634mの「スカイツリー」がついに完成

ついにと云うべきか、634mの「スカイツリー」が完成したというニュースを耳にして、下町界隈に向かっていた。浅草から徒歩で墨田区へと入り、次第しだいにとそのツリーの姿は巨大になっていった。

のっぽのツリーではあるが、太陽光線を斜に浴びていたり、或は反射光を浴びたりしているその姿形は、万華鏡のように多彩ではあった。

「アメ横焼」は果たしてアメ横の新名物となるか?

上野アメヤ横丁(通称アメ横)を散策していたら、「アメ横焼」なるメニューの屋台に遭遇した。1個200円也。さっそく一つ頬張ってみたのだった。

大判焼き用に似た鉄板に、お好み焼きにそっくりの粉モノ系素材が乗って焼かれていく。生地の間に卵が1個分挿入され、たっぷりのソースとお好みでマヨネーズがかけられて提供される。ソースやマヨネーズはとても甘ったるく、これ無しで食べたかったと、後になって思った。

関西大阪のお好み焼きに対抗しての新メニューと思われるが、果たして当メニューがこれからアメ横の新名物になっていくのかどうか? けだし興味深いところではある。

花屋で見つけた「四季なり いちご ファーストラブ」は、果たして実をつけるのか?

いつもは自転車で通り過ぎる花屋の前でふと目を止めて立ち寄った店頭にあったのが、この「四季なり いちご ファーストラブ」だった。

些か大袈裟に長く受け狙いの商品名であることは明らかである。小振りな鉢の中を眺めれば、イチゴの花とも思える赤き花弁(なのだろうな?)が、喩えてみれば、奈良美智の目線でおいらなどの消費者にコンタクトを取っているらしく思えた。コンタクトと云うのは表現の綾でもあり、実は挑戦的に喧嘩を売られていたのかもしれないくらいの状況であった。本当にいちごの実はなるのか? といった疑問を、徹底して撥ねつけるかのごとくに、その視線は尖っておいらに突き刺さってきていたのだった。

イタリア風きしめん料理の「きしめんタリアーナ」を食した

名古屋料理を提供する居酒屋チェーンの「世界の山ちゃん」八王子店にて、「きしめんタリアーナ」なるメニューを食した。名古屋特産の麺である「きしめん」を、イタリアン風にアレンジ味付けして提供されている。「タリアーナ」とは「イタリアーナ」の省略形かと思われるが、店内にそのような説明はなかった。

帰宅してネットで調べているのだが、「タリアーナ」と検索して出てくるのは奈良のイタリアン専門店ばかり。相当有名なイタリアンの店だと見え、アクセス方だとか様々な派生的項目がヒットしてくる。そんな名店であろう、奈良のタリアーナのパスタの味わいにはほど遠いが、名古屋きしめんを素材にアレンジして調理されたイタリア風きしめん料理も、そう悪くはない味わいだった。

イタリアンなのだろうが、大葉を散らしていて和風の味わい。考えてみれば近頃のパスタも、明太子パスタだか野沢菜パスタたかというくらいに日本食材を取り入れて日本人好みにあれんじされているのであるから、別段に「きしめんパスタ」がメニューに載っていたからと云って驚くには当たらないということなのであろう。

バナナの朝食を摂ったのだ

朝食にバナナとヨーグルトを食した。最近はダイエット志向も手伝って、このパターンの朝食が増えている。たしか数あるダイエット法の中には「バナナダイエット」があったはずだとググってみたところ、あるわるはの大盛況だ。特に朝食にバナナという「朝バナナダイエット」に注目が集まっている。

バナナは胃に優しいとかカリウム豊富だとか、そんな当然のことが、「公式サイト」やらに書かれている。おいらは決して、そんなものを見てバナナ朝食を始めたのではないぞっ。

こんな薄っぺらなブームに乗せられたらせっかくのバナナが台無しだね。今度はバナナともう少しバランスを考えた朝食をとることにしようと考えている次第である。

健康相談にて妙齢の女医嬢から「あと3kg体重を落としましょう」とアドバイスされた

先日の健康診断にて血を抜かれた検査の結果が悪かったので、「健康相談」の招集通知が送られて来ており、気も漫ろに相談会場へと向かっていたた。ドアをコンコンとノックして入った部屋には、ただっ広い中で妙齢の女医さんが一人、おいらを待ち構えていたのだった。挨拶もそこそこに、妙齢女医さんが生活習慣が健康に大切であることを得々と講釈し始めていた。こういうときに「判っているさ!」という素振りを見せては失礼に当たるのであり、おいらはただ女医さんの話に頷いて、講釈を聴く羽目になっていたのであった。

十数年前に受けた人間ドックのときからの持病でもある「高尿酸血症」に加えてさらにマイナス点が加味されていたおいらの身体ではあるが、疲れやすくなったことを除けば別段に生活に支障を来すものでもないのではある。だから初めは素っ気なく受け答えをしていたのではあったが、然しながら折角の健康相談というチャンスを無為に過ごすのも勿体ないなと感じたおいらは、妙齢の女医嬢にこんな質問をぶつけてみることにした。

「おいらの身体は毎晩の晩酌によるアルコールが原因で弱ってしまっているのですが、アルコールを断つ良い方法はありますか?」

かつて身内にも断酒会に通っていた人間がいるので、半分くらいは本気の質問てあったのだが、女医嬢はほとんど表情を変えることなく、

「お酒の買い置きは止めましょう。それから、1日2杯までにしましょう…」

等々と、とても熱心にアドバイスしてくれていた。自己申告によるおいらの1日の酒量は「3杯程度」だったが、実は4~5杯は行ってしまうこと屢々なりなのであり、自己申告とのギャップも大きかったが、女医嬢の冷静な受け答えとおいらの願望とのギヤップもまた大きかったと云えよう。「1日2杯に出来たら初めからしとるわ~!」てな関西弁が出ても可笑しくないシチュエーションだったのである。

それにしても「生活習慣病」の改善策というものは、これこそ本人の自己責任によるものであり、「お酒は2杯にしなさいね」と云われながらもついつい3杯、4杯とグラスを継ぐおいらが悪いのは当然ではある。心して掛からねばならないと重々と反省の今宵なり。

妙齢女医嬢はその後もアドバイスを続けてくれて、「あと3kg、体重を落としましょう。そうすれば数値も改善すると思いますよ」と勧めてくれていたのだ。「たかが3kg、されど3kg」なのかもしれないと、女医嬢のアドバイスに従ってみることにした。1日30分程度の散歩」や、「午後8時前の夕食」やら「お酒を1本控えること」やらで、3ヶ月の間に3kg落とすことが出来るというのだ。どれもがおいらにとっては至難の業ではあるが、3kgマイナスに向かってチャレンジすることにした。今日のまとめではある。

東京で、今年2番目の雪

近頃の天気予報は当たるようで、今日は天気予報の予想通りに、東京など南関東地方一帯に大雪が訪れた。

今年2番目の降雪であり、東京で見る雪にしては大雪である。都下の積雪は5cmを超えていると思われるが、明朝までに都心でも1~2cmの積雪が見込まれるという。朝の通勤は要注意である。

カニ味噌にまつわるエトセトラ

先日某居酒屋にて「カニ味噌」を食したのだが、箸は全然進まなく、ホッピーのつまみとしてはこれは低級ものなりと感じていたのだった。かといってその場所でご飯を注文するわけにも、或いは日本酒熱燗でちびちびやっていくわけにもいかずに、所謂まずい時間を過ごしていたのであった。

そもそもカニの味噌というのはカニを丸ごと食うときに必然的に遭遇するべき珍味であり、それを何匹否何杯もの部分ばかりを寄せ集めてみたところで、ホッピーのつまみはおろか、一般的メニューにもならないのだ。珍味が珍味たる所以は全体中の一部位としてのハーモニーとして味わうべきものなれど、そんなハーモニーを奏でない代物などは、本来の珍味とは云い難いのである。

そういえば「渚にまつわるエトセトラ」という歌謡曲の一節には、カニにまつわる以下のフレーズがある。

♪カニ 食べ 行こう
 はにかんで 行こう
 あまりにも 絵になりそうな
 魅力的な 白い ハッピービーチ

二人組デュオ「パフィー」が歌った4枚目のシングルで、そこそこ売れたのでパフィーはカニ業界の関係者からは神か仏かパフィー様かのごとくに崇められていると伝え聞く。作詞は井上陽水で作曲が奥田民生という当時のゴールデンコンビ。尊敬する陽水さんの作詞だとは考えにくかったのだったが、大ヒットした「アジアの純情」に続く徒花的陽水ワールドであったことは明らかであった。この詩がまた実にちぐはぐであり、バブル崩壊後の90年代後半の世相を反映させてもいた。渚へと向かったパフィーは過去のあれこれを吹っ切るようにして明るく乗り込んでいくのだが、彼女たちがハッピーなる渚でいかに大量のカニを食べたところで、残滓として堆積されるのは空疎な徒労感であったろうと想像されるのである。

今朝の雪にはぶっとんでしまった

今朝の雪にはぶっとんでしまった。TVニュースでは何度も降雪のニュースを繰り返していたので、家を出る前から憂鬱な気分にハートは蔓延されていたのだった。

♪   雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。
降つては降つては ずんずん積る。

などと歌っていた少年の頃の思いとはまるで裏腹に、都会生活にとっての雪は、魔物である。

ならば雪国の風景は何故に愛着をもたらすのだろうか? わざわざ雪を見に先日は北アルプスの雪見に出かけたのだ。雪国に降る雪と大都会東京に降り落ちる雪とはまるで違った風景にも思える。

以上、都会生活にとっぷりと浸かった人間の戯言ではある。

実家の暮れの定番は「カニスキ鍋」

上野のアメ横に立ち寄り上州の実家に帰省した。アメ横の目当ては蟹であるる。いつも買い求める大降りの冷凍タラバ蟹と、今年は毛蟹を併せて購入して帰省電車に乗り込んだのだった。

この数年間、我が実家の暮れの定番は「カニスキ鍋」となっているので、今日もまたそんな鍋料理に精を出したのだった。

八王子の「宮城」で、河本次長発案の「このトラーメン」を喰らう

八王子市南口にあるラーメンのデパートこと「宮城」。ご存知「ファンキーモンキーベイビーズ」が売れない頃から贔屓にしていたラーメン店であり、ファンモン考案の「ファンモン麺」は、全国から彼らのファンが食べにくるくらいに全国区のラーメンメニューだ。

本日は同店で、変わったラーメンを食したのだ。その名も「このトラーメン」という。命名者でありメニューの発案者、はお笑いコンビ「次長課長」の河本次長だという。

このラーメンの特徴と云えば、白味噌味のスープに細麺のストレート、そして刻んだタマネギが大量にトッピングされていること。トッピングされた刻みタマネギは、八王子ラーメンの基本を踏襲しており、熱々の味噌スープにも、良いハーモニーを奏でていた。

発案者の河本次長はこれに「七味」を大量に掛けて食べることを勧めている。だがこの七味はラーメンには似合わない。どう味わっても似合うことは無いのである。

■宮城
東京都八王子市子安町4-26-6
TEL 0426453858

ウズラ卵入りの大振りたこ焼き

帰宅途中の街並みには露店屋台が並んでいた。本日は二の酉の日に当たり、祭り好きの八王子も祭り一色となるのだ。

たこ焼き屋はやはりこうした屋台の代表格であり、久しぶりに注文して持ち帰ることにした。閉店間際だったのだろう、1袋(6個入り500円)を注文したらおまけでもう一袋付いてきた。あまり愛想の良くないお兄ちゃんが妙に照れて「おまけですよ」と云っていた口ぶりが妙に印象的だった。

家に着いて未だほかほかと温かいたこ焼きを口にした。箸で中を突付くと、ウズラの卵が真ん中にでんと居座っていた。そして肝心のタコといえば、妙に小さく切身にされてチョコチョコと顔を出していたが、その存在感は薄かった。口当たりは良いがタコの味もあまり口の中で広がらなかった。たこ焼きにとって主役であるべきタコと云う具材が脇役へと追いやられていた。おいらはこのときタコの悲哀を感じ取っていたのである。

一袋(6個)を平らげて箸を置いた。明日の朝食に取っておこうと思った。朝食で食べるたこ焼きの味わいは如何なるものであろうかと、少々と興味を持ったのだった。

甲府盆地の絶景を眺めつつ「ほったらかし温泉」に入浴

山梨県山梨市の「ほったらかし温泉」といえは、温泉マニアの好感度が高く、おいらもずっと行きたい温泉の一つだったが、やっとささやかな望みが叶った。

http://www.hottarakashi.com/

JR中央線の「山梨市」駅に降りて、市営バスで10数分乗って「フルーツ公園」に到着。そこから1.5km程度の山道を歩いていくと巨大な駐車場に出くわした。「ほったらかし温泉」という名を冠するくらいだからきっと辺鄙な場所のいい加減なつくりの温泉だと想像していたのが大違いだった。巨大な観光バスが駐車場にでんと構えており、マイカーの群れは百台はゆうに超えていた。観光スポットとして申し分の無いくらいに認知されており、ビジターも相当に多いのだった。

この温泉の第一のウリが、眼下に見下ろせる甲府盆地の絶景である。温泉地の大概がそうであるように此処もまた「撮影禁止」の貼り紙があったために浴場からの眺めは具体的に示すことが出来ないのだが、温泉から眺める景色はといえば、手前にはこの季節の白いすすきがたなびいていて未だ紅葉には少し早い樹々の濃緑色とのコントラストが絶妙であった。ずっと遠くの街並には笛吹川が横切っていて、盆地街の風情を一望させてくれるのだった。ほったらかしどころか相当に計算された展望であったと云えよう。

強いアルカリ性の温泉に暖まった後に、屋台で提供されていた「ほうとう」を食した。この時期の旬のカボチャの甘い味がスープに溶け込んでいて、正統派の美味いほうとうにありつけたので満足だった。


初秋の御岳山を登山或は散策したのでした

御岳山に登った、或は散策したのでした。

というのも今時の語感的常識で云えば、登山とは山に登ることであり其れは即ち山を歩くこととほぼ同様の意味を指しているものであろう。であれば「登山」と云って何ら憚れるものは無いのではあるが、然しながらおいらが幼少のころに耳にしていた「登山」と云うにはギャップがあまりにも大きすぎるのであり、ここは御岳山を散策したと云うのが妥当だと考えていたのであった。ここで云う幼少のころの違和感を増大させていたのが、所謂人気野球スターこと長嶋茂雄選手が選手当時に「山ごもりをする」と宣言しては、どこかの高原温泉地で温泉に浸かってたりしていたという事実を耳にしたときではある。結局のところは東京を離れて、綺麗な空気の高原地帯で温泉に浸かりながらトレーニングに励んでいるということに尽きるのではないか? それを後生大事に「山ごもり」等と云う語彙に当てはめてマスコミ発表するなどと云うのは勘違いにもほどがある! と、些か青臭い感性にて感じ取っていたからであった。「山ごもり」=「温泉漬け長閑トレーニング」を受け入れるのには相当の年月を必要としていたことをここでカミングアウトしておくことにする。

前書きが長くなったが「御岳山」とは、東京都内であり、青梅市郊外の一地帯であり、実際に高尾山に次いで東京都内で登山客を集めるという有力な観光山なのである。都内に居住する人間にとっては散歩感覚でぶらりと訪れることが可能となっている。それくらいに親しみ深い場所なのである。

青梅線の青梅を下車して「奥多摩」行きに乗り換えて十数分乗り、「御岳駅」にて下車。バスでロープウェイの「滝本駅」まで十数分。そしてロープウェイに乗って登ること6分あまりで、「御岳山駅」に到着した。「御岳山駅」周辺には都内を展望することができ、天候事情がよければ「東京スカイツリー」「東京都庁ビル」等が眺められると云う。本日は空気が濁っていたのかそれほどの眺望が得られなかったのがちと残念ではあった。

ロープウェイ駅から歩くこと30分弱で、「武蔵御嶽神社」に到着した。歩道は緩急取り混ぜながらの興味深いつくりでもてなしてくれていた。神社下には数多くの宿坊が在り、商店街も存在する。旅人を山岳地域全体でもてなしていると云うことをありありと感じさせている。宿坊街、商店街の狭い通路ではスクーターで行き交う土地の人々が在り、まるで高原の一都市の姿を髣髴とさせているのだ。

神社へお参りした後に、商店街の食事処で、山菜蕎麦を食した。800円也。駅の立蕎麦屋に比べると倍ぐらいの値段だが、用いられている蕎麦の味わいや少々濃目のつゆなど、ジーンと胃袋に染み入って満足であった。現代登山とは云えども数時間の散策を行なった後の、浅い疲労感を払拭するパワーをもらうことが出来たのであった。帰り道は蕎麦のパワーで軽々乗り切っていたのだった。

紅葉の季節にはまだ早すぎいていたようで、路傍の樹木は少し枯れかけていたという、鑑賞的には中途半端なものではあった。いつか紅葉の時期にまた訪れるぞと云う希望を胸にしながら、帰路についていたのでありました。

「iPhone4S」の新OS「iOS5」をバージョンアップ的インストール

決してデジタル人間ではなく、どちらかといえばアナログ系人種であると常々自覚しているおいらではある。ところがひょんな思い付きで今日はまた、iPhone OSのバージョンアップ「iOS5」の導入などを試みたのだった。ご存知、iPhone4Sの発売と共にOSもバージョンアップして出荷されているものだ。実時間で1時間以上は費やしていた。

「iCloudを使用すると、写真、App、連絡先、カレンダーなどをデバイスにワイヤレスでプッシュ送信することができます」というアナウンス等があり、「同意しますか」には全て「はい」。その後は「結合しますか」と聞いて来た。よく分からないままに「はい」を押してしまっていたのだった。

この先にはまた様々な設定の為のあれこれなどが必要である。そんなこんなは後日またレポートしますので、今宵はこの限りにて。

ザックジャパンはシャンパンサッカーのエキスを修得したのか?

本日行なわれたワールドカップ3次予選では、タジキスタン相手に8対0という大差で完勝したザックジャパン。一昔前までのじれったい試合展開に比べると、相当な進歩である。ザッケローに監督就任により日本サッカーがこれだけ多様な攻撃パターンを培っていたなどとは思いもよらなかったと云えよう。

華麗なパス回しや意外性の高い攻撃力は、もしかしたら世界的サッカーの理想を表す「シャンパンサッカー」を、ザックジャパンチームが修得しつつあるのではないかという過度な期待をさえ抱かせるものだ。かつて日本サッカーが国際デビューして間もない頃、2001年3月24日に行なわれた対フランスの試合で、天才魔術師ことジダン率いるフランスチームに大敗した当時の、フランスチームの「シャンパンサッカー」はまさに憧れの的であった。華麗で意表をつくパスまわし、日本を子供扱いする圧倒的な支配力、そして偶然を味方に付けた試合展開は、何十年かけても日本には修得できない雲の上のものとさえ感じ取らさせられていたと云って良い。だがそんな試合展開を、今日のタジキスタン戦ではみせてくれた。

もしかするとタジキスタンが弱かったから出来た芸当なのかもしれない。或はラッキーな偶然が重なった結果なのかもしれない。今後こうした試合展開が見込まれる訳ではないことは承知しておかなければならないだろう。しかしながら今日の試合運びにおける日本チームの実力が、数年前とははっきりと区別される程のレベルアップがされたことは見て取ることができた。まだまだ予選通過まで気を抜けないが、本戦でも充分に戦える日本流「シャンパンサッカー」が身に付きつつあるように感じられたのだった。

騎手を凌いだ天才馬こと「シンボリルドルフ」の想い出

天才馬「シンボリルドルフ」が30歳の生涯を閉じたというニュースを目にした。おいらはそもそも競馬マニアと云った人種とはほど遠く、ましてやギャンブラーでもないので、競馬ネタはこれが最初で多分最後になるだろうとは思われるが、しかしながらシンボリ皇帝馬のことは書かずにおれない欲求が全身を駆け巡っているのであるからにして、素直に今日はここにて記すことにしたのだ。

当時のおいらはといえば年端もいかない若造であり、ある長野県内奥深くの温泉旅館のアルバイト関係で知り合った知人に競馬の手ほどきを受けつつ、ほんの一時だけではあるが競馬にのめり込んでいた。そのとき買った馬券のほとんどが「シンボリルドルフ」絡みのものだったが故により一層にシンボリ劇場のあれやこれやのシーンが走馬灯のようにして飛び交っているのである。

現役競走馬として走っていた当時のルドルフのライバルには、少なくとも2頭がいた。前年の3冠馬ミスターシービーと、先攻逃馬カツラギエースである。ルドルフにとって、前門の虎(カツラギエース)と後門の狼(ミスターシービー)というライバルを敵にしつつ、ルドルフはルドルフらしき自分自身の聡明な走りを見せつけつつ、勝ち進んでいったのである。特に「ジャパンカップ」では後塵を拝することになったカツラギエースとの対決のシーンは、今なおまぶたの奥に残って止むことはないのである。先に走っていたカツラギエースを追うこと無く破れてしまったレースが「第4回ジャパンカップ」だった。

追えば絶対に追えたはずの先行馬をみすみす逃してしまった。その責任は岡部騎手にあることは明白であった。だが誰もがそのことを指摘することが無かった…。

続いて開催された有馬記念では、ルドルフはカツラギエースしか見てはいなかった。そして堂々の横綱相撲でカツラギエースを下し、陣営は溜飲を下げることとなっていた。騎手の指示よりもそれ以上にルドルフの頭脳が勝ちを制したというレースであった。

カツオの喰いおさめは、カツオのまご茶漬けなのだ

秋も深まってきており、今が戻りガツオのまさに旬といえよう。

秋に戻ったカツオはたっぷりと脂が乗っており、初ガツオよりも味わいは何倍も充溢していることは、カツオ好きならば誰もが知っている事実である。

もう旬のカツオを味わえる時間は僅かしかなく、其れならば充分に味わって食べたいと云うことで、「カツオのまご茶漬け」にしたのだった。鮮度の良いカツオの刺身を丼に乗せて、熱いお湯を掛けてお茶漬けにしたもの。

本来のお茶漬けとは緑茶を掛けるものだが、ことまご茶漬けについては緑茶でなくても宜しいとされる。魚舟の上にて取れたての魚を捌いてお湯に掛ければ、魚の出汁が丼中に滲み出て、それ以外に余計な味付けは必要ないと云うことが最大の理由であるからにして、シンプルイズベストの料理法とも云えるくらいだ。

鮮度を示しあらわすピンク色の身が、熱湯を注ぐことにより白く装いを変える。とても澄んだ白色であり、これはまさに魚の脂を示す白色なのだと云うべきなのである。

時代を超えて親しまれる上野「伊豆榮」のうなぎ

昨日の法要では、お寺から池袋近くの雑司が谷墓地でのお参りを行なった後で、上野不忍池近くの「伊豆榮」へと向かっていた。江戸の時代、徳川吉宗の治世の時からの営業であり、創業260年の時の歴史を有していると云う由緒溢れる名店である。

夏目漱石、森鴎外といった明治の文豪が愛したことでも有名であり、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏の贔屓の店でもあった。

うなぎは大好きなおいらであるが「伊豆榮」に出向いてうなぎを食するのは、こんな特別な日にしか今まで無かった。だからであろうか、特に味わいの印象的には薄かったと云って良い。

今回はそんなかつてと比べて些か意識的に味わっていたのであり、その特徴を捉えようとはしていたものではあった。だがしかし、実際に味わった印象派といえば、非個性的なものであった。うなぎの細かな骨や内臓やらはほとんど完璧に取り除かれている。細かな仕事と云うのはこういうことを指して云うのだろう。

翻って評価すれば、個性的ではない味わいだと云うことになる。だがそれこそは「伊豆榮」のうなぎに対する最大限の評価であると思えるのである。

甘くなくうなぎの素材の出汁が充満している。関東風うなぎ料理の基本を守って、じっくりと蒸して柔らかく調理されている。

そしてタレもがまた良い味を出している。白砂糖などは一切用いていないと云うくらいなのだから徹底している。すなわちうなぎ料理の中の定番料理。うなぎの下に薄く盛られたご飯にはタレが程よくまぶされていて、これだけでもご馳走になるくらいの味わいなのだ。

そんなうなぎの身は箸で触ったら身が崩れるくらいの柔らかさであり、殊に年配の人たちにはとても優しい味わいなのだ。長年を経て愛される名店料理の、これが奥義と云うべきなのだろう。

衆生本来仏なり―禅寺お経の「座禅和讃」より

親戚の伯母の法事があり、文京区内の禅寺へと向かった。

地下鉄沿線の駅を降りて徒歩数分の処にある寺だが、まるで時間が止まったような、緩やかで豊かな時間が支配するお寺の風情に、何とも云えぬ至福の時間を過ごさせてもらったようである。

若いお寺の和尚はよく通った声を出して、般若心経をはじめとした仏典を唱えていた。物音一つしない法堂に響き渡る仏典を聴きながら、死者との対話が響いていくものだろうと感じ取っていた。白隠禅師の教えとされる「座禅和讃」の響きは、毎度のことだがとても心に響いてくる。

「衆生本来仏なり」という一節から始まる座禅和讃は、禅宗に帰依した和尚ラジニーシの教えとしてもまた、全世界に広まっていると云う。「存在の詩」の教えの根本に座禅和讃があり、其れ等が相乗しつつ日本発の世界仏教となっているのだ。心に響かない訳が無いのである。

彼岸を過ぎて日時を経ているが、日も落ちた帰りの道すがらに目をやると、歩道沿いにひっそりと、彼岸花が花を咲かせていた。仏典の教えの響きがまた耳の中で廻っているようであった。

――――――
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
譬へば水の中に居て
渇を叫ぶがごときなり
長者の家の子となりて
貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻の因縁は
己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそへて
いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は
賞嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏 懺悔 修行等
其の品多き諸善行
皆此のうちに帰するなり
一座の功を成す人も
積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき
浄土即ち遠からず
辱くも此の法を
一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は
福を得ること限りなし
いはんや自ら廻向して
直に自性を証すれば
自性即ち無性にて
すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として
謡ふも舞ふも法の声
三昧無礙の空ひろく
四智円明の月さえん
此の時何をか求むべき
寂滅現前するゆえに
当処即ち蓮華国
此の身即ち仏なり