポートを続けているのである。そんなこんなから今日は特に目に付いたコンビニ雑誌「TOKYO大衆酒場」について述べていこう。

この雑誌のつたないところのNo.1は、「TOKYO大衆酒場」と書名で銘打っていながら、都下の武蔵野、多摩地区の名店をごっそりとお払い箱にしたことである。吉祥寺の名店「いせや」やハーモニカ横町の酒場などが全てスルーされているのだから、ぜんぜん論外なのである。

「TOKYO大衆酒場」という書名にはまるで相応しくない内容であることを特別に問題にしなければならない。もしも仮にであるがおいらが、この雑誌編集長を務めていたならば、こうした愚挙は犯さなかったことは明らかである。否、そんなことを述べていこうというのではなく、もっともっと、武蔵野地区や多摩地区への心配りを今後は徹底していかねばならないと云うことなのである。

中島らもが名付けた「せんべろ居酒屋」考

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千円札1枚ででべろべろになるほど酔っぱられるというのが「せんべろ居酒屋」である。デフレの時代、激安居酒屋ばやりの昨今、こんな店も珍しくは無くなった。作家の中島らも氏が「せんべろ探偵が行く」という著書にて使ったのが始まりだとされている。

だがよくよく考えてみれば、可笑しな話である。中島らもという人は相当な酒豪であったという伝説がまかり通っているのだが、「せんべろ居酒屋」の一件を耳にすれば、些か疑問符も沸いてしまう。例えば千円札を握り締め1杯250円の焼酎を4杯飲んだところで、これだけで酔っ払ってしまうというのは「酒豪」の名前に相応しくは無いものである。

まあそれはそれとしてではあるが、おいらはいわゆる一人の「せんべろマニア」なのではないかと自問自答してしまうことが最近は多くなった。美味しい立ち呑み屋があると聞けば出かけてしまうし、都会を散策していて疲れて立ち寄るのは、こうした「せんべろ」系の居酒屋である。

安ければ良いというものでもない。居酒屋チェーンがこうした激安店舗の出店に力を入れ始めている。安さに誘われて足を踏み入れたは良いが、べろべろに酔うことも無くがっかりして店をあとにしたという経験も少なくないのである。

わらびとこごみのおひたし&若竹の天ぷら

毎度流浪の居酒屋にて本日食したのは「わらびとこごみのおひたし」「若竹の天ぷら」などなど。殊にわらび、こごみ(ぜんまい)の香り高きおひたしを口にして、若き30年位前の、わらび取りの記憶が強烈によみがえってきたのである。

おいらの母親の実家がある群馬県利根郡の田舎には、わらび、ぜんまいなどの山菜が豊富に棲息していて、おいらも小学生の少年時代には、わらびとぜんまいを取りに利根郡の田舎に出かけたことなど強烈な想い出として浮かび上がってくるのである。

マスターが週末に滞在していた新潟では、その他に若竹や他の山菜が棲息していたということなり。天ぷらにして食したその「若竹」も美味なり。

古酒にあうつまみとは如何なるものか?

昨日は「古酒」のことに触れたせいか、無性に「古酒」が呑みたくなって、沖縄料理店に足を運んで注文したのです。ところが併せてたのんだおつまみが悪かった。定番のゴーヤちゃんぷるは、苦味が古酒のまろやかさを壊していく。島らっきょうの酸味もまた、じっくり寝かせて蒸留させた古酒の風味には相応しからず。結局は満足することなく帰路に着いたのであった。

今度は古酒のボトルを買って、家呑みに挑戦するぞ。きっと古酒に似合うおつまみ料理をつくってみせるぞと、密かに意気込んでいたのでありました。

文士料理の店、高円寺の「コクテイル」を探訪したのです。

高円寺の飲食メインストリートとも云うべき中通商店街を行く。3~4分と歩いたところにお目当てのお店はありました。看板も無いような地味な店構えなので、普通に歩いていたら見逃していたことでしょう。

店に入り、ホッピーと最初のおつまみを注文する。

「今日は文士料理のめにゅーはあまりないんですよ」

書籍「文士料理入門」の執筆者のおかみさんが云う。メニューを見れば、他ではなかなかお目にかかれないものが並んでいた。だがそれ以上に、お通し(付け出し)として出された「ひたし豆」には度肝を抜かれたのである。青豆を煮て酒と醤油の煮切り汁に付け込む。それ自体は普通だが、煮切り汁には山椒の実が入っていて、そのピリリとした風味がアクセントを添えているのである。付け出しにそこまで拘る居酒屋は珍しい。その他、本日注文したメニューは以下の通りである。

・豆腐の味噌漬け
・煮こごり
・かぶと人参のピクルス

ホッピーセットと中を飲み終えたおいらは、次に「本日の日本酒」に目が行った。聞けば「じょっぱり」という、青森の地酒だという。迷うことなくその酒を注文。

「冷にしますか? それとも常温にしますか?」

またまた難題であるが、これも迷うことなく「常温」に即決したおいらであった。けだし常温で飲めない日本酒など邪道系である。即決即断の効果はあったのである。(最後は鳩山首相のコメントをもじってみました)

水よりも澄んだ本格焼酎の佇まい

水よりも澄んでこくのある本格焼酎「赤兎馬」。

いきなりだが「赤兎馬(せきとば)」なる芋焼酎は絶品であった。グラス氷とともに赤兎馬を注ぐなり、甘い香りがおいらの脳味噌を直撃した。普段は甲類焼酎とホッピーとの組み合わせばかりであったが、たまには本格焼酎が欲しくなる。中国出身のお姉さんの説明によれば、この焼酎は中国名で「千里馬」というらしい。千里こと4千キロもの距離を1日にして走り去るという伝説の名馬だそうな。う~ん、思い起こすに涎…。

カンパリソーダは甘苦き恋の味がする。

♪ カンパリソーダ片手 バルコニーに立って
  風にさらわれて グラス落とした
  あの晩の 夕陽の悪戯 ♪

http://tayune.com/?pid=479061

知っている人はまず居ないだろう。かつてのシンガーソングライターこととみたゆう子さんの「蒼い風」の歌詞の一節である。メジャーではないが出身地名古屋のローカル局ではリクエストの上位にランクし、ローカル人気は沸騰したのである。おいらも過去に名古屋旅行で一泊したときにこの曲を耳にして以来、愛聴歌曲のひとつとなっている。当時所属していた会社の名古屋支局長がとみたゆう子のファンであり、彼に薦められたのがきっかけでもあった。その後、とみたさんには4~5回は取材、インタビューをしていた。公私混同も甚だしかったのである。

ともあれ当時はこんなヨーロッパ調のポップスは珍しかった。「カンパリソーダ」もまた、バーボン、スコッチ等の洋酒とは違って、程よく甘く苦く、ヨーロッパのエスプリを感じさせる飲み物であった。「カンパリ」というリキュールをソーダで割ったのが「カンパリソーダ」である。調べてみるとこの「カンパリ」は、ビター・オレンジ、キャラウェイ、コリアンダー、リンドウなど60種類もの原料によって作られているという。薬草類が主原料であり、未だその製造方法は公表されることがない。まさに味覚の協奏するカクテルと呼ぶのが相応しいのである。

二十代に入るか入らぬかの青春の門、大人の門を潜り抜けたばかりの頃においらは「蒼い風」と「カンパリ」に出逢った。尚かつ当時の甘苦い恋に酔っていたことを懐かしく回顧するのだ。まるで血液のような鮮赤色。苦味走った複雑な味わいがのどを潤すとき、青年の頃の甘苦い想い出は胃袋から身体全体へと巡りゆくのである。そんな甘苦い想い出を回顧するにはとっておきのリキュールなのである。

もつ焼き屋のガツ刺しはときどき凄く旨いと感じるのです。

もつ焼き屋に行って食べるのはもつ焼きのみにしかず。旨いもつ焼きを出す店は、もつの「刺身」というものを提供するので、それが目当てに足を運ぶことも珍しくない。豚の内臓で旨いのは、ガツ刺しである。つまりは豚の胃袋のこと。豚のレバーなど出す店があったら敬遠したほうがよさそうだが、ガツの刺身というものは生では出されず、湯がいて提供される。コリコリと歯ごたえ良く、しかも脂っこくなくて珍重な趣きを感じさせる。フレンチ料理に一品あっても可笑しくない風情を有しているのである。しかもこのガツは、胃袋に良いとくる。おそらくは眉唾の流言なのだろう。しかしながら今日の大変に胃袋なりを酷使したときには、流言をも藁ともすがりたくなるのだ。嗚呼、心ぼそきときにこそ真実は宿るのである。今宵、真実の一端を垣間見たような、そんな気分であったのでした。ジャンジャンっと。

ところで某TV番組「ケンミンショー」では、群馬県民の代表的メニューなどとして、天下無双のタルタルカツ丼なるものを放映していた。おいらは群馬県出身ではあるがそのような代物はこれまで口にしたことなど一度も無い。まつたくもって群馬県民を愚弄する放映であった。

時代の寵児「自己テキストの時代」を先取りした川上未映子さんの今昔。

昨日引用した川上未映子さんの処女随筆集の言葉は、書籍として発表された彼女の初の作品ではあるが、それ以前に初出として、川上さん自身のブログ「純粋悲性批判」にて発表されていたものである。そのじつは「発表」などという性質のものでさえなく、「公開」あるいは「エントリー」と云ったほうがしっくりくる。川上未映子さんこそ進取の精神で、自身のブログを自己メディアとして活用した、この道のスペシャリストだと云っても過言ではない。
http://www.mieko.jp/

本日あらためて、川上未映子さんのブログにアクセスしてみたのである。以前にアクセスしたときと比べて更新頻度が減っている。以前にこのブログでも書いたが、時代は「自己テキストの時代」である。時代を先取りしたはずの川上さんだが、その進取の姿が見て取れないのが、いささか寂しい思いなのである。更新頻度ばかりではなく、記述されている日記内容も、何時何処で誰が誰と何々をした云々かんぬん、といったことを記しているので、何時からこんなにフツーになってしまったのだろうかと、甚だ残念にも思うのである。もっともっと初心に戻って記す未映子さんの日記が好きだ、未映子さんの時代を貫くブログをまだまだ読みたいと切に希うのである。

有楽町ガード下の「満腹食堂」を初体験したのです(☆)

黒ホッピーしかないと云って出てきたのがこれ

有楽町のガード下付近を歩いていると、とても目に付く店がある。店名を「満腹食堂」という。店構えからしてとてもレトロな雰囲気が漂う。今日はこの店を初体験したのであった。まずはいつものホッピーを注文である。だが店員の対応は頗る悪い。

「うちのはグラスに入ってますけど、いいですか?」

なにやら最初から高圧的モードなのである。そうかそうか、ここは銀座によくある「樽生ホッピー」を出す店なのか…。それならばそれでよしと、気を取り直して再注文する。またまた店員の反撃である。

「うちには黒だけなんですよ。白はないんです」

またまた訳のわからない高圧モードがぶり返している。おいらはもうどうでもよくなって、だったらそれでよしと、白けた黒ホッピーを飲んで帰ってきたという訳なのである。出てきた黒ホッピーは、白けたプラスチック製のカップで出てきた。つまみはよくあるソーセージとポテトの盛り合わせ。出てきたポテトはマクドナルドで出されるようなポテトフライであった。これもがっかり。☆(星五つ満点で星一つって云うところですね)ジャンじゃんっと。

話題の冷製おでんにがっかり

手が凍えるほど寒い夜なのに、久しぶりに出かけた某居酒屋にて冷製おでんなど頼んで食べたりしたので、今宵はちょいと調子が悪い。ちょいとした寒気や頭痛やらが襲ってきた。

その話題のおでんは、おでんの出汁でトマト、アスパラ、鶏肉、そして炒め玉ねぎなどを煮込んでいる。狙いは悪くないのだが、それにしても注文する客のことをまるで考えていない代物である。

帰宅途中のスーパーにて398円の鍋材料を暖めて、ようやくほっこりと暖をとっているような有様である。

吉行淳之介編「酒中日記」にみる懐かしき文豪たちの日々

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吉行淳之介編「酒中日記」には、文豪の酒道の数々が述べられていて興味津々である。初版が1988年、講談社からの発行ということだから、かなりの古豪たちの肉声にも接することが出来る。それがとても稀有な同書の持ち味となっている。ちなみに再録再編集された文庫本が中央公論新社より出版されているのである。

編者、吉行淳之介の前書きにてこの随筆集は始まっている。「某月某日」の日記というスタイルにて、各執筆者たちの酒にまつわるあれこれが展開されていく訳である。読み進めでいて心地よいのは、古豪とも称される筆者の筆致のそれぞれが、決して武勇伝に陥ることがないということである。これはまさに新発見である。文豪、古豪と云えば、おいらにとっても雲の上的存在ではあるが、彼らの多くが「酒」に対して成功談よりも失敗談に終始していたということは、文豪たちの日常を表すある種のシンボルとして注目に値するだろう。

リレー式にバトンタッチされていく同書の編集は軽んじて、おいらは好きだった作家、懐かしさの濃い作家の順にページをめくって行くことにした。吉行さんから始まって、北守夫、そして以下飛び飛びに、五木寛之、笹沢佐保、野坂昭如、渡辺淳一、筒井康隆と読み進んで、生島治郎に戻って、一呼吸置いていたところである。

生島治郎さんと云えば、「片翼だけの天使」という名作で、トルコ嬢(今はこれ、禁句だっけ?)との一途な純愛を描いた先生である。この偉い先生をスルーしてしまったことを反省。改心しつつ文章を追っていると、直木賞受賞前後の記念碑的日々のあれやこれやが、酒中日記ならぬ酒中御見舞いのごとくに丁寧な筆致で記されているではないか! 昭和42年秋の生島先生の晴れの日を思いつつ、改めて心からの乾杯をしたところなのでありました。

大好きなやんちゃ横綱、朝青龍が引退

おいらにとっては些か衝撃的ニュースが飛び込んできた。朝青龍が引退したというニュースである。かつて大好きだった玉の海と同じくらいに、おいらは朝青龍が好きである。その朝青龍が本日、引退を表明した。何かとお騒がしい騒動に巻き込まれてはいたといえ、まさかの展開である。

玉の海と同様に朝青龍は小兵である。体格的な優位性で横綱を張っていた相撲取りではない。小兵力士が何故あれだけバネの利いた力感的な相撲を取れるのかが、否取れたのかが、未だ疑問の一つである。

弱冠29歳の朝青龍。これからどう生きるのか? 温かく見守っていきたいなどと、柄にも無く大人じみて感じ入っていたのである。

過ぎ行く冬を惜しんで「鍋」考現学なのだ

人間にとっての厳しい季節である冬も、あともう少しで通り過ぎようとしている。昼間ポツポツと降りかかっていた雨も上がり、何やら生暖かい空気が吾が身を包んでいた宵なり。一杯やろうかと立ち寄った店にて食したのは「餃子鍋」であった。

鶏がらの出汁をベースにした濃い目のスープに大型の餃子と白菜などの野菜類、それに白滝風の麺が顔を覗かせている。肉や魚が無いぶん、それだけカロリーも低く抑えられ、しかも存分に鍋を食した気分になれるのである。ありそうでなかった鍋のアールヌーボーと云って良いだろう。

昨今の鍋事情を振り返って、ベスト5を挙げてみれば、次のようになるだろうか?

1 アンコウ鍋(やはりこれは別格)
2 テッチリ鍋(やはりこれも別格)
3 しょっつる鍋(これまた絶品の相性なのだ)
4 ほうとう鍋(味噌と南瓜の相性が○なのだ)
5 餃子鍋(中華スープの鍋が○なのだ)

その他の多くの鍋類(寄せ鍋、ちゃんこ鍋、モツ鍋、カレー鍋、トマト鍋、火鍋、おでん鍋、芋煮鍋、等々その他諸々)に関してはおしなべてごった煮風の鍋であるゆえ、評価の対象外とさせていただきました。

私はいつも都会をもとめる 4〔浅草ホッピー通り編〕

つい最近までは浅草の「六区」「ロック通り」等と云っていた界隈の通りが、今では「ホッピー通り」「煮込み通り」などと呼ばれているらしい。かつて浅草のストリップ劇場で芸を磨いていたビートたけしは、この辺りで出される煮込み料理には、牛や豚ではなく犬の内臓が煮込まれている等と云い放って物議をかもしていたのである。そんなことも今や昔のことに思えるくらいに、浅草ホッピー通りはすっきりとした街並みを、これ見よがしに顕示しているのである。外国人観光客のメッカとも呼べる浅草で、この通りが今まさに変貌を遂げつつあるということに、今更ながらに驚くのである。

これから下にアップする写真は、以前に訪問した際に撮影したものである。近くには伝法院通りなる観光名所もあり、こことセットで訪れる観光客のスポットとなっている。

ホッピー発祥の店でみる人間模様

 本日立ち寄ったのは、有楽町駅近くガード下の店舗なり。入口前には「ホッピー発祥の店」の看板が目に付く。何となく入りたくなる風情に誘われて、何度か通っている店である。入口をくぐって地階に潜れば居酒屋、半2階の階段を上がればアイリッシュパブ風の店舗が広がっている。和洋折衷なのである。

おいらの行きつけはホッピーの飲める半地階の居酒屋だ。客の半数以上がおそらくホッピーを注文している。焼酎のいわゆる「なか」を、ボトルで注文する猛者も少なくない。名物女将のおばあさんが店を取り仕切るいつもの光景。

「今日は金曜だからさあ、これから忙しくなるんだよ…」

と、愚痴とは云えない小言を述べては注文を取りにくるのだ。今日はお勧めの太刀魚の刺身と小さな里芋(何とか云うメニューの名前があったが忘れてしまった)を注文、お酒はもちろんホッピーである。

隣席では、欧米客カップルにエスコートするペラペライングリッシュの女性と合わせて3名が、豪華な刺し盛りを挟んで談笑している。脂の乗ったトロの色が刺激的である。熱弁を振るっていたのがエスコート歴も長いであろう妙齢の美女である。地下鉄線のMapを広げて、これから次に向かおうとする場所の説明をしているのであろう。GoogleMapを印刷したような地図を広げつつ、エスコートを続行中なり。酔人観察には目がないおいらは、そっとその光景を眺めていたのだが、ふとエスコート美女と目が合うと美女は、

「ちょっとすいません。この駅は何という駅ですか?」

と尋ねたのだ。Map上にある駅は「木場」。「きばですよ」と、おいらは答えた。ただそれだけのやりとりではあったが、何となくエスコート役の案内美女にシンパシーを感じた、今宵の銀座の夜であった。