日常の日々の、何もしたくないという特定の行動についての一考察

日常の日々の、何もしたくないという特定の行動についての一考察である。本日はまるで何もない様な一日の普及的時間が蔓延していたというような一日ではあった。月に1回の休日デッサン会にも足を運ぶこともせず、いたずらに時間を浪費してしまっていた。

寒くなってこのかた、高い山にも登ろうという意欲などもないのであり、これからの冬においては、冬ごもりの支度をすることぐらいしか思い浮かばないのだ。やはりこれも加齢のもたらす現象の一つなのかと思いを抱きつつあり。

「のどじまん ザ!ワールド」を観た。アングロサクソンや黒人歌手の歌唱力には脱帽

本日は「のどじまん ザ!ワールド」という歌番組があり、思わず知らずに引き込まれてしまっていたのであった。

外国人が日本の曲を歌って点数を競うという番組であり、誰もが知っているヒット曲やマイナーだが懐かしく口ずさむ曲などを、日本人以上の歌唱力にて披露していた。オリジナル歌手の歌唱を超えた歌声は数多あり、やはり毛唐、おっとっと失礼、外国人の中でも特にアングロサクソンや黒人歌手の歌唱力には脱帽の一言しかなかったのである。

日本人とはDNAが異なるアングロサクソンや黒人たちは、やはり端倪すべからざるものをもっていたということを思い知ったのではある。かねてよりのアングロサクソンや黒人への倦厭の思いは払拭されたのではある。

ちなみに優勝したのはアメリカ人ことニコラスの「TSUNAMI」であった。

ご存知サザンオールスターズの名曲だが、最近は東北地方の津波との連想をさせているとかで、ひどく評判が良くないようなのである、というのか誹謗中傷が渦巻いているのである。名曲「TSUNAMI」と東北大震災の津波とをいっしょくたにするかの感性は、まるで馬鹿げているのだが、そうした冷静な評価は隅に押しやっていられている。いと残念ではある。

ニコラスの「TSUNAMI」は歌唱力が抜群であったのみならずに、この歌詞の日本語的わびさびの理解度においても抜群であった。我が国の歌謡曲を代表する曲だけに、外国人から評価されたようでもあり、うれしい気持ちではある。

本日にて営業を終止する「セブンイレブン」の店内

地元の某「セブンイレブン」に立ち寄ったところ、本日の23日23時にて閉店のアナウンスがなされていた。陳列されていた商品は店内を見る限り4分の1程度かそれ以下に縮減しており、いつものセブンイレブン店内とは様相を一変させていたのである。商品の乗っていない陳列棚は、あたかも商店がシャッターを閉じた商店街の光景がだぶって見えた。セブンイレブンと云う流通界のガリバーがこのような店舗の閉鎖に追いやられる、其の背景について思いを巡らせていた。

スマホをソフトバンクからドコモに替えてみたのだ

これまで使っていたスマートフォン、ソフトバンクの愛用機種こと「iPhone4」を、ドコモの機種に替えてみたのだった。

変更へと導いた最大の要因は、ソフトバンクの電波が地方の郊外地である田舎ではつながらなかったことである。大都市圏、中都市圏においての使い勝手はとても良好であり不満は無いのだが、こと地方に赴いた時には難儀の連続なのであった。

新規購入したのは「ARROWS X LTE」という機種。ドコモの「Xi」システムに対応しているという「NEXT」系の最新機種の1台ではあった。

ソニーやシャープ社製の機種は人気が高いと見えて、予約受付であったのであり、すぐに購入できる国産の機種に選択したということになる。もっと良い機種があっただろうに、待つのが辛いの選択なのではあった。

新機種は恐らくプラスチック素材を主材料としており、これまでの「iPhone4」と比較してとても軽く感じられたのであり、携帯性はアップしているのであろう。決して悪くは無い。

明日から多少のモバイルスタイルが変わっていくのであり、それはまた刺激的な事柄なのではある。

タバスコと共に運ばれた洋風「チーズトマト餃子」には些か驚かされた

餃子が売りメニューの中華居酒屋にて「チーズトマト餃子」なるものを注文した。

出てきたのは、ピンクがかった厚めの皮に包まれていた。そして中の餡には、豚肉とともにチーズとトマトが練り込まれていた。

これならば想定の範囲内だが、注文したメニューとともにタバスコが一緒に運ばれてきたので、些か驚いてしまったという次第である。

多少躊躇いもあり、店員に、本当にタバスコは合うのか? と質問してみたところ、

「とても合いますよ。いちど試してみてください」

と真面目な口調で受け答え。それならばとタバスコを厚めの餃子の皮に垂らして口にしてみたのだった。

すると確かに、餃子ながら味付けは歴として洋風であり、タバスコの風味もピリリと効いていた。これならば醤油もラー油も要らない。悪くない味付けではある。

たまに気まぐれに注文してみる価値のあるメニューであった。

我家のWiFi化で、TVがモニター化されている

先日は我家でもWiFi化を実現させたのであるが、その影響として見られるのが、TVのモニター化である。

親機から離れた部屋にて置いているMac mini機が無線LAN回線を受信できたことにより、ネット化されたのであり、つまりはTV機がモニターとして機能することとなった。

家の中での離れた部屋のどこでもネット回線へのアクセスが可能になり、深夜や早朝にてのネット利用時間が増している。ネット中毒が益々加速されそうな予感である。

民主党内、国会内の政局より、大切なのは国民の暮らし。監視すべきはハイパーインフレの流れである

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/consumption_tax/

小沢一郎らによる反対、造反により、本日の国会界隈は荒れ模様である。

与党が過半数を維持する為の54人以上の造反者が出たということであり、マスコミ等々では、野田内閣の崩壊とそれ以後の推測報道がひっきりなしの有様だ。

増税法案の可決は、けだし歴史の一里塚であり、必然ではある。

これを政局の混乱に利用した小沢一郎は、もはや政治家としての資格に欠ける唾棄すべき政治屋のごときではあり、早めに政界から追放するに越したことは無い。

だが問題はその後であろう。

消費税増税が消費の控えをもたらし、景気低迷への懸念が、一部のマスコミでは盛んに喧伝されている。だが重要な問題はそんなところには無いのだ。

最も懸念すべきは、消費税増税に便乗した、ハイパーインフレへの懸念である。中小・零細企業が便乗値上げをおこなう可能性は高いが、それ以上に財務省及び大企業の企みによるハイパーインフレである。この影響は、中小・零細企業による影響を遥かに数十倍以上に超えている。

ハイパーインフレが生ずれば、或いは財務省の企みによるハイパーインフレが可能になれば、国家財政、国家による負債は解決することになる。その反面で区民の生活は尋常ならざる打撃を受けることになる。

大企業や税金で食べている政治家、国家公務員らが安心し、得をする。こんなシナリオを可能にするのがハイパーインフレへの流れではあるのだから、最大限の監視と阻止をすべきなのである。

こんな財務省、野田内閣のシナリオに乗らないことが現在の国家国民の意識としては最も大切なのである。

刑事被告人による判決文的、東京電力による事故調査報告という欺瞞

東京電力は20日、福島第一原発の事故調査について最終報告書を公表したという。

http://www.asahi.com/politics/update/0620/TKY201206200550.html

その内容たるや、まさしく盗人猛々しき様なり。何しろ重大事件の被告人が何を思ったか、被告の座に座ることなく重大事件に関する判決文を認めていたということなのであるからして言語道断であり、こんな代物を発表させた東電当事者たちの人間性を疑うものである。

こうした報告はまさしく、刑事被告人に対して判決文を書かせるというに等しくナンセンス極まりないものである。マスコミもどの程度この現実を認識して報道しているのか、はなはだ疑問が生じているのだ。

そもそも国会や民間の事故調査に東電関係者は取材拒否をしていたらしい。そんな集団が、自らの調査報告を出すこと自体がおかしい。おかしいと感じないらしい当事者たちの非人間性は筆舌に値するものがある。

以前も書いたが、勝俣東電元会長の刑事的責任は免れない。法曹関係者は何よりもまずこうした責任者を刑務所に入れる手段を講じねばならない。そうでなければ我が国の司法の意義は無いと云って良い位である。

野田佳彦の欺瞞(2)突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした

先日の野田佳彦の、突然の「大飯原発」稼動の記者会見にはぞっとした。

「国民生活守るため必要」だなどと云うまるで大勘違いのコメント共に記者会見を行なっていたのだから尚更ではある。

野田佳彦という男はまるで勘違いの権化である。

極めて悪い意味での自己満足、大衆迎合、保守反動、劣悪謬見、自己憐憫、のかたまりである。

こんな人間を首相にしている我が国の悪しき国民性の性格が否が応でも浮き彫りにされるのである。

こんな馬鹿首相については、かつて掲示板上にて誰かが主張していたように、徹底的に病理学的解剖やらを行なう必要がありそうだ。

そしてこんな言辞をマスコミ媒体が真に受けてしまうことこそ我が国の病弊が潜んでいるのかもしれない。

痛風の甚大なる疼痛に苛まれた

昨日から「痛風」の発作に見舞われていた。およそ1年半ぶりの発作であった。特に昨晩からの疼痛は耐え難いものであり、睡眠時間もおよそ3時間程度しかとることができなかった。

かねてより痛風発作の原因物質である「プリン体」摂取を控えることを心がけてきたが、ついつい油断が生じていたようであったのだ。

時々、生ビールなどを注文するようになっていたし、レバー等のモツ焼き、鱈子や筋子等の魚卵類、おいらの好物である食物を、少しずつ増やしてしまっていたからではある。

5回目くらいの発作ではあるが、疼痛の程度は今回が最も強かったのであり、初めて、痛風専門の医院を訪れていた。発症箇所の足の親指はより根元に近づいていた。

医院では靴下を脱いだ足を見せつつ、女医さんに疼痛の緩和治療を訴えていた。妙齢の女医さんは微笑みつつ、

「8割がた痛風に間違いありませんが、症状が治まってからの治療が大切です。痛みが引いた後も受診してください」

「強い痛み止めの薬を出しておきます。静脈注射で炎症を抑える注射をしておきましょう」

と優しい言葉を掛けてくれていた。

一晩続いていた激痛は、注射後1~2時間で引いていき、今は多少の違和感や腫れがあるものの大分回復したのである。医療内容の印刷物をチェックしたところ、静脈注射は「リメタゾン」と云う、主にリウマチに対して処方される聞き慣れない薬剤であった。

厚い雲の隙間から姿を見せた「金環日食」ショーに釘付け

何しろ先日からのマスコミ報道によれば、我国本州で金環日食が見られるのは129年ぶり、首都圏においては実に173年ぶりの天体ショーだということであり、万難を排してその貴重なショーを目に捉えようと、昨夜から些か気張っていたのである。

ところが朝起きて窓を開け、ベランダから東の空を眺めると、そこには分厚い雲の群れが立ち込めていて、とても太陽ショーを拝められる様な天候ではなかった。グレーの空の向こうに太陽は隠れており、日食が始まる時間が過ぎても、太陽は中々姿を見せようとはしなかった。TVニュースにて放映される日食の映像は九州鹿児島から始まってリレー式に捉えられていたが、予定コースの多くの地域では厚い雲に閉ざされているようではあり、おいらの居場所もまた、姿を見せぬままいわば素通りしてしまうのだろうと、半ば諦念とともにあった。昨晩用意した一眼レフカメラ、ミラーレスカメラ、日食めがねを傍らに置きつつ、ただおぼろげに光る隠れた太陽の方角を眺めながら、時は過ぎていった。

7時を回っても空も大地も重く暗く、諦めが落胆に変わろうとしていた。そんな時、厚く閉ざしていた雲の隙間から漏れるように、黄色い筋状の光が地上を照らし、その後数分間の間だけ、薄い雲のフィルターから覗かせるかのように日食の太陽が姿を現したのであった。天体ショーのクライマックスを直前にしたときの主役の登壇に否がおうにもテンションは高まり、慌ててカメラのシャッターを押していた。厚ぼったい衣装を脱ぎ捨てつつその熱い柔肌を薄いベールの先に露出するかの演出に、気持ちは上ずっていたと云えるのかも知れない。

標準ズームレンズのミラーレス機で捉えた金環の太陽は、小さいながらもくっきりとした黄金のリングを描いていた。だが望遠レンズを装着した一眼レフ機の映像は、白く拡散した光が散らばるばかりで、リング状の姿を捉え得なかった。オート露出に頼った為の露出ミスであることに気付いてマニュアル露出設定に切り替えたが、捉えた太陽はすでに「金環」の左の環を欠いてしまっていたのであった。

青い空に白い太陽の金環ショーを想像していたのとは全く異なった光景ではあり、それが却ってドラマティックな印象を植え付けてくれたのである。

夜の吉祥寺「井の頭恩賜公園」と「いせや」を散策

夜の吉祥寺、井の頭恩賜公園の界隈を散策した。JR中央線幹線の吉祥寺駅から徒歩で10分以内の場にある井の頭恩賜公園は人の行き来は多かれども、とてもひっそりと佇んでおり、夜間の公園ならではの樹木や池畔、鳥類等の息遣いを感じ取っていた。

見えない場所を想像しながら歩を進めて行くと、池の中のたぶん鯉であろう魚がぷくぷくと息をする姿が浮かぶ様であった。

そして散歩のあとは、夜の「いせや公園店」にて一献。総本店が近代的な鉄骨ビルディングに建て替えられてからは、この公園店こそがいせやの面影を残している。

その昔はいせやにはホッピーが無かったが、いつの間にかホッピーは此処でもポピュラーなメニューとなっている。焼き鳥が有名な名店ではあるが、煮込みや餃子もまた旨い。もつ焼き類は荒削りのもつの素材を味わえるが、餃子、煮込みは、古くからの昭和の面影を伝える味わいが魅力である。

肌寒かった今宵は、地元八王子のデッサン会に参加

休日なのに天候は肌寒くて、午後からは雨模様の日であった本日はと云えば、おいらはたまに参加している地元の八王子美術連盟が主催するデッサン会へと久しぶりに足を運んでいたのだった。凡そ月に2回程度のペースで開催されるデッサン会だが、今月は特別に、金、土、日の連続した日にちでの固定ポーズなのであった。おいらが参加したのはその最終日の夜の部。参加者は普段に比べて少なくて、却って熱中してデッサンに集中することができたのであった。

おいらにとって所謂「写実系絵画」などというものには、興味関心の埒外ではあるが、気持ちの感性の赴くままにコンテ(今日の素材である)を滑らせながらモデルさんと相対峙する時間はとても希少な代物ではあり、他の参加者の筆致やドローイングの息遣いに接することができて、それはまた希少性の体験であったのである。制作の時間は何時でも個人的で孤独な営みに終始しているが、こんなイベントに参加して、隣の制作者の息遣いや筆致に接しているのは悪くない時間の体験であった。

今年も庭のチューリップが恥らいの紅を付けた

我が家の庭にはチューリップが植えられており、桜が散るこのころになると蕾を開かんとする。長い冬の寒さに耐えて地表に幹を伸ばし、もうすぐに開花の時を迎える。今年は昨年より数日遅かったようだが、可憐で恥らいの紅を見せていたのだ。

少し前に花を咲かせたヒヤシンスは、可憐な花びらから春の香りを振りまいていたのだが、強風にも煽られたせいだか、すぐに花びらを閉じて幹を横たえてしまった。花の命は短かけれど、とても儚く感じさせていた。

地元の花屋では何種類ものチューリップが可憐な姿を示している。庭に育ったチューリップはそれら以上に可憐でかつ華麗な姿を見せてくれるだろう。

桜橋界隈で満開の桜に出会った

この週末が都内の桜のピークだと聞き、浅草から桜橋へと向かった。

今年は相当遅い桜前線の様相と思っていたが、例年より1週間程度の遅れであったようである。隅田川沿いの歩道を歩くと、薄桃色の桜の大群が迫ってきた。

想像以上の満開桜であった。

高尾山では新緑の若葉が芽生えていた

高尾山へ登った。とはいっても足を使ったのはそう長いルートではなく、観光リフトに搭乗しての登山であった。

リフトに乗ったのは子供のころにスキー場で搭乗した時以来だ。久しぶりの体験であった。幅1メートルあるかないかの席に乗り込んで、空中遊覧散歩が始まった。初めのうちは山肌をすぐ近くにしながらの長閑な散歩ではあった。しかしながら中腹を過ぎたところ辺りから突如として山の崖を眼下に眺めるようになり、掌には冷や汗がにじみ、体が凍り付いてしまったのだ。足はぶらぶら、とても空中散歩を長閑に楽しむ気分ではなくなってしまっていた。

それでも山上駅に到着するころには、空気も澄んでいることを実感し清々しかった。初春の季節はまだ緑が色付くものではなかったが、灰色の枝から薄緑色の若葉が芽生えていたのを目にし、春という季節の訪れを視覚的に味わうことができたのだった。

春風吹けど桜のいない花見かな

昨日の強風は生温かく、春一番の風を連想させたが、今頃の時期に吹く風を春一番とは呼ばないんだそうな。例年になく寒気が強かった今年は、春一番が吹かなかった異常気象の年としても記録されている。

ところで首都圏ではこのところ「桜祭り」の看板を目にするようになった。地元に近い都立公園でも屋台が立ち並び祭りの様相だが、何しろ肝心の桜の花が見えない。早咲きの種類が1割程度の開花だったが、通常の桜はまだ硬いつぼみを開く素振りさえ見せてはいなかったのである。例年に比べると2週間は遅れているかに見える。

この時期、上野駅の桜が満開だった

桜はおろか梅の花さえ未だ見ることのない今年の初春である。

そんな今年の最初の満開桜を眺めたのは、上野駅構内の桜であった。造花ではなくなまの桜である。これ異常、否以上はないくらいに満開に咲き乱れていた。

桜も温室栽培か何かの人工栽培を施せば、天候に左右されない満開花を咲かせることができるのだと、ある種「人工」のパワーを認識し、それと共に、そんな人間の叡智を、温暖化防止等の価値有る営みに結び付けられないのかと考えていた。

未だ3分咲きの故郷上州の梅の花

上野駅からいつもの列車に乗って、故郷上州へと向かった。上州も東京と同様に桜の開花の気配など無かったのだが、出身高校の跡地に程近い双子山古墳の周りの梅が花を咲かせているのを目にすることが出来た。未だ3分咲きといったものだが、可憐で桜より強いピンクの花弁が風趣をそそったのであった。

極寒の冬に耐えた球根が芽を出していた

秋に植えた球根が、いつの間にか芽を出していた。すっかり寒さが浸透して中々冬を通り過ぎることが出来ないようなこんな季節の中でも、根を広げてまっすぐ上を向いていた、そんな球根の芽を見つめると、春の来ない冬は無いということを実感した。

極寒も手伝ってか、未だ枯れきれない落葉の間にすっくりと目を見せていたのを発見したのは、2~3日前だった。近付いてみると、寒さに凍える濃緑色の逞しい力を見て取ることができた。まだまだ春の息吹を見せているとは云い難い。凍えてなお春を求めて成長する姿はこの時期ならではの、或は今年の特別な姿なのかもしれない。

今年はチューリップのほかに、ヒヤシンス、クロッカスなども含めて球根栽培を行なっている。様々な形の、色の蕾が花を広げていくのがとても愉しみなのである。

球根植えのときは地中に穴を開けて2~3cmの土をかぶせてきたはずだが、球根の実が土上に浮かび上がるようにして茎を伸ばせていたものもあった。東京では珍しい豪雪や豪雨により、土壌の混乱が反映されてしまったのかとも考えた。天然で育つほど生命力ある品種ではないだろうから、これからその成長を見守っていく必要もありそうなのだ。