日中食文化のギャップを象徴する「大根餅」

中国料理店でふとメニューにとまった「大根餅」を食した。大根を使って餅にする、そんな料理があるとは意外だった。十年以上以前にこのメニューを食して以来、とても気になる一品なのである。代表的な点心でありながら、これまで日本人にとっては何故か馴染みが薄かったメニューであり、日中間の食文化の中での大きなギャップだろうという思いを強くしているのだ。

中国人の知人に聞いたところによればこの大根餅こそ、特別な記念日に食されるという、ハレの日の特別なメニューなのだという。特別に美味だとも高級だとも見えないこの点心に、どのような意味が隠されているのかと興味が深まるばかりであった。

レシピは簡単である。皮をむいた大根を摩り下ろして、上新粉、片栗粉等を混ぜ合わせた特製生地を蒸して焼くという。これが基本となる。風味付けの葱や、海老などの海鮮魚介類を加えたりするのも一般的だ。形は四角くカットしたり丸く成型したりと様々ある。もちもちした食感が「餅」には違いないが、日本人が親しんでいる「餅」とは明らかに別種の食べ物だ。

ぎらぎらとした油成分が一見して目に付いてしまう。大量の油で焼いていくのでこの油ぎった食感は大根餅ならではのものだ。さらには「点心」一般に特徴的な要素と云えるだろう。中国料理は「火」が命だとされている。大量の油と火を駆使してこそ中国料理の基本形が成り立っている。つまりは「火」を用いない中国料理は、謂わば邪道的な料理でしかない。

それに対して日本料理における「火」とは、あくまで脇役に止まっている。食材を活かして調理することこそ日本料理の真髄であり、火の料理法とは大きなギャップが存在している。けだしこのギャップは水と油と云えるくらいに大きなものであろう。

川越達也シェフがプロデュースした「僕の味噌らあめん~ボロネーゼバター添え」を食する

本日のTV番組では、川越スマイルがモットーのようなグルメ番組が放映されています。川越シェフと云う人はとても苦節を重ねている人のようですが、あの笑顔(スマイル)だけはおいらは個人的に、素直に受け入ることができかねているのです。

そんなこんなの今日日、苦節を重ねた川越達也シェフがプロデュースするというラーメン「僕の味噌らあめん~ボロネーゼバター添え」を、目に付いたポスターに引き寄せられて、おいらも食してみました。

別に悪口云う気持ちは全くありませんが、普通の味と食感と食べ心地を満足させるものでありました。特別に悪い印象と云うものは抱かなかったのですが、積極的にPRするような物語が見当たりませんでした。

そうこうしながらしばし食しているうちに、何だかファーストフードの食材を胃袋に押し込んでいるような気分になってしまった。食の満足といおうか、食文化とでも述べようか…。そのような文化的人間的な気持ちが失せる体験であったと感じざるを得なかったのである。至極残念ではあった。

今日の番組は、いつもの青木さんではなくて新人の人がコメントしているようですね。新人ながらに気負っているのでしょうがコメントは軽々しくて嫌になります。やはり青木さんのコメントを聞きたいと思いましたのでした。

Wさん邸で、一人ホッピーの新年会を愉しむ

少し遅い新年会があった。毎年この時期になると、場所を替えつつホームパーティー式に行なっているのだが、今年は渡辺さん宅へお邪魔したのでした。

TANUさん、アキンさんとの4人で待ち合わせした後に地元スーパーで鍋の材料、酒類等を買い込んで、駅から徒歩1~2分の邸宅へと案内された。初めて訪れる瀟洒なマンションの高階のベランダから眺めた風景は格別であり、都心のビル街や多摩丘陵、湘南方面までを眺め渡せており、しばしその景観に見惚れていたものであった。鍋料理の他に奥さん手作り料理を沢山ご馳走になった。鶏と大根の煮物はとても照りがよく、甘くしっかりと煮込まれており、ホクホクの味わいであった。まさしく家庭料理の代表格であろう。まだまだおいらの手作り料理も年季が足りないことを思い知らされたのでありました。

ご馳走を目の前にして食欲ばかりが増進した為か、写真に撮ることを忘れてしまった。この味は舌と胃袋にしっかりと記憶させておこう。

通風が収まったばかりのおいらは、他のメンバーと違えてビールを控え、一人だけホッピーをちびちびとやっていた。すっきりと美味なホッピーで旧友との会話もいつになく盛り上がっていた。余ったホッピーは土産として頂き持ち帰ってきてまたちびちびやったのでありました。

カール・ゴッチ直伝のストロングスタイルを貫き、プロレスの黄金期を支えたタイガーマスクの想い出

伊達直人という名前で児童養護施設へプレゼントするといったニュースが、メディアを賑わせている。「伊達直人」という名は、かつてのアニメ界のヒーロー「タイガーマスク」の別の名(本名)であり、自ら児童養護施設出身者でもある。自分が育った施設にプロレスラーとして稼いだ収入を寄付し続けていたというアニメのストーリーもあり、タイガーマスクに自己の心情を投影した篤志家による寄付行為であったと見做されている。

ところでおいらはかつて、タイガーマスクの取材を行なっていたことがある。あれはおいらが出版の仕事を始めて間もない頃。松田聖子などのジャリタレの尻を追い掛けるのに辟易していた時のことだった。「タイガーマスク大全集」という少年百科文庫の仕事が舞い込んできたのである。出版の世界でおいらがその時初めて、まともな仕事にありついたということを記憶している。事務所の先輩たちとの取材・編集・執筆・制作の仕事に明け暮れていたことを強く想い出すのだ。

上に挙げたのは、おいらがタイガーマスクの必殺技「タイガースープレックス・ホールド」を描いたページである。タイガーの闘いを目にするにつけ、彼が汲み出す技の数々に非常な感嘆の思いを抱いていたのである。プロレスの技は芸術品でもあるという思いを強くして描いたという記憶が強くのしかかってくるのである。アニメではなくて実在初代のタイガーマスクは、残念ながら伊達直人ではなく佐山聡という名前であった。そして佐山聡さんは凄い人で人格者でもあったのだ。

商業プロレスの世界に身を置きながら、初代タイガーマスクはカール・ゴッチ直伝のストロングスタイルを貫いて闘っていた。宿敵ダイナマイト・キッドに対しては、デビュー試合の闘いで「タイガースープレックス・ホールド」で完膚なきまでに勝利を勝ち取った。実力、人気共に群を抜いていたが、決して楽な闘いではなかった。ダイナマイトキッドとも因縁の闘いが続いていた。一時は「パイルドライバー」という荒業にて首の骨にも損傷が見られることもあった。当時の試合においらもリング脇で取材していたのだが、「No! No Pile driver!」と、必死に叫んでいたタイガーの姿は目蓋の底に潜んでいるのだ。

おせちの食べ過ぎで痛風が疼き出したのです

昨日あたりから足指の付け根に痛みを感じている。当初、どこかでひねったかぶつけたりしたことからの痛みだと思っていたが、そうではないようだ。ここずっと鳴りを潜めていた「通風」の虫が、この期に及んで疼き始めてしまったようなのである。

原因は確かに存在していた。先ず、おせち料理重の中に大量にあった数の子をどか食いしてしまったこと。鰯の甘露煮もまた危険因子だ。それらの食物中に存する「プリン体」という成分をたっぷり摂ってしまったこと。そして実家に帰省中にはビールをよく飲んでいたこと、等々…。プリン体対策を怠っていたことが、今回の通風の虫を蔓延させる要因となったことは想像に難くない。反省しきりなのである。

以前の健康診断でおいらの血液を採取して調べたところの分析データによれば、一般に比べて「尿酸値」が異常に高いのだという。ドクターは「高尿酸血症」という症例を挙げて将来的に患うであろう「通風」の危険性を説明していた。10年ほどは何事もなかったが、いよいよ発症したのが5~6年前であった。

この尿酸値を高める原因となるのが、食物に含まれる「プリン体」という成分。ちなみにデザートのプリンとは関係がない。プリン体を多く含むのは、先に挙げた「数の子」など魚の卵類をはじめとして「ビール」「肉類の内臓」「大豆加工品」「蟹・海老など甲殻類」等々、おいらの好きなものばかりなのだ。妙な因縁である。どうもおいらの嗜好性が、プリン体とは切っても切れない関係にありそうなのだ。

とにかく通風が猛威を振るったらが最後、1週間はまともな社会生活が出来なくなるので、兎に角も食生活の見直しを実行だ。しばらくはビールも酒も、そしてプリン体食品も摂取を控えよう。

卯年の元旦に見た初夢の話

卯年の元旦、本日見た初夢は果たしてどのようなものだったのか? 改めて思い起こしてみる。

ぴょんぴょん跳ねているうさぎを追いかけて、何処か知らない街の古ぼけた建物に迷い込んでいたような気がする。果たして追いかけていた相手がうさぎであったか否かは定かではなく、別の動物か或いは人間のような生き物であったのかも知れない。追いかけっこを楽しんでいた余韻を、起き際に感じていたような気もする。

夢というものはまことに捉え難き代物であり、ひょいと両腕で掬ってみたと思えば、いつの間にかするりと逃れて逃げていってしまう。ぴょんぴょんと飛び跳ねていってしまった夢をまた追いかけようとすれば、ちゃっかり近くに寄り添って挑発したりする。追っては逃げ、逃げては追うの繰り返しである。

追いかけるという体験は決して悪くない。少なくもおいかけられるというイメージよりはずっとましであり、エネルギーの噴出から得られる充実感は貴重である。

リアルであれバーチャルであれ、追う対象を持ち得たとき、人間は若さを実感するものだ。リアルとバーチャルは往々にして敵対し、互いを潰しあう関係ではあるが、本日の初夢のバーチャル感をリアルな起床が潰さなかったのは幸いであった。

という訳で、本年卯年の初夢は、結構目出度い部類に入るのではないかと分析してみたところなのでした。

「カツ丼カレー」はやっぱり外れだった

「カツカレー」ならぬ「カツ丼カレー」というメニューが目に付いたので、試しに注文してみた。

まずはカツ丼の具、所謂カツの卵とじをひと口頬張る。豚肉も軟らかく程よく噛み応えあり。そして、カレーの中にカツ卵とじを浸して食べたところ、ピリリとしたカレーのスパイスが、卵とじのべちゃっとした甘さに似合わず、惨憺たる味わいであった。

その後はカツ丼はカツ丼として、カレーはカレーとして、別々に混ざることがないように分けて食したのだ。こういうものこそ、外れのきわものメニューの最たるものだろうと考えた次第なり。名古屋には、このようなきわものメニューが多いと聞く。このように何でもかんでも合わせれば新しいメニューが出来ると考えるのは、もののハーモニーということを欠いている。とても野蛮な思考癖と云わねばならないのだ。

世の中にはハーモニーを欠いたメニューが散在している。そもそもブログでもやっていなければ、このようなメニューを試すこともなかったであろう。もののハーモニー欠いた、謂わばアンハーモニーの味覚を体験することを得たのであり、たまにこうした体験をしてみるのも悪くないのだ。

年末この時期のTV番組はどれも酷いな

年賀状印刷をしようとセットしたプリンターの調子が悪く、給紙がうまくいかない。連続プリントはおろか、1枚印刷が出来ないのだ。それでもだましだまし給紙の位置、方向などを調整して終了。結局、印刷だけで2日間もかかってしまった。

やっと揃った2011年版年賀状を投函、ぎりぎり正月に間に合うだろう。年中行事とはいえ、これが終わらなくて年末が落ち着かなかったが、何とかほっとしている本日なのだ。

ほっとしているのも束の間、暇つぶしにかけている年末のTV番組は酷いな。ほとんどの局で特番だとか流しているのは、顔も知らない芸人やらタレントやらを集めて、内輪ネタで大騒ぎ。特番だから3時間もの長時間の垂れ流しだ。

それに加えて番組の低級化、低俗化はバラエティばかりではない。ニュースの時間といったら、またまた市川海老蔵ネタで大騒ぎ。結局は示談で手打ちとなったことを、これまた大仰な記者会見で述べていた。

たしか父親の市川団十郎は、少し前の記者会見で「示談はない」と説明していたんではなかったのか。それが一転、示談会見とやらには驚いた。歌舞伎役者の口も政治家に負けず劣らず軽いんだなぁ。1ヶ月以上引っ張った割にはニュース番組の決着もこのくらいかと、唖然としてしまった今宵なり候。

「どくだし茶」で野草の恵みを味わう

近頃常用にしているお茶がこの「どくだし茶」。どくだみを中心にして、数種類の野草(どくだみ・はとむぎ・ハブ茶・熊笹・枸杞・アマチャヅル・ウーロン茶・キダチアロエ・ビワの葉・桑の葉・柿の葉・ほうじ)をブレンドしたお茶である。かつて岩手県花巻の大沢温泉自炊部に宿泊したとき飲んだ、あの時の野草茶の味によく似ているのだ。

http://www.bidders.co.jp/pitem/41090574

どくだみという薬草は「十薬」と呼ばれ、利尿・湿疹・腫れ物・蓄膿症などに効能があるとされている。梅雨時には白い花を咲かせ、生の葉を天ぷらなどにして食用に用いられることもある。薬草特有の匂いがして好き好きであるが、慣れてしまえば気になる匂いではない。はと麦はイネ科ジュズダマ属の穀物で、お米と一緒に炊いて食用にも用いられる。ビタミンB1が豊富で、利尿作用、抗腫瘍作用などがあるとされている。その他、桑の葉、柿の葉はダイエット効果が注目されており、昔から我が国でも糖尿病予防、肥満予防に用いられている。

「どくだし茶」というネーミングは、数年前からの流行語「デトックス(毒を出すの意味)」を意識してのものだろう。余り良いネーミングだとも云えないのだが、毎日5杯以上飲んで、毒出しならぬ酒出しに励むこともある。何しろ天然野草の香りと旨みと恵みを手軽に摂取できるのが嬉しいものだ。

水嶋ヒロ(齋藤智裕)「KAGEROU」の文学賞受賞と純文学の衰退

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ポプラ社文芸大賞を受賞したということでセンセーショナルな話題の、水嶋ヒロ(齋藤智裕)著「KAGEROU」。前評判とは裏腹に酷評の嵐の様相を呈している。気になっておいらも書店で3回程度立ち読みして読了。やはりと云うのだろうか、まるで映画のノベライズ化された本を読まされているといった印象であった。あるいは、妙にあれこれと手垢のついたコミック本のストーリーを作者なりの恣意性によってアレンジして作り上げられた作品とでも云おうか…。純文学としての作品を期待していた一読者としては、期待外れに留まらず失望の念を禁じえない。

閑話休題。

まあ、新人作家に対する毀誉褒貶は様々なものであるので気にすることはない。何も水嶋ヒロを芥川賞作家に匹敵する作家だと予想していた訳でもないのだ。ありのままに評価するしかない。

そしてそれ以上に暗澹たる予感として感じるのが、我が国の純文学或いは純粋芸術の衰退である。欧米各国それぞれ、純文学の作家を輩出している中で、こと日本という国にはそれを涵養する土壌があるのか否か? ちとばかり、欧米の事情とも鑑みつつ考察してみたいのだ。そんなテーマとして突き刺さってしまっている。いずれ当ブログでもレポートするつもりだ。

紅葉見納めで訪れた「夕やけ小やけふれあいの里」の風景

紅葉の見納めをしたくて、先日「夕やけ小やけふれあいの里」を訪れた。

高尾の駅からバスで約30分、陣場街道を走っていくと「夕焼け小焼け」というバス停に辿り着く。紅葉のピークは過ぎたが、まだ都市部には見られない落葉樹の色づきに接することができたのです。

今年は猛暑で紅葉の出足は遅れて色も鈍いが、東京近辺ではしぶとく長く色づいている。いろいろ訪ねてみれば意外な出会いにも遭遇したし、見所も発見できたのだ。特に近郊の里山周辺は、季節の様々な色合いに驚かされる。

この施設はかなりの広大な敷地にあり、夕焼小焼館、ふれあい牧場、御食事所、宿泊施設「おおるりの家」、キャンプ場、そしてポニーやウサギと触れ合えるふれあい牧場が並設されており、さながら自然のテーマパークといった趣だ。登山道の入口でもあり、陣場山、高尾山とも繋がっている。

八王子市上恩方町という地域は、童謡「夕焼小焼」の作詞者・中村雨紅(本名 高井宮吉)の出身地である。今のようなバスや自家用車の便は無く、駅から里山道を歩いて通った日々に見た夕焼けのイメージが、この名作を生み出したのだという。中村雨紅ホールもあるので、興味ある人にはお勧めの場所だ。

■八王子市夕やけ小やけふれあいの里
東京都八王子市上恩方町2030
TEL 042-652-3072 / FAX 042-652-4155

色づく街の色づく公園で、南沙織を聴いたのです

この数日来の寒波襲来で、東京の街も着実に色づいてきた。近場の公園や裏山を散策するだけで紅葉の季節を実感する。東北を旅行して観た紅葉の美しさには敵わないが、それでも散策する行き先の処々で目にする、イチョウやモミジに見とれてしまうこともしばしばだ。

ビル街を通り越して公園を歩くと、どこからか「色づく街」のメロディが聴こえてきた。南沙織が1973年に歌ってヒットしていた曲だ。「17才」とともに彼女の代表的な曲として知られている。高橋真梨子、三田寛子、水野美紀、その他様々な歌手がこの曲をカバーして発表している。松田聖子がこの曲を歌ってアピールし、その後の歌唱賞を獲得したというエピソードは有名である。それにしても今なお、南沙織の楽曲が21世紀の今日に響いていようとは、発表当時の関係者の誰もが想像し得なかったことに違いないだろう。

作詞は有馬三恵子氏が手掛けている。芸能界での活躍は相当なものだが、作詞家のプロフィール、個人情報は、いまだ謎ばかりだ。名前だけの作詞家という存在があるならば、有馬三恵子氏はその筆頭とも目される。何ゆえにこれほど個人情報を秘匿するのかと、以前おいらは不思議だったが、今にして思えばこれぞ、賢い作家的戦略であったとも云えるかもしれない。

さて紅葉といえば、落葉樹が色づいた葉をその後に地面の上に落としていくのであり、そのイメージは「失恋」を連想させるのであり、必然的に失恋の楽曲へと繋がっていくのだ。南沙織が歌った「色づく街」は、まさにそのイメージを我が国の国民的感情として定着させるに値する、忘れられない名曲となった。日本人はとても失恋の歌が、詩が好きである。失恋大国日本の代表的な一曲となる可能性を秘めているのだ。

ボジョレー・ヌーヴォー&牡蠣グラタンで乾杯なのだ

昨日11/18にはボジョレー・ヌーヴォーが解禁となって、毎年ながらマスコミは大騒ぎ。今年はペットボトル入りのものも出ていることを知り、試しにそちらの方を飲んでみることにした。「PHILIPPE DE MERY」とラベルにあり、メーカーの名のようだ。つまり「ボジョレー・ヌーヴォー」は数社から販売されているということ。考えてみれば当然だが、これだけ世界のブランドとしてアピールするための、国家挙げての協同戦略が存在するということ。

ボジョレーとはそもそも、フランス・ブルゴーニュ地方の一地域を指している。其処で採取され生産された新しい(ヌーボー)ワインという定義なのだから、それ自体曖昧糢糊としており、その曖昧さが世界的ブランド力の背景として存在する。毎年大騒ぎされるのも、それだけ枯渇することのない豊富なネタに依っている。

特別な原料(ガメ種またはガメイ種と呼ばれる品種のぶどう)を用いて特別な製法に依ることなど、定義が煩雑だということ以上に、毎年ぶくぶくと湧き水のように量産される話題性こそが、世界的ブランドを支えているということなのだ。

ワインと呼ばれる飲み物の中ではとりわけフルーティーで、強い酸味が口腔を刺激する。余計なコメントだが「赤玉ポートワイン」とは大違いだ。アルコールの匂いが少ない分、フレッシュな葡萄酒の様にあとを引く。明日の宿酔いが心配だ。

特別なワインのつまみに選んだのは、牡蠣のグラタン。最近牡蠣グラタンのことばかり書いているような気がするが、今日ばかりは外せない。マクロビオティックの健康料理とは矛盾するが、「海のミルク」等と呼ばれ、ミルクとチーズのソースで焼き上げる料理は、ワインにはピタリンコの相性なのだ。解禁日1日遅れの乾杯の気分なのです。

糸井重里さんもおすすめの「上州手振りうどん」

上州(群馬県)産100パーセントの地粉とオーストラリア産小麦粉とで作られたうどんなのだが、これがまたつるつるシコシコと喉越しが良く美味なのだ。上州出身の先輩、糸井重里さんも御用達にしている、いわばお墨付きの逸品である。

麺自体に食感があるので、もりうどんでもいける。茹でた麺を冷水できゅっと冷やしてもれば、つるっとして腰があるもりうどんがすぐ出来上る。朝の忙しい時間にも簡単に調理ができ、胃にももたれない。まあ早く云えば、二日酔いの朝食にはもってこいなのだ。

麺は讃岐うどんのようには太くなく、中太麺といった感じ。上州には「水沢うどん」という名物があるのだが、それをもう少し細くしていながら、つるつるしたうどんの腰は残っている。水沢うどんは半生めんとして出荷されるが、手振りうどんは完全な乾麺である。丁寧に練ったうどんの細く伸ばし、それを時間を掛けて乾かすのだという。水沢うどんは通常10分以上の時間を掛けて茹でるのだが、手振りうどんは4~5分で充分な柔らかさになる。単純に比較は出来ないが、日常食べる乾麺としては、手振りうどんに分があるのではないか。

トッピングによく用いるのは、油揚げ、なめこ茸、葱、ほうれん草、茗荷、三つ葉、…等々、日本料理の汁に合うものならばほとんどOK。時々味噌スープになめこを入れて作るのだが、これが抜群の相性である。

名城かつ心霊スポットの「八王子城跡」を散策

八王子城跡を散策した。そもそも八王子城は、北条氏照により1571年(元亀2年)頃より築城され1587年(天正15年)頃に本拠とされた。日本100名城の一つとされる歴史的古城である。

1590年(天正18年)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城した。落城時に北条氏照らは小田原の合戦に出向いており、城内に残っていたのは婦女子らの非戦闘員ばかりだった。たった1日にして城は落ち、秀吉軍勢による殺戮は凄惨を極めていたとされている。

城主氏照の館のあった「御主殿跡」、御主殿地区の石垣と虎口などの通路、御主殿に続く古道が整備されている。婦女子が身を投げた「御主殿の滝」も近くに残されている。発掘や復元が進められながらも、未だ手付かずの自然を残しており、パワースポットとも心霊スポットとも呼ばれる一帯となっている。入場制限等はないので、夜間の散策も可能である。最近は夜間を狙って霊に出会いに行くマニアも増えているようだ。

手付かずの自然が見せているのは、湧き水から支流に流れ込んでいる川水の清々しさだ。この土地は一級河川「城山川」の上流端でもある。湧き水はここから淺川、多摩川へ合流し、東京湾へと流れていく。霊に出会えなくてもこの清々しい川の流れには出会うことができる。お勧めの一帯なのだ。

■八王子城跡
元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
管理棟は元八王子町3-2715-2

仰ぎ見る「東京タワー」の姿は勇壮なり

今年3月、後輩の「東京スカイツリー」に日本一の座を奪われた「東京タワー」。来年7月にはアナログTV放送が終了する予定であり、その時期が来れば御役御免となってしまうのか? 

つい先日にはおいらの自宅でも地デジTVを購入したばかりである。これから段々と東京タワーの恩恵に浴することも少なくなっていくのだろうか…? そんなことを考えていたら東京タワーが無性に見たくなり、現場に出かけたのです。

浜松町駅からてくてく歩くこと約15分、増上寺の正門に突き当たって境内を行く頃には、どーんと存在感のある風景が目に焼きついてくる。タワー自体の高さは見慣れているせいか、特別な驚きは無いのだが、それでもこの場所が東京タワーの場所だということを、道行く人に強烈にアピールしている。

骨組みの厳かさとしなやかさはまさに勇壮であり、彫刻作品といっても良いくらいに隙が無い。その鉄骨の撓り具合を眺めれば、昭和の時代の職人の情熱を感じ取るのだ。上へ上へと伸びていくのっぽの後輩君には発し得ない何か。やはりこの東京タワーの形が持つ、厳かさは尋常ならざるものがあるようだ。

タワー前に着けば、はとバスやら観光バスやらが列を作っており、相変わらずおのぼりさん向けの観光スポットだ。ちと興ざめではあるが、東京タワーが東京の観光スポットとしてこれから残っていくであろう光景を見た思いがして、少々満足なのである。

米粉(ビーフン)を使った食材に注目なのだ

「米粉」のことを中国語で「ビーフン」と発音する。米粉を原料にした麺類を指して「ビーフン」と呼ぶのはこのためである。最近になってスーパーマーケットの棚に陳列される「ビーフン」はこの米粉が主原料となっている。「香港炒ビーフン」「ピリ辛汁ビーフン」「ベトナム風フォー」等、そのバリエーションも増えている。

そんなビーフン食材が目立つ背景のひとつには、米生産量の拡大が挙げられる。天下の愚策として名高い自民党政権下の「減反政策」はその見直しが進められ、最近になって米の生産量がやっと上昇の気配を見せている。それによって余った米の利用方法が模索されているのだが、米粉食材に関係者の注目が高まっているのだ。

これまで家での自家製ラーメンを食することの多かったおいらではあるが、このところ米粉(ビーフン)関連食材を利用していろいろ食することが増えているのだ。味もサッパリとしてグッドである。麺の食感は中華麺よりもちもちとしたところが特徴で、カロリーも低いダイエット食材である。よく使う野菜類(葱、椎茸、モヤシ、小松菜、ホウレン草、等々)を合わせるだけでもメニューの幅は広がっていく。

ちなみにインスタントラーメン、即席ラーメンの類いは、あの独特なジャンクフードの香りが気になっていてほとんど食べたことは無い。自宅で食しているラーメンは「生ラーメン」を使ったものだけである。同じインスタント麺、即席麺でありながらも、「米粉(ビーフン)」麺の方はとてもフェイバレットな味わいなのだ。

これから日本人の食生活にも「米粉(ビーフン)」が活躍する場が増えていくであろう。おいらも関心を深めつつ、新しい「米粉(ビーフン)」を活用したメニューについても関心を持って見守っていきたいと思うのである。

チューリップの球根を植えたのです

近くの公園で開催されていた「植木市」会場で「チューリップ球根のつかみ取り」というのをやっていた。一寸した興味でやってみることに。

ラッキョウか梅酒を漬ける大き目のガラスビンの中に球根が詰まっていて、その中に手を突っ込んで掴み取るというものだ。ふつう5個程度なのだそうだが、おいらはそのとき少々気合を入れたためか8個を掴み取っていた。掴むまでは良かったのだが中々手がガラス瓶から外れない。やはり取り過ぎかと感じたが、大事な球根を潰さない程度にするする徐々に、動かしながら、何とか取り出すことができた。

掌に乗せて見れば、まさに球根型した姿形やマチエールがなんとも可愛らしく、大切に育てたい気分がむらむら沸いてきて、球根植えに励んだというわけだ。

家の前の草むらがぼうぼうになっていたところを整理して、とりあえず土を10センチ程度掘り起こして球根をセットした。久しぶりの土いじりで手と足は土色に。草を刈っていたら30~40センチ程度の蛇に遭遇してびっくり! それでも一昨日の雨で土もしっとりと湿っていたので、作業は特に問題も無く終了したのだ。

チューリップは代表的な秋植え球根なので、今が時期的にはちょうど良いようだ。だが植物を育てた場所ではなく土づくりも何もしていない土地なので、ちゃんと育ってくれるかは全く予測は出来ない。あとは土と太陽と雨や空気や、土中生物やらに上手く育ててくれることを願うばかり。目指すはオランダ式の庭園造りなのだ。

厳かなる猫の姿に出合ったのです

近くの町を逍遙散策していると、誇り高き佇まいの猫に出合ったのです。飼い猫ではないような佇まいでいて、人間に媚びることも無くじっと視線を送っている。思わず知らずに吸い寄せられるようにして、その姿を写真に写し止めたくなった。黒と白とのコントラストが実に見事である。それにもまして、その町の持つ磁場が発する光景のようにしてその猫がカメラのレンズを見詰めていた。良い出合いだと感じて何度もシャッターを切ったのである。

本場水戸の「だるま納豆」は納豆菌の恵みが一杯なのだ

納豆は子供の頃からの好物ではあったが、久しぶりに美味い納豆にありつけたのでした。その名も「だるま納豆」。茨城の特産市にて購入したものだ。水戸納豆本来の伝統製法にのっとって、藁に包まれている。この藁にこそ納豆菌が豊富であり、豊穣なる納豆の旨味を引き出すものなり。味わいもひとしお濃厚であり、納豆菌の恵みを実感するのだ。子供の頃にはよく水戸納豆売りの行商さんがラッパの音を高らかに鳴らしながら売り歩いていたものであり、そんな頃に食べていた水戸納豆は美味しかった。そんな想い出をもたらしてくれる。現在のスーパーマーケットに置かれている納豆はといえば、プラスチック容器におさまった物ばかりであり、何かひとつ味気ないのである。これからもたまには、本場本物の水戸納豆が食べたいとつくづく思うのである。