武田鉄矢の「贈る言葉」より贈る花束

職場のスタッフが一人またひとりと去っていく。こんなときに贈る言葉を伝えたいのだがなかなか思いつかない。武田鉄也の「贈る言葉」ほど白ける文句は無いだろうからそれだけは口にしないよう努めている。

幹事女史は花束を贈って旅立ちの祝辞を述べていた。けだしそれがすべてであろう。

テリー伊藤が観光大使の「築地」を散策

東京の台所こと築地は、銀座からも歩いて数分の距離に位置しており、昼休みの散策にはもってこいのスポットである。国内外の観光客でごったがえる場外市場を歩いていけば、それこそ甚大なる食の宝庫である。近頃はタレントテリー伊藤のポスターがよく目に付く。ご存知「丸武」という玉子焼き店は彼の実家が経営している。兄の「アニー伊藤」は昼時には大体店に顔を出している、有名人である。テリー伊藤氏は築地の観光大使もしているようで、関係無い店の軒先にさえテリーのポスターが飾ってあった。

おいらも月に数度はこの築地界隈を散策している。昼食時によく立ち寄るのは「井上」のラーメン店。煮干の出汁が効いたつゆが絶品であり、これぞ日本が生んだラーメンの原点であると想ったりもする。これを食べた後でごてごてチキン風中華スープのラーメンなど、食べたくもなくなるくらいに、食欲中枢を刺激する何かがある。普通のラーメン店ではこうはいかない。否応なくではあるが、仕方なく栄養補給の為に足を運んでいることなどを意識することさえある。普段の生活をかき乱すが如くに立ち寄る「井上」ラーメンの存在は云わば犯罪的でもあるくらいだ。

定食屋も悪くない。煮魚定食も二種類くらい用意されていて、大体どれもがじっくりと時間をかけて煮込まれている。朝早くからの仕込みでじっくりと時間をかけていることの証明でもあろう。

但しここ界隈の寿司屋に関してはといえば、一元の観光客目当てにぼったくりの商売をしている店舗も少なくないので注意を要す。観光地区にて相場の数倍の値段を付けている店舗は避けて通るのが賢明である。

散る桜 残る桜も 散る桜(良寛和尚より)

多摩の富士森公園で観る桜も、桜吹雪が舞っていて綺麗でした。そして、良寛和尚が詠んだという有名な一句「散る桜 残る桜も 散る桜」を想い起こさずにはいられないほどの、春うららの日和でありました。

この一句、良寛先生の辞世の句という説もあるが、定かではない。これほどに決まった名句を、辞世の句として詠めたとしたら、天才中の天才としてその名を歴史上の至るところに記すことになることでせう。だがそんなことはなかったらしい。とても人間的な良寛和尚の、陽春の頃に詠んだ一句だと想いたい。命の表象としての「桜」の、さらに晩年の命としての「散る桜」。それは生命力を全うして散っていくという姿を表象しているのかもしれない。ところで今年の開花前線は、専門家泣かせであったらしい。寒かった春が一挙にポカポカして陽春を主張し出したのだから難しいのだろう。「女心と春桜」という一句を詠んでみたのだが、全然決まらぬ。

ピンクが映える上野の夜桜は見ごろなり。

関東随一の夜桜のメッカといえば、上野の恩賜公園である。糸井重里さんの言葉を待つまでもなく、桜の木の下にビニールシートを敷いて宴などに興じている人々は馬鹿者の権化である。昨今は馬鹿が許される場所は少なくなったが、ここ上野恩賜公園は馬鹿者が特権的に棲まう場所なのであろう。

朝には暴風を吹かせた天気も落ち着き、夜桜の見ごろとなった。白けた都会の桜を見るのはぱっとしないのだが、こんな夜桜は悪くなく、興趣をそそるのである。ピンクが映える都会の夜桜は昼の桜の数段上等な趣をかもし出している。上野の桜、特に夜桜は、この数日が見ごろだろう。

つぼみが開く瞬間こそ花の見ごろ

昨日の未明から、東京は大荒れだったらしい。らしいと書いたのは、家を出るまでそんなことは実感できなかったが、家の周りの風景が乱雑模様で散らかっていた。まるで台風一過の朝の光景に思えたのだ。しかも屋根のトタン材の一部が落ちて庭に転がっていた。慌てて屋根の修繕業者を呼ぶ羽目に。帰省する予定が急遽変更となったわけである。結局は屋根に上ってもらったところ、我が家ではなくお隣さんの家の屋根だったことが判明。普段は留守宅のお隣に、飛んだ屋根材とメッセージを置いてきたのだ。

そんなか、東京の染井吉野桜の開花宣言が発表された。例年より6日ほど早いという。昨日新宿御苑を散策したのだが、数十種類ある桜の木のほとんどに花を咲かせていた。地元の多摩でも見かけた「小彼岸桜」や「寒桜」「しだれ桜」などなど、一度に数十種類の花見見物ができる場所など、此処くらいしかないのではないか。今の季節は「染井吉野」がまだつぼみ状態で、控えめでおとなしくあり、却って桜鑑賞にはもってこいなのである。もともと江戸時代の信州高遠藩主の屋敷だったという土地柄なのか、高遠が発祥の「小彼岸桜」が勝ち誇るようにして威勢が良い。手入れも行き届いている。そんな姿がとても目に付いたのである。

本日は愛機「オリンパスペンE-P1」に「ニッコール28-85mmズーム」を装着して地元散策に出かけた。多摩の公園の桜はまだおとなしい。都心との気温差が3度程度あるというくらいだから、東京の開花宣言とはずれが生じるのだろう。どんな花もそうだが、つぼみが開くときのその移り変わりの瞬間が最も興味をそそるものである。

クラウス・シュルツェ japan live 2010

本日は日頃体験できないプログレロックを鑑賞できたので、気分は晴々なのであります。う~ん、それにしてもクラウス・シュルツェさんの存在感は凄かった。眠りを誘うアートというジャンルをシュルツェさんは展開しているのかもしれない。(※名前の呼び方を修正しました)

沢尻エリカは井筒和幸監督の呼びかけにきちんと応えよ!


沢尻エリカの復帰初仕事となるたかの友梨ビューティークリニックCMを、本日初めて目にした。レーザー製の衣装と見えていたものは、実はCG処理を施されたものであったことが判明した。とするならば沢尻エリカは全裸でCM撮影に臨んでいたということになる。その心意気は良しである。だがやはり、CMにて仕事復帰というシナリオは、誰が描いたのかは知らぬがいただけない。復帰をするならば映画の主演女優を演じるという王道を歩んで欲しかったのだ。名匠・井筒和幸監督も、エリカのことを心配して呼びかけを何度か行なっていたではないか。エリカよ目を覚ませ! そして原点に立ち戻れ! なのである。

そんなことを叫んでみたところで本人の耳には届かないことだろう。だから今宵はちょいと視点を変えて、エリカたんの「別に…」発言の持つ意味について、考察してみるのである。

事件となったのが、映画「クローズド・ノート」の舞台挨拶である。行定勲監督による同作品は駄作ではないが大したことはない。フツーの娯楽作品としての条件を満たしているものに過ぎない。井筒監督ならばさしずめ「テンポがなってない」などと一蹴するに違いないだろう。もしやもしやの仮定話であるが、エリカたんが「こんな通俗映画なんか、私だいっ嫌い」などという思いを秘めてあの「別に…」発言を行なったのだとしたら、大した大物である。それならばなお更に、これからの彼女がとる道は決まってくるのだ。井筒和幸監督の呼びかけに早く応えて、井筒さんとともに納得できる映画づくりにまい進するしか、エリカたんには道がないのである。沢尻エリカよ、早く目を覚ませ! なのである。

パッシングされた沢尻エリカの向かうべき今後の、正と邪。

銀座のソニービルでは沢尻エリカの巨大なポスターが道行く観光客らの人々の視線を釘付けにしている。極小ブラと腰まわりを隠した皮製のなにやらを身にまとってポーズしているのだから、思わず知らずに足を止めて見つめてしまうのもせん無きことだと云うべきだろう。ポスターに踊っている「沢尻エリカ、解禁。」のコピーは、様々に不穏当な憶測を呼ぶのだが、まあ何てことはない、芸能界に復帰できてオメデトー、初仕事はこれたかのゆりのCMですよと、まあ単なる人を喰ったセレモニー、イベントのである。

そもそも沢尻エリカと云えば、井筒和幸監督の映画「パッチギ」で女優デビューを果たし、その可憐な存在感で多くのファンを魅了したものであった。それが一昨年の「別に…」騒動で芸能マスコミの餌食となってしまった。ちょっとばかりお行儀が悪かったという程度のネタなのだが、それが芸能マスコミの格好のターゲットとされ、パッシングの対象となったのだから不運であった。

「持ち上げるだけ持ち上げて、落とす」。これが芸能マスコミの基本的スタンスである。沢尻さんはデビュー間もなくさんざん持ち上げられていて、たぶん有頂天になっていて、「私は女優よ、もともと女優よ。女優なんだから生意気よ。生意気なんだから、マスコミは媚び諂いなさい。」云々という、云わば思い上がり的境地に辿り着いたのではあるまいか。ただしそんな境地はまだかりそめのものであって、芸能マスコミがお膳立てしたものでしかなかったのである。だから結局のところ、芸能マスコミの格好のネタにされてしまったことを強く認識すべきなのである。

おいらはかつて芸能マスコミの一員として仕事をしたという恥ずべき過去を有しているが、ただし沢尻エリカさんをパッシングするような邪道なサメ集団では決してない。それどころか、エリカさんの復帰を歓迎するものなり。敬愛する俊才、井筒和幸監督が見込んで主役に抜擢した逸材が、こんなことで萎んでしまってはならないのである。もう一度「パッチギ」に抜擢された女優の原点に立ち返り、女優としての再起を図る心づもりが必要である。CMに起用されたからと云って浮かれていてはいけないのである。

多摩の早咲き桜は「小彼岸桜」というそうな。

小ぶりだがピンクの可憐な花びらが艶やかである。

先日雨模様の中で見かけた桜のことが気になって、も一度眺めに行きました。しかしながら桜の花までの距離は想いの外に遠く、3メートルはあろうかと云うほどの、遠距離恋愛ならぬ遠距離鑑賞デーとなった訳である。こういう場面に遭遇したおいらとしては、徹底的に近付こうと試みるかあるいはそのまま立ちすくむか、どちらかを決断しなくてはならない。まるで想いを寄せる女性に対する仕草と似ていなくも無いのである。だが鑑賞を深めつつそんなことはどうでもよくなってきたのである。小ぶりだが可憐な花びらを開花させて愉しませてくれる、地元多摩の小彼岸桜は、まるで忘れていた胸きゅん体験にも似ていたのでありました。

八王子の富士森公園といえば春の桜で有名だが、早咲き桜の種類はやはり、染井吉野ではなかったようである。

聴くところによると「小彼岸桜」という名前だとか。う~む、なんとも風情豊かな名を付けられたものである。もうすぐ、彼岸の頃には満開の花を咲かすのだろう。ちゃらちゃらと着飾った華やかさはなく、却って可憐であり瑞々しさが伝わってくるのであります。

早咲きの多摩の桜に見とれていたのです。

些かローカルな話題になるがご容赦あれです。八王子の富士森公園といえば、多摩地区では春の桜で有名であります。

先日は小雨の降る中富士森公園を散策していたのでしたが、散策の歩を休めてふと見れば、しとしとしとどに侘しい公園の桜の木には、あれやこれやの花が咲いていたのでした。そりゃ吃驚でしたのです。やはりメジャーな染井吉野風情とは顔も形も一味違うぜおいらたちは!的な、至極天晴れな姿を目にしたのでした。

天邪鬼なおいらにとってはまさに感動の賜物なり。どこが違うかって云っても、伊豆の河津桜みたいに別種のものではないし、親戚付合いは拒まないし、これからもどうぞよろしくと、挨拶したくなるくらいの違いでしかないのですが、それにしても早咲きの天晴れは見事でした。ひとよりも先んじて咲く桜はまさに桜の中の桜である。うっかりして写真に撮れなかったので、近々のリベンジを誓う今宵なのです。

http://hanami.walkerplus.com/kanto/tokyo/S1309.html

「睡眠障害」という現代の病

「週刊新潮」最新版のコラム「あとの祭り」にて、作家の渡辺淳一さんが眠りの障害について書いている。作家に加えて医師という肩書きも持つ彼には、不眠症を訴える人が増えているという。そんな相談には「眠れないのなら、眠らなくてもいいんだよ」とアドバイスし、それが効いたと述べているのだが、あやしい限りである。

対して川上未映子さんもまた同週刊誌の連載コラム「オモロマンティック☆ボム!」にて、自身の「睡眠発作」について記していた。読めば、「鈍器で殴られたような眠気」に襲われるのだというのだ。「ナルコレプシー(睡眠発作)」という病名まで記してその深刻さを訴えているのだ。

前々から感じていたことなのだが、未映子さんの美貌の側面には、眠気を誘うような独特の気だるさ、アンニュイ感があって、そんな彼女の眠りの世界にご一緒したいという無意識裡の願望が、彼女の表情に特別な気品の憂いを添えているのだろうと感じるのである。しかしながら当のご本人は、彼女の眠りの中の世界では、怖さや悪夢ばかりに悩まされているというのだから尋常ではなく甘くもないのである。結局のところ未映子さんは、飲めないコーヒーを飲んでみるしかないのかと〆ているのが妙に痛々しい。

かつておいらが某出版社に籍を置き、一般書籍の企画編集を手掛けていた時分には、「睡眠障害」をテーマにする書籍の企画の出版実現に動いていたことを想い出した。自らを顧みつつ、そんなテーマの出版物の必要性を感じ取っていたのだったが、残念ながらその企画は実現しないままぽしゃってしまった。機会があればまたその実現を企図していきたいなどと想っている今宵なり。

本日もまた寒波が吹き荒れていて、春日まだ遠しなのであり、睡眠薬代わりのアルコールが必要となってくるであろうなどと、いささか構えつつ、人生の三分の一の時間を費やす睡眠との良い関係を持ちたいと切に希うのでありました。