三鷹育ちの「キウイワイン」が本日発売。フルーティーで飲みやすい逸品

東京都のJA東京むさしでは、本日「キウイフルーツワイン」を発売した。早速おいらも三鷹駅で途中下車をし、出荷されたてのものを購入したのだ。

三鷹駅を降りて南口を数分歩いた酒屋の入口に「キウイワイン」のコーナーが設けられていた。白ワインとロゼワインの2種類が陳列されているが、手にしてみたら中身がない。空っぽのガラス瓶の陳列棚と化していたのだ。

店内に入り、品物の在り処を尋ねた。

「冷やしたものもありますけど…」という店主の案内もあったが、ここは素直に常温のものを購入することにした。帰宅するのにまだ数キロを要してしまい、結局はぬるくなるのならば、常温と冷温とをじっくり飲み比べてみたいとも考えたからだ。

そして「白」と「ロゼ」だが、ここは迷わず、キウイ100%の「白」を選択した。「ロゼ」には色付けのためにブドウが若干含まれているのだという。キウイの風味を100%味わうには「白」しかない。

まずは常温で一口。う~む、ブドウのワインよりもツンと来る香りと共に、フルーティーな喉越しが刺激的だ。アルコール度数は11%と、通常のワインよりは低めだが、刺激感は申し分の無いものであった。ブドウの白よりは少し甘めでもある。

少々調べてみたところ、「白」「ロゼ」の他に「にごり」という種類も発売されているという。今年はそんなキウイワインの醸造25周年でもある。

まだまだ飲み足らない気分で1瓶を空けたのだったが、東京地元発の特産品として、益々期待が高まる名産品だということは確かなようである。

狭い虫小屋でもがく「コーカサスオオカブト」に、人間と自然との不調和を感じ取らざるを得ないのだ

蒸し暑い夏の到来はすぐそこに迫っているが、本格的夏の季節到来を待たずに夏の昆虫に出くわした。

スーパー「ダイエー」の生活用品売場のコーナーには昆虫飼育用の籠が並べられ、中にはカブト虫、クワガタ、コガネムシ、等々の夏の昆虫が棲息しているのを目にしたのだ。

昆虫がスーパーや百貨店で販売される光景を見る度に、なんとも釈然としない思いに囚われてしまう。少年の頃の夏の遊びの時間の大半を昆虫採集に費やしていたことを回顧する度に、おいらはお金で昆虫を買うという習慣が、不道徳の典型に感じてならないのだ。

自然を学習するなかでその豊かさを知り、その厳しさ、情け容赦の無さを学んでいくという体験を、昆虫売買という商行為が破壊してしまうのではないかという思いが圧し掛かって離れないのだ。

本日遭遇した夏の昆虫たちの中で、最も活きが良かったのは「コーカサスオオカブト」であった。体長10cmはあろうかという巨きな体躯を、狭い籠の中で持て余しているようなその様は、堂々としているが故に尚更に、人間の商活動のみみっちさを際立たせている様でもあった。

携帯のカメラを向けるとオオカブト虫はおいらを威嚇するような素振りを見せた。なおもシャッターを切っていたら、今度は背中からニョロッと大きな羽根を出し、飛んでみせるぞといった仕草を示していたのだった。こんな狭苦しいところに閉じ込めやがった人間どもの代表として、おいらの姿が映ってていたのだろうと思うと、うら寂しい気分に落ち込んでしまったのである。

羽根を持った生き物であれば、当然のこととして羽ばたく権利を有している。それを人間のエゴにて蹂躙してしまっている現実を受け止めなくてはならない。

人間が世界を制覇しようと目論んだ結果、原子力の脅威に晒され続けていかなくてはならなくなったという現実を反省していかなくてはならないことと同様に、昆虫たちへの人間のエゴを反省すべきなのである。

モンゴイカのゲソワサは、タコ刺しよりも味が良い

地元の行きつけの居酒屋で「イカのゲソ刺し」を注文したところ、巨大な足とおぼしき刺身が運ばれてきたので驚いた。まるで、タコの足の様な相貌を呈していたのだから。

けれども少し思案してみれば、こんな巨大なゲソ刺しにありつけた今日の宵を記念し感謝しなくてはならないとも思うのであった。

それにしても巨大な足ではあったので、おいらは店員の人に訊ねたところ、巨大なモンゴーイカの足はタコにも引けをとらないということであったのだ。

大ぶりのタコのような、実は繊細なイカの「ゲソ刺しを」、味わっていたということになる。それについてはコメントも何もない。只ただ、モンゴイカの特殊な食感などについての思いを巡らすばかりなのである。

八王子の繁盛店「壱発ラーメン」の「ねぎラーメン」を食す

八王子駅南口から徒歩4~5分のところに、「壱発ラーメン」という八王子市民に支持され賑わっているラーメン店がある。「八王子ラーメン」の範疇には入らない、個性的なメニューが並んでいる。

同店の一押しのメニューは「ねぎとろチャーシューメン」である。味付けされた白髪ねぎととろろ芋、そして丼を覆い尽くすくらいのチャーシューがトッピングされているものだ。店内に入る客に一々声を掛けては、

「お勧めはねぎとろチャーシューメンです。迷った人はこれをご注文ください…」

等々の声を掛けて促すのだが、数回聞かされた客にとっては、個人的な感想ではあるが、些か鬱陶しいのだ。それでも常連客で賑わっているところを見ると、客もそんな煩い掛け声を容認しているのだろう。

この日注文したのは「ねぎラーメン」。とろろやチャーシューなどのくどいトッピングは元々おいらの好みではないが、多めの白髪ねぎと豚骨ベースの個性的なスープとの相性はフェイバレットなのである。最近同店では、ほとんどこのメニューを注文している。

スープが濃い目であり、トッピングされた白髪ねぎも辛味の強い味付けが刺激的である。バランスは悪くないが、これだけでお腹を満たそうとすれば、げっぷが出るくらいにくどいのだ。

ネツト上のコメント、書き込み等を読んでも、そんなこんなで好みも分かれるところのようである。

■壱発ラーメン 八王子本店
東京都八王子市万町19-1
042-626-9948

5月の皐月(さつき)ならぬ「躑躅(つつじ)」の花が満開見頃なのだ

桜が散ってモノトーンと化していたごとき町並みに皐月の花が満開か!

――等とそう早合点していた満開の、真紅の花弁をデジカメに納めていたおいらであったが、実はその花は「皐月」ではなく「躑躅(つつじ)」の一種であったということを知り、2度吃驚したのでありました。

自転車のペダルを漕ぎつつ路地裏の小路を走っていたおいらの視界に飛び込んできたのは、真紅な花弁を咲き猥らせている、さる瀟洒な庭の花壇の一隅に咲き誇っていたつつじなのだった。躑躅という花の咲き誇った様子に、自転車の歩を止めて見入っていたのだ。

5月の花だから「皐月」だとばかりに早合点していたのだが、色々と調べているうちに更なる混乱を来たしてきたのだ。「皐月」とはそもそも「ツツシ科」の一種で旧暦の5月、即ち「皐月」に咲く花として記録されてきた。云わば躑躅の中の特殊な品種なのだったということになる。

兎に角にも本日は、躑躅の花弁の見事なりを視覚におさめて味わおうという心づもりであった。

日本のちまきと中国風ちまきについての考察

端午の節句はとうに過ぎ去ったが、ちまきの味わいは未だに健在である。

先日に食した中国風ちまきは、お馴染みの日本ちまきと似ているが、やはり別種の食べ物だった。竹の葉に包まれていたそのちまきを開けば、甘酸っぱい濃厚な香りが鼻を突いたのだ。

馴染みの日本ちまきはもっとシンプルで、日本菓子の一つと認識していたが、中国ちまきはあくまで一品の料理として主張していたのだ。

弾力性のあるもち米と、蒸し上げる製法による「ちまき」なる料理だが、日本と中国、あるいはアジア各国にて食されてきたものには、それぞれに特徴がある。

植物の皮で包んで、もち米のご飯がぎゅうぎゅうに詰まっている。しかしながら中身はお国柄の違いが濃厚である。

日本の馴染み深いちまきは、笹の葉で包んで蒸される。笹の葉というのは日本菓子における重要な脇役的地位を有しているので当たり前のように受け取ってきたが、中国ではそんな大前提が違う。竹の葉のご飯というのだから、新しいメニューのようでもある。

ベトナム、カンボジアなど、アジアの各国でこの「ちまき」はポピュラーだという。多少の味付けや食べ方の違いはあれども、そんな差異を楽しみながら味わってみるのが乙というものだろう。

身も心もリフレッシュさせる菖蒲湯の効能

地元の銭湯で菖蒲湯に浸かった。昼間の銭湯はほっとして和む時間だが、特に二日酔いで傷んだ身体を癒すにはこのうえなく有り難い時間となっている。長さもゆうに50cm以上もある菖蒲から発せられる凛とした香りは、弛んだ日常に活を入れるような効。能を感じ取るのだ。

菖蒲湯の由来については幾つかの説があるようだが、武家社会で菖蒲と尚武をかけて5月5日を尚武の節日として祝うようになったのが端午の節句の始まりだというのが有力武家社会の仕来たりが背景にあるということなのだろう。

だが武家社会の風習ばかりが菖蒲湯の由来だと考えるのは早計であり、それ以前からの菖蒲湯の持つ効能に着目すべきなのだ。中国では邪気を祓い健康を招く薬草として珍重されており、我が国においても同様の所見があったというのも想像に難くないのだ。

スーパーに立ち寄ると、菖蒲の茎が販売されていた。今日は子供のいる多くの家庭では菖蒲湯を沸かすのだろう。

マイルドな白胡麻のスープがいける「白胡麻担担麺」

坦々麺とはたいていのものが黒胡麻を使用しており、その黒胡麻の濃厚な風味が持ち味となっているものだが、本日はそれとは少々異なった「白胡麻担担麺」というメニューを食したのでした。

そんな白胡麻の担担麺とは? 先ず第一印象としてのインパクトは黒胡麻に負けるだろう。黒胡麻の舌に纏わり付くような存在感はまるで無くて、白味噌スープのラーメン味に似ていなくもない。強烈な個性がない分、味わいもまたマイルドである。

そもそも坦々麺とは中国の四川省を発祥とする麺類のメニューであり、味付けは、ラー油、塩、花椒、芝麻醤、刻みネギ、等々で辛目に味付けされた料理である。本場の四川省では一般的に汁なしの担担麺が食されている。それが時と地理的行程を経て、現在日本で流行している担担麺の形が出来上がっている。

日本でよく食されている担担麺には必ずといってよいほど胡麻が用いられている。辛味スープに胡麻の香りが合わさって、さらに濃厚な担担麺が完成するのだ。その胡麻の主流をなすのが黒胡麻なのだが、白胡麻であっても一向に差支えなどは無いのだ。

店のマネージャーに訊ねたところ、黒胡麻担担麺と白胡麻担担麺とではレシピがかなり異なっているのだそうだ。黒胡麻の場合は醤油を使用するのに対して白胡麻はそれを用いずに、塩味で調理するのだという。それを聞いたあとで、やはり塩からかったなぁということを感じ取った。見た目の白さを強調するがために、塩味がちょいときつかったようなのである。

黒胡麻と白胡麻とどちらかを取れと云われれば、黒胡麻のほうを選ぶのであろうが、食感もマイルドでするっとしたスープの喉越しも良い白胡麻の担担麺も、たまには味わうべきメニューリストに加えておきたいのである。

故郷の「だるま弁当」の味は今も健在なり

上州前橋の故郷に帰省中なり。朝食を抜いて電車を乗り継いでいた上野駅構内を歩いていると駅弁コーナーに遭遇した。ウインドウを覗けばきらびやかな海鮮弁当、ボリュームがっちりの洋食弁当に挟まれるようにして、だるま弁当はひつそりと並んでいたのだ。

早速買い求めて電車の座席に座るとともに包み袋の紐を開いていた。中から現れたのは真っ赤な顔しただるまの容器。その顔つきはちょっぴり怒っている表情にも写っていた。そしてその真っ赤な容器の顔のふたを開くと目に飛び込んできたのが、大き目の煮しいたけだ。甘辛の濃い目の味付けが食欲をそそる。それだけではなく見た目も微笑ましいのがピンクとシルバーグレーの2色のこんにゃく、そして、鶏の焼き物、ごぼうの肉巻き、栗、黒豆、わらびの煮物、筍、漬物、などなど、どれもが昔食べたが最近はついぞ見かけなくなったというものばかりだ。

甘辛しいたけの風味が口の中に広がったところで塩味の効いた漬物をがぶりと齧れば、これが程よいアクセントとなり、食の有り難味もいや増していくのである。

だるまといえば少林寺の高崎だるまであり、その伝統工芸品が培った歴史と同様に、だるま弁当の具の一つひとつは、日本食文化の伝統によって培われたものばかりなのである。懐かしいという感慨ばかりでなく、これからの将来的な食文化を担っていくべきものたちであることを感じつつ、味わい尽くしたのでありました。

寒い夜には身を縮める、そんなチューリップの姿に自然の趣を感じ取るのだ

立派な花を咲かせた庭のチューリップが、花弁を散らすのが今から忍ばれてならないのだが、それでもまだ一向に枯れ散る気配などは無い。そして夜のチューリップはといえば、昼間とはまた違った姿かたちを見せていた。

最初に花弁を開いた黄色のチューリップは、前から開きすぎだという印象を抱かせておったのだが、夜になれば夜露を忍ぶ為の、花弁を閉じて身を縮める仕草などを行っているのを目にしたのだった。

呼吸をしているのと同様の、生命の営みを感じ取った。やはりチューリップもまた自然界の生き物である。立派な花を咲かせる陰には涙ぐましくも慎ましやかな行為が隠されていたのである。

ジャンクフードのメッカ、欧州の英吉利で流行っているという「フィッシュ&チップス」を味わってみたのだ

白身魚のフライにポテトフライを添えて「フィッシュ&チップス」というそーな。そんなメニューが元大英帝国の英吉利国にて人気だという話を聞いて、早速食してみたくなり、先日はそんなメニューにありついていたという訳なのでありました。

白身魚の身はタラやカレイだとされているが、日本で食するそのメニューにそんな高級魚が用いられているわけもなく、いつもの白身魚のようである。そして肝心の調理方法もまた、特別な工夫などというものは見て取ることもできずにいたのだ。これはまるで「マクドナルド」チェーン店の朝食メニューとそうは変わらない代物だった。カロリーも高そうであり、あまり食欲も進まないのだ。

さてそんなネガティブな話題でブログを閉じるわけにもいかないなと、ふと考えてみたのだ。英吉利人とは何故にこのようなジャンクフードを好むのかと。

一つにはカロリーを補給するのには、魚やじゃがいものフライはうってつけであるということ。少ないいわば貧困の食材にて人間生活を全うするのには、この方法は理に適っているのだ。

日本人の食生活とはかなり異なるが、グローバルビジョン的視点においては合理的なメニューであるということが明らかなのである。

英吉利本場の料理では、衣に小麦粉を卵や水またはビールで溶いた衣をつけて油で揚げたものが用いるとされている。そんなに手を加えなくてもよかろうとも考えるのだが、それが英吉利人達の矜持を支えているのかと思えば、一概に否定されるものとは云えないであろう。

おいらは脂っこいものや塩っこいものは敬遠しており、うかつにフライ食品に箸を付けることは少なくなっていたのである。それにもまして今回はそんなフライ食品に箸を付けて食してみたということは、英吉利の食文化を理解したいという願望によるものなのであったのだったのである。

みどり企画のホームページ、がリニューアルしました

数ヶ月前からの懸案であった、みどり企画ホームページの更新作業がこのほど整い、リニューアル作業をほぼ完了しました。

http://www.midori-kikaku.com/

とはいえまだまだ不十分なことばかりです。

これからみどり企画のマーケットサイトの設立について実現していきたいと考えているところなのです。

庭のチューリップは、赤、黄、ピンクの3種類

先日から蕾を見せていた庭のチューリップの8本がすべて開花した。

その色は、赤、黄、ピンクの3種類で、それぞれに花弁のサイズも開き方も異なっている。

黄色の花弁は例えば元気な少年のようであり、ピンクの花弁はつつましやかな古の日本女性のようであり、そして紅色のチューリップはといえば、いまどきの思春期の背伸びしたギャルたちのようでもある。

夫々にみずからの人生ならぬ花生を謳歌しているように見える。

庭のチューリップが可憐な花を咲かせた

先日から我が家の庭で可憐な蕾を見せていたチューリップが、いよいよ開花していたのでした。

3日ほど前には蕾の先端に紅色の色味を醸し出していて、その姿かたちはまるで、思春期の少女が恥らいながらに紅を付ける、バージン唇ルージュとでも云うべき初々しさを示していたんである。

嗚呼やはり、チューリップと云えば紅色かと早合点していたのも束の間に、それまでは目立たなかった隣のチューリップが黄色い花弁を開いていたので驚いたのだ。現実に最初に開花したのは早熟の紅色さんではなくして黄色君の方だったのであったという訳なのであった。

中華のゴーヤ料理はやはり「ゴーヤチャンプル」に引けをとるな

地元の中華料理店にて「ゴーヤと豚肉炒め」というメニューを発見し、早速食したのでした。

ご存知、沖縄料理の定番が「ゴーヤチャンプル」であり、ゴーヤと豚肉を炒めて調理するという手法は極めて似ているといってよい。だが食したときの味わいは、これ程の大きな差異を感じ取ることがないくらいのものであった。

中華のゴーや炒めの材料は、ゴーヤ、豚肉に加えて、玉ネギ、トマトが使われている。そして味付けの鍵ともなるのが、牡蠣油(オイスターソース)という調味料である。文字どおり牡蠣の油を原材料として調整された、中華料理になくてはならない調味料なのだ。

牡蠣油(オイスターソース)とは、牡蠣の茹で汁を濃縮加工して様々な味付けを施していて、確かにこの調味料には中華伝統の何やらかがあることは認めよう。それでもなお、素材の旨さ、持ち味を活かしきれない調味料であることを、今回の中華版「ゴーヤと豚肉炒め」で認識したのだ。とても上手い料理ではある。だが美味ではない。この差異は歴然としていたのだ。

逆に視点を当てれば、沖縄の「ゴーヤチャンプル」が如何に食材と調理法とのハーモニーが取れている料理なのか! ということに感動するのだ。沖縄料理の基本である「チャンプル」の調理法には、優れた叡智が隠されているのである。

福島第一原発の危険度がついに「レベル7」に

本日、経済産業省原子力安全・保安院は、福島第一原発事故の危険度のレベルを「7」に引き上げると発表した。遅かりし決定である。爆発当初が「4」、そして数週間後の「5」、今日の「7」へと段階を踏んでレベルアップさせてきたということの意味は奈辺にあるのか?

震災時の大津波によって原発施設は大打撃を受け、数日後の「水素爆発」を生じた時点ですでに「レベル7」に達していたと見るのが正しい見方である。それを4から5、5から7と、段階を踏んで引き上げてきた保安院関係者の企みには、極めて甚大な恐怖を感じ取らざるを得ない。即ち今後に訪れるかもしれないチェルノブイリ級かもしくはそれを越える災厄を、日本が被るかもしれないという恐怖である。

第一義的な責任は当事者の東京電力による危機管理体制の不備、甘さによることは当然である。それを支援し黙認してきた自民党政権も同種の責任を負っていることは明らかである。そして尚、今回の事態を招来した事に対して、現民主党政権もまた責を免れないであろうことを指摘しておきたい。

世界中を驚愕させた原発施設の爆発事故を、政府のスポークスマンである枝野官房長官は「爆発的事象」などと述べて、矮小化した説明を繰り返していた。あの時点で政府組織の隠蔽行為は進行していたと見なければならない。こんな政府関係者が主導する「ひとつになろうニッポン」キャンペーンなど、何の役にも立たない代物なのである。念のために補足しておくが、大連立や自民党政権になったらもっともっとさらに悪化することは目に見えていることを強調しておきたい。

海外メディアでは、「ソドムの市」と成り果てた日本の将来を危惧する論調が珍しくはない。徒に混乱や恐怖心をあおるものがないわけではないが、被災を免れた日本人がそううかうかしていられない状況であることは確かなのである。

春の菜の花とあさりの丼(深川丼風)で春を満喫

春の味覚の代表といえば、最近の八百屋に並んだ菜の花。

それにあさりの身をあわせて深川丼にしてみた。ほろ苦い菜の花に海の幸が加わって、美味くないわけがないのだ。

咲き誇るばかりが桜の姿なのではない

多摩の桜は今が見ごろ。八王子「富士森公園」へ出かけて見た桜は満開なのに、人の姿は少なかった。

こんなときに花見で浮かれていてはいけないという、日本人特有の気質の表れだろう。とはいっても桜の姿を目にして心が安らがないはずもなく、こんなときこそじっくりと桜鑑賞といきたいものだ。ちょうど多摩地区では今が桜の満開期である。じっくりとこの目に刻み付けておきたいと、富士森公園へと向かったのだ。

この公園で主流を成す染井吉野の桜は花びらがほの淡いピンクなのが特徴であり、力強さにはいまいち欠ける。一度に咲いてパッと散るという桜のイメージは、この淡いピンク色が相俟って、儚さを印象付けている。

大きな幹の中から枝を伸ばして、そっと咲いた桜を見かけた。派手さはないがこちらの花弁には、艶やかさやエネルギーを感じさせる。大勢で群れを作るのではなく、そっと息衝いているという姿はまた興趣をそそる。

ここまできたら後は散るだけだ。そんな潔さを見て取ることのできる桜は、今の季節にしか出会えないのだから、そんな出逢いを大切にしていきたいと思うのである。

庭のチューリップが緑色の蕾を見せた

去年の秋に球根を植えたチューリップが育ち、緑色の蕾を見せていた。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2354

去年は植えてからもなかなか芽を出さないでいたので、一時はあきらめてほうっておいたのだが、おいらが知らないうちに芽を出してすくすく育っていたのである。それだけ長い期間に根を張って育っていたのだから見事である。

カラカラの天候が何日も続いていたのに、よく育ってくれたものである。肥料をあげた覚えもない。葉は瑞々しく、葉脈の中には生きた細胞が詰まっていることを示していた。

久しぶりに近づいて葉脈の中を覗いていると、緑色した蕾を発見。その姿はまるで嬰児のように小さな産声を発して泣いているようにも見えたのだ。

もう少ししたら、原色の花を咲かせるのだろう。だがつかみ取りで入手した球根なので、何色に色づくのかも見当がつかない。早く見てみたいものなのである。