虚実ない交ぜのハチャメチャ的エンターティメントの「清須会議」を鑑賞した

三谷幸喜氏の監督最新作として喧伝されている「清須会議」を鑑賞したのだ。

http://www.kiyosukaigi.com/index.html

当映画の主役と云えるのは羽柴秀吉役の大泉洋だと考えるが、然しながらとても彼には存在感があるとは思えずにいていたのであり、果たして誰が主役なのかと視聴している間は思案していたのではある。実際、主役級の役者は示されているわけではなくて、大泉洋は主役どころか準主役的役割としても認識されているかどうか。はちゃめちゃ的なドラマはと云えば、虚実ない交ぜのハチャメチャエンターティメント的映画としてあった。

求めていた「ピカビア展 FRANCIS PICABIA」の画集をゲット

OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA
先日は「ピカビア展 FRANCIS PICABIA」の画集をゲットしたのだった。フランスの画家、フランシス・ピカビア(FRANCIS PICABIA)の画集を、思いがけなく地元の古書店にてゲットしていた。1999〜2000年にかけて我が国で開催されていた「ピカビア展」の作品をまとめたものである。

ピカビアとは、20世紀芸術家の巨頭ことパブロ・ピカソと比べては2年程前に生を受け、前衛芸術家としてキュビズムやダダイズムの影響を多大に受けた後に、独自の展開を遂げた、希有な作家であった。

おいらもフランシス・ピカビアには以前から特別に注目し、影響をも受けていたが、なかなかまとまった作品世界に接することがなかったのである。今回は地元の足繁く通う古書店で同書をゲット出来たことは、近頃における行幸のひとつと云って良いのだろう。

画集の中には、修業時代のものから始まり、キュビズム、ダダイズムの影響を受けた後の様々な作品群がまとめられている。ピカビアの個性が光る作品群についても「怪物の時代」「透明の時代」「模索の時代」「具象の時代」「抽象の時代」とそれぞれにマーキングがされてあり、とてもアグレッシブにスタイルを模索していた作家の苦悩を見て取ることが出来る。スタイルというのは一過性のものであり、つまりは生涯をかけて様々な試みにチャレンジし続けていたアーティストの指標を見ることが出来る。

そして、ピカビアの魂に通ていしていたテーマはといえば、人間存在だったのではないかと思うのである。人間存在がアートのテーマにあり続けている。このことが画集全体から浮かび上がって来る。様々な肉体的表情から、喜怒哀楽全ての人間存在の表情が浮かび上がって来るのである。

ピカソやダダイストたちの影響を受けながらも、自らのスタイルを模索して作家活動を継続していたピカビアの作品を観るにつれて、アートはスタイルを超えること、スタイルを壊すことから成り立っていることを再認識させていたのである。

コンタックスGシリーズレンズ「CONTAX Sonnar T* 90/2.8」は、デジタルでも良好の味わい

contax3

contax2contax1

クラシックなフィルムカメラとしておいらが愛用している1台が「コンタックスG1」だ。一眼レフカメラとは対極をなすレンジファインダーカメラであるが、徹底的に電子化を図った機種として特筆される。主にスナップ的撮影には最適なフィルムカメラである。

開発発売元は京セラという日本のメーカーではあるが、コンタックスのブランドは、ライカと双璧をなす、ドイツのトップブランドであり、とりわけ「ツァイス・イコン」としての秀逸なレンズ群によって世界屈指の支持を得てきている。「CONTAX Sonnar T* 90/2.8」とはそんなツァイス・レンズの中のひとつとして未だに写真関係者たちの注目の的となっている。

普段使いのオリンパス製のデジカメにこの「CONTAX Sonnar T* 90/2.8」をセットして撮影してみた。使用したのは、コンタックスGマウントのレンズをマイクロフォーサーズのカメラにセットさせる「KIPON」社製のアダプタである。その結果としてのところ、ツァイスレンズの想像以上の味わいが秀逸であった。アナログ的レンズの珠玉としての「ツァイスレンズの」は、デジタルのカメラと交じわうことにより其の一層の存在感を示していると云ってよい。

アナログ的なふわっとした描写ながら、その描写力はデジタル世代のレンズに決して引けを取らない。程よいコントラストと色彩再現性の高さは目を見張るものがある。普段使いのオリンパスやニコン製レンズでは表現出来ない味わい深い表現を、このレンズが可能にしている。

奇才ボリス・ヴィアン原作の映画「ムード・インディゴ〜うたかたの日々」を鑑賞

何しろ原作が奇才としてならしたボリス・ヴィアンによる「うたかたの日々」だというので、先日から観に行きたくてしょうがなかったのだ。同原作は「永遠の青春小説」と評価されフランスで熱狂的な若者の支持を受けており、400万部以上のベストセラーをはくしている。おいらもかつて青春の一時期に読んで心踊らせたことを懐古する。

10/5にロードショー公開されてからもう一月以上が経っていた。都内新宿の映画館での終了日を過ぎた今日、もう一つ上映中の渋谷の映画館「シネマライズ」に駆けつけたのだった。

いざ始まってみた映画は、原作のイメージを通り越してキッチュでポップでさらには人工的なシーンの数かすに驚ろかさせられる。時代背景近未来なのか、或はヴィアンが生きた時代のパリなのかさえ判然としない。まるで大人のおもちゃを持て余す登場人物たちは映画の中ではしゃぎまくる。恋愛に驚喜する姿がキッチュな映像となって流れていき、次第に映像世界に順応したという頃、例の睡蓮の病が主人公を襲うのだ。

前半の作り物玩具的シーンは影を潜めて、後半に入るとモノクローム調のねっとりと湿度の高いシーンが胸を襲って来る。見応えあるのはやはり後半部分だ。キラキラと煌めいていた愛の儚さがまるで夢から覚めた現実を受け止めるかのよう。原作者のボリス・ヴィアンはキラキラとした才能を振りまいたが、彼の魂の底流にはリアリズムのリズムが流れていたことを感じさせていた。

■ムード・インディゴ〜うたかたの日々
http://moodindigo-movie.com/

■シネマライズ
東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル
03-3464-0051
http://www.cinemarise.com/

「アーツ前橋」グランドオープン。「カゼイロノハナ 未来への対話」スタート

 artsmaebashi02

artsmaebashi

artsmaebashi03

群馬県前橋市の「アーツ前橋」が10/26にグランドオープン。開館記念展として「クゼイロノハナ 未来への対話」展が開催されている。

「地域にゆかりのある美術作家、文学者、音楽家や科学者など幅広い分野の人たちが歴史的に積み重ねてきたクリエイティブな仕事を、現代の芸術家たちが再解釈して作品をつくりあげます。これらの作品は、時代やジャンルを超えた対話によって私たちの未来を切り拓く新たな価値観を提示するものです。館内の展覧会のほかにも、館外に広がる地域アートプロジェクトなどもぜひお楽しみください。」(アーツ前橋HPより)

会場に足を運んでみたところ、いささか総花的ではあり、会館関係者たちの意図が伝わるかは疑問だが、司修さんのペインティング作品が展示されている等々の見どころは存在する。

■アーツ前橋
〒371-0022 前橋市千代田町5-1-16
TEL027-230-1144

http://artsmaebashi.jp/

尾崎コレクションこと「MY FIRST OZAKI」を視聴した

[エラー: isbn:9784091036384:l というアイテムは見つかりませんでした]

尾崎豊が亡くなって20数年あまりがえる今年この先日に尾崎コレクションこと「MY FIRST OZAKI」というDVD&ブック本が発刊された。

「尾崎豊は、なぜ今も支持さされているのか?」

ということをテーマにして出版されている。尾崎豊のディレクターとして活躍した須藤晃という人のイントロ的文章「尾崎豊という人」が胸を打つ。

「尾崎豊は転げ回って 傷つく自分を音楽で表現しようとしました。全身全霊むをかけて。」

表題は初めて接する尾崎豊のファンをターゲットにしているかのようだが、古くからの尾崎豊のファンにとってもとてもビビットに感動させてくれた。

其の映像は、尾崎豊の15曲のビデオを収録されている。現在の映像的レベルと比べればとても劣った映像だが、カメラマンや映像ディレクターたちの真摯な熱情が伝わってくる。そしてなによりの、尾崎豊に対するリスペクトした心情が伝わってくるのだ。

前橋文学館にて「書物にみるアートの世界」が開催中

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

前橋文学館にては現在「書物にみるアートの世界」という企画展が開催されている。

萩原朔太郎など郷土の文学者にかかわる書籍・雑誌を、表紙、文字組み、製本など、ブックデザイン面から紹介しているという企画展である。朔太郎さんの書籍の多くがブックデザインにおいても観るべきものが多いということであり、そんなブックデザイン、即ち装幀における一流の展示物を観ることが出来て満足であった。

朔太郎自身が描いた猫のイラストが黄色い表紙に印刷された詩集「定本青猫」は出色の出来栄えである。

朔太郎さんの「月に吠える」の復刻版はおいらも所有しており、其の表紙の装幀の素晴らしさには以前から瞠目していた。同書以外にも様々な朔太郎さんの書籍における装幀の見事な仕事ぶりに接すると、当時のアナログ的出版物に関わる装幀家たちの見事な仕事ぶりに脱帽してしまうのである。

http://www15.wind.ne.jp/~mae-bun/
■前橋文学館
群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号
027-235-8011

名画がじっくり味わえる上州桐生の「大川美術館」を訪問

okawamu01

上州群馬の桐生市内「大川美術館」を初訪問したのである。中央前橋駅から上毛電鉄というローカル線に乗って終点の西桐生にて下車。そこから急峻な丘に続く道を歩くこと十数分で「大川美術館」に辿り着いたのだった。

■大川美術館
群馬県桐生市小曽根町3-69
TEL 0277-46-3300
http://www.okawamuseum.jp

到着した其の同美術館の入り口はそっけないくらいに地味な佇まいだが、その館内はと云えば想像以上にすこぶる充実した展示空間が広がっていた。

現在の展示テーマは「大川美術館の軌跡」となっている(10/5(土)~12/15(日))。開館以来積み重ねてきた収集・展示活動の成果を振り返ることがテーマとなっている。これまでに開催してきた特別企画展からそのエッセンスを抽出し、収蔵作品を、「顔」「街」等々のテーマに分けて展観する、とされている。おいらが今回初めての訪問したにしたことに鑑みれば最もラッキーな展示テーマに遭遇したといえるのかもしれない。

改めて説明するならば、同美術館の収蔵作品の充実量は地方の美術館の一般的推量を遥かに超えて充実している。松本竣介、萬鉄五郎、野見山暁治、等々の日本人から著名な西洋人画家達にいたるまで、当館開館時の大川栄二コレクション1,200点あまりが収蔵されているのだから驚きではある。

日本の洋画家たちの代表的な作品群が収蔵展示されていることに加えて、ピカソ、ブラック、ユトリロ、たち巨匠の作品に巡りあえた悦びに舞い上がることにもなった。例えばピカソの作品は「卓上」といったカテゴリーに仕切られた部屋ブースにて展示されていたのだが、巨匠の作品ということが一目で感じ取れるオーラに導かれており、思わず知らず凝視して立ち竦んでしまったというのが実態であった。

okawamu02

後半部クライマックスが感動的な「そして父になる」を鑑賞

 

第66回カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した「そして父になる」を鑑賞。6年間育てた息子は他人の子だったということから、2組の夫婦とその家族が悩み傷付き、そして運命の選択を受け入れていく過程をドラマ化した描いた話題作だ。

福山雅治&尾野真千子の夫婦とその息子と、リリー・フランキー&真木よう子、という2組の夫婦が、それぞれの家庭環境を舞台にして、苦悩の時間を過ごしていく。だが一方ではリリー・フランキー夫妻の家庭は明るくあつけらかんにてやりすごし、もう一方の福山夫妻は悲劇の夫婦よろしくに地獄の谷に落ちていくのだ。

国際的な映画界の評価はともかく、物語の前段はといえば、何かプロットに嵌ったあまりカッコ良くないダサいタイプの脚本に、いささかうんざりとしており退屈感さえ感じさせていた。さらに言葉を加えるならば、プロット自体が凡庸であり、創造的なものはその中には感じ取ることができかねていたのである。

ところが物語の中段を過ぎてから、その上記の思いは攪拌され粉々に霧消ことになっていたというべきかも知れない。本来的な映画の物語が動き出すのは中段以降の後半戦にこそあったのだった。

主人公的な福山夫妻の生活環境は、三菱コンチェルンを連想されるべき大手建築会社のエリートであり、負けを知らない人間は人の心を知らないとまでに罵らされていく。前段におけるエリート臭さが木っ端微塵に弾け去ってしまう、象徴的なシーンの一こまとして印象的では在る。

物語の3分の2を過ぎたころになって、ようやく物語りは佳境に入るのだが、それ以降がこの映画の本物のクライマックスとなっているように思えてならない。すなわち3分の2に至るまでのドラマは前章としての幕開け的つくりではある。

http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/

青梅の「かわいいモノと小さな芸術祭 Beyond Art ~自然とエナジー~」展で阿山隆之さんの作品に遭遇

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

先日当ブログでも予告編として紹介したが、青梅にて「かわいいモノと小さな芸術祭 Beyond Art ~自然とエナジー~」展が開催されている。

八王子市内「木馬工房」の阿山隆之さんも出展するというので、おいらも期待をふくらませて同会場へ訪れていた。

阿山さんの作品が展示されているのは「さくらファクトリー」は、3箇所ある会場の一番奥に位置していて、ノコギリ屋根が特長だ。とても渋い年季の入った木造建築の構内に足を踏み入れると、高崎だるまが導くアクションペインティング風作品のブースに目を奪われる。

さらに足を運ぶと、田島征三さんの展示コーナーへと行き着いた。「流れるいのちの河」という巨大な作品は、手漉き和紙にヤマザクラの実が散りばめられていて、巨大ないのちの河としてのイメージとともに加えて、自然の営みの美しさ、きらびやかさなどを主張していた様だった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

いよいよ歩を進めると、隣が阿山隆之さんのブースである。記憶に強烈に染み付いている「水牛ととり」にとても懐かしさを感じる。初めて阿山作品に接したのが、八王子市夢美術館「夢美エンナーレ」展での受賞作品としてのこの「水牛ととり」であったのだ。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3543

新作であろう作品も多数展示されていた。中でも「メダカの学校」という作品は、メダカらしからぬ夫々の魚たちの泳ぎ踊りまわる姿が個性的で微笑ましくもあり、作品を前にして立ち尽くしていたのである。

■かわいいモノと小さな芸術祭 Beyond Art ~自然とエナジー~ 会場:東京都青梅市西分町3-127 日時:9月21日(土)~10月6日(日)

http://www.beyond-art.jp/about.html

3箇所ある会場の一つの「繭蔵」は最後に訪れたのだが、2階が同展示会関連グッズの販売所、1階がレストランとなっていて、美味しいコーヒーをすすりつつ心地よい散歩の休息の時間を過ごしていた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

【予告】自然とエナジーをテーマにした「かわいいモノと小さな芸術祭」が開催

 

来る9月21日より10月6日まで、青梅市内で「かわいいモノと小さな芸術祭」というイベントが開催される。

開催前イベントとして19日には田島征三さんによる「流れるいのちの川」というトークイベントが行われる。10月3日には詩人の谷川俊太郎さんの朗読イベントも予定されている。とても期待の持てるイベントである。

以前に当ブログでも紹介した阿山隆之さんも作品出展する。これまでの作品に加え、大きな戸板に描いた作品も出品するため制作に励んでいるところである。ちなみに阿山さんの作品は、さくらファクトリー会場にて展示される。

■かわいいモノと小さな芸術祭
会場:東京都青梅市西分町3-127
日時:9月21日(土)~10月6日(日)

http://www.beyond-art.jp/about.html

八王子夢美術館にて「ムットーニワールド からくりシアターⅢ」展開催

mutou02

八王子夢美術館にて「ムットーニワールド からくりシアターⅢ」という展覧会がスタートした。横浜出身のアーティスト、ムットーニこと本名・武藤政彦氏の作品を展示している企画展である。(会期 2013.09.13(金)~ 2013.11.24(日))

ムットーニ氏が制作する作品群の多くは、オリジナルな「箱」とその場に集う人形及びモノたちのパフォーマンスによって成り立っている。暗い展示室に展示されているムットーニワールドの登場人物たちは、箱を舞台として動きまわる。箱を舞台に演技する人形たちの姿は、優雅な和装に彩られていたり、昔年の人気番組ことひょうたん島の住人風だったり、あるいは未来のロボット風であったりと多岐を極めており、そんな人形たちの表情に接することから、先ずはムットーニワールドに惹き込まれていた。

日本古来からの伝統工芸である「からくり人形」に似ていなくはない。西洋には西洋のオートマタ(自動人形)というジャンルがあり、其れとの類似も指摘されている。けれども人形たちの表情から物思いに耽ったパフォーマンスと、洗練されて採用されたバックミュージックたちとも相まって、ムットーニならではの芸術的創造性が発揮されていると云えよう。

■八王子夢美術館
http://www.yumebi.com/
東京都八王子市八日町8-1 ビュータワー八王子2F
TEL. 042-621-6777

みどり企画HPの「みどり企画ギャラリー」を更新しました

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました。

http://www.midori-kikaku.com/gallery/

新しいデザインを採用しつつ、新規画像を2点追加しました。

art_fuji01art_fuji02

「古里の富士と湖の記憶 Ⅰ」と「古里の富士と湖の記憶 Ⅱ」はともに、幼きころから親しんでいた地元古里の田舎富士とそのふもとの湖と所謂逆さ富士等々のイメージを造形化したものである。

ちょうど先日は富士山が世界遺産に登録されたことに触発されたことが、制作のきっかけとなった。

瀬戸内寂聴さんの原作映画「夏の終り」を鑑賞

 http://natsu-owari.com/

瀬戸内寂聴さんが原作を著した映画「夏の終り」を鑑賞した。本日から全国ロードショー公開されている。先日は予告編を目にしていたのであり、待ちに待った映画鑑賞となっていた。

寂聴さんの初期の代表作である「夏の終り」は、自叙伝的内容が詰まっていて、尚且つ私小説的スタイルでぐいぐいと読者を引き込ませていく。この映画もそんな原作の持ち味を最大限に活かし得た、脚本、演出の巧みさが詰まっている。

さらには主役を演じる満島ひかりの存在感には圧倒されていた。女一人に男二人の三角関係、等と云ってしまえば残念さが付きまとう。年上作家を小林薫が、激しく一途な年下男を綾野剛がそれぞれに演じており役柄的にもはまっているが、満島ひかりにはそれ以上の存在感が満ちている。映画としての「夏の終り」の存在感は、満島ひかりさんにかかっているといっても過言ではない。

瀬戸内寂聴さんが記したコメントが印象的だ。

「作者としては生々しさに圧倒され肌に粟を生じて見た。」

[エラー: isbn:9784101144016:l というアイテムは見つかりませんでした]
 

横尾忠則さんの「日本の作家222」展が、京橋の南天子ギャラリーにて開催

yokooten01

 

yokooten02

如何わしい画壇等からは距離を置く、我が国の本物の巨匠こと横尾忠則さんの「日本の作家222」展が、京橋の南天子ギャラリーにて開催されている。

http://nantenshi.com/exhibitions/2013-yokoo130805.php

■「日本の作家222」

期間:2013年8月19日(月)~9月14日(土)
10:30am~6:30pm(日祭休廊)
場所:南天子ギャラリー
〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-5
TEL: 03-3563-3511 FAX: 03-3535-5648

横尾忠則氏が描いた名だたる222人の物故作家の肖像画が、そう広くないギャラリー内に所狭しと展示されている。

レアリズムと横尾流個性的タッチとが渾然的に一体となったスタイルは、相変わらずに健在である。「時間ですよ」と云う往年のTV番組で初めて横尾忠則さんの作品を目にしてインパクトを受けたのが、つい最近の出来事であったかの如くに、新鮮でピュアな感動が蘇ってくる。

加えて円熟の境地を示すかの如くに肩の力が抜けたというのか、肩肘張らないというのか、間の抜き方というのか、或いは横尾流の融通無碍的筆致とでもいうのであろうか、そんなタッチがとても感動を誘ってしまったのである。

妙にポップ調の原色が似合う吉本隆明さんや、よく見る安部公房さんの独特のグレー的色彩に着色された肖像画に接したときに、先ずは新しい作家を照らすビジョンが写り照っていたのであり、妙に似合っていた。そしてさらには既成的な作家のイメージを革めるビジョンを提示させていたとでも云うべきなのであろう。作家に対するビジョンを累乗化させる試みでもあると云えるのだ。

美術展と連動して同名の作品集「日本の作家222」が、日本経済出版社から出版されるという。見本書なのか、会場で同作品集を手にとってペラポラとベージを捲っていたのだった。オリジナル作品に接した後だったからか、ページ構成やレイアウトが些か厳か過ぎるのに対しての違和感を感じていた。受け取り方は夫々なので、厳かな美術書を批判している訳ではない。高価であるが興味ある方は購入されたし。

[エラー: isbn:9784532124380:l というアイテムは見つかりませんでした]

「LOUVRE ルーブル美術館展」はフランス的世界観に彩られていた

上野公園内の「東京都美術館」にて「LOUVRE ルーブル美術館展」が開催されている。「地中海 四千年のものがたり」という副題が冠せられている。漠然としたテーマではあるが、ギリシャ彫刻の名品が展示されていることを聞き、訪れてみたのだった。

■LOUVRE ルーブル美術館展
東京都美術館 企画展示室
〒110-0007
東京都台東区上野公園8-36
2013年7月20日(土)~9月23日(月・祝)

http://louvre2013.jp/

ルーヴルが誇る200点を超える収蔵品で展観されるというその企画展示会場には、西洋と東洋を結ぶ地中海世界の四千年におよぶ歴史的・空間的な広がりが展開されている。美術展というよりは、地中海をめぐる広大な歴史のビジョンに接する為の博物史的展示会という趣きなのである。

ギリシャ彫刻として教科書に掲載されるような作品には出会わなかったが、それに類する作品群には直接触れることができたのである。ギリシャ彫刻とは、おいらにとってはかつては石膏デッサンのモチーフであったのであり、東洋人の有するものとは異質なる骨格、プロポーション、骨太さ、等に接し、数十年ぶりに圧倒されていたという思いなのであった。

これらの展示物はまさしく、欧州の中でも特にフランス的世界観、歴史観を体現するにうってつけの歴史的遺物なのではある。

六本木の「国立新美術館」で「アメリカン・ポップ・アート展」を鑑賞

popart01

 

popart02

美術界で「ポップ・アート」と云ったら、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズの名前が浮かぶが、実際にそれらの作家による実作品に接する機会は少なかった。特定的マスコミやある種の美術業界一派によるポップアート賛歌に比較して、我が国における実際の評価は決して高いものではない。しかも今なお、ポップアート賛歌をうたう一派が美術界を賑わしていると見える。今回おいらが訪れた「アメリカン・ポップ・アート展」もまた、実際にはそんな背景を背負っているかのような印象なのである。

国立新美術館を2階に登り、会場へと入る。ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、ジム・ダイン、と云った著名作家たちの作品群に囲まれながらも、事実上の飽き飽きとした感情に支配されていたのだった。

ふと光明を見た気になったのが、アンディー・ウォーホルのブースに足を運んだときではあった。「マリリン・モンロー」「毛沢東」の有名な肖像画シリーズに加えて「キミコ・パワーズ」という日本人女性の作品に接したときに、ふと、ポップ・アートなる作品にも作家と鑑賞者との血が通っていたことを感じ取っていた。

云ってみれば「アメリカン・ポップ・アート」というジャンルは、ほぼアンディー・ウォーホルのみに冠されるものであろう。けだし他のアメリカのアーティスト達は邪道である。それを確認するだけでも当展覧会に足を運ぶという価値はあったのである。

国立美術館の「アンドレアス・グルスキー展」へと足を運んだ

gursky02

六本木の国立美術館で開催している「アンドレアス・グルスキー展」という一風変わった展覧会へ足を運んだ。

■アンドレアス・グルスキー展

http://gursky.jp/

会場 国立新美術館 企画展示室1E 〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2

主催 国立新美術館、読売新聞社、TBS、TOKYO FM

会期 2013年7月3日(水)~9月16日(月・祝)毎週火曜日休館

開館時間 10:00~18:00 金曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで。

料金 当日 1,500円(一般)、 1,200円(大学生)、 800円(高校生) 前売/団体1,300円(一般)、 1,000円(大学生)、 600円(高校生)

写真作家のアンドレアス・グルスキーは、1955年に旧東ドイツのライプツィヒで生まれ、幼少期に西ドイツに移住。1977年から1980年まで、エッセンのフォルクヴァング芸術大学でオットー・シュタイナートやミヒャエル・シュミットらの指導のもとヴィジュアル・コミュニケーションを専攻し、その後、1980年から1987年まで、デュッセルドルフ芸術アカデミーで写真界の巨匠ベルント・ベッヒャーに師事したとされている。2001年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で大規模な個展を開催し、一躍世界にその名が知られることになった。

今回の展覧会は我が国日本においては初めての個展ということだが、東京都内というより我が国を代表する美術館の広いスペースを使っての大々的な展覧会であり、あまりこうした展示会には接した記憶がない。いわば一風変わった展示会というもの見たさに、興味半分で足を運んでいたのが実際である。

「写真」という一ジャンルの作品でありながら、「アート」だと主張しているらしいのだが、写真が写真のジャンルを超えてそれ以上のものにはなりえないのである。いささか無謀なる主張ではある。

というわけであり、作品展を見回ってみたのだが、おいらは写真展としては邪道だという思いを強くしていた。デジタル処理やらというオリジナリティを侵害するようなものを公然と主張している。こんなことは写真界にはかつてなかったことではある。「写真」というメディアが存在する基盤もを否定するかのような主張には、はなはだ倦厭の情がたぎりたっていたというべきであろう。

写真というものは写真であり、デジタル処理を施して「アート」になるなどということはありえないのである。こんな物事の基本的な真実をないがしろにするような展覧会にはガッカリ至極なのではあった。

銀座奥野ビル「ギャルリーヴィヴァン」の「夏目漱石版画展」は一見以上の価値有り

souseki02souseki03souseki01

銀座一丁目の奥野ビル内「ギャルーヴィヴァン」では、20日(土)まで「夏目漱石版画展」が開催されている。

ご存知夏目漱石と云えば、明治維新後の混乱期に生を受け大正5年に没した、我が国の近代文学を代表する文豪である。そんな文豪が数多くの版画をものにしており、其の達筆なる所業が存在していたことはあまり知られていない。

今回の「夏目漱石版画展」は、大正11年から13年にかけて、夏目漱石のご長男夏目純一氏が監修した、漱石遺墨集全5巻のなかに入っていた木版画である。版の制作は当時美術作品の制作では、第一人者の伊上凡骨によるものを中心にしているという。一見、木版とは解らないほどの高度な職人技によって再現された漱石の水墨画は、改めて、漱石の魅力を深めるものとなっている。

夏目漱石の版画展を訪れて気付いたのであるが、夏目先生は自作へ「漱石山人」という署名を記していた。文学とはジャンルの異なる版画制作の世界においては、この「漱石山人」を用いていたと見られるのであり、此れは一驚ではあった。漱石の版画に掛ける特別な意欲を感じ取るに充分なのである。

「漱石山人」という署名についてはおいらのみならずに、漱石さんの後輩である文豪こと芥川龍之介さんがまたとても注目しており、例えば「夏目先生」という一文にて其の驚きを記しているのだ。

―――――(以下引用)

「夏目先生」

芥川龍之介

僕はいつか夏目先生が風流漱石山人になつてゐるのに驚嘆した。僕の知つてゐた先生は才氣渙發する老人である。のみならず機嫌の惡い時には先輩の諸氏は暫く問はず、後進の僕などには往生だつた。成程天才と云ふものはかう云ふものかと思つたこともないではない。何でも冬に近い木曜日の夜、先生はお客と話しながら、少しも顔をこちらへ向けずに僕に「葉巻をとつてくれ給へ」と言つた。しかし葉巻がどこにあるかは生憎僕には見當もつかない。僕はやむを得ず「どこにありますか?」と尋ねた。すると先生は何も言はずに猛然と(かう云ふのは少しも誇張ではない。)顋(あご)を右へ振つた。僕は怯(を)づ怯づ右を眺め、やつと客間の隅の机の上に葉巻の箱を發見した。

―――――(引用終了)

銀座奥野ビル「ギャルーヴィヴァン」の「夏目漱石版画展」は一見以上の価値有りなのである。

■夏目漱石版画展
2013年7/1~20日(土)
ギャルーヴィヴァン
東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル1F
TEL 03-5148-5051

銀座奥野ビルのギャラリーで、鬼塚緑さんの「毛葬展」に出会った

okuno01okuno02

久しぶりに銀座1丁目の「奥野ビル」を探訪。1932年に竣工されたこのビルは、地下1階、地上7階建て。画廊やギャラリーが入っていて、様々なジャンルの意欲的な作品に触れることが出来るという希少なスポットである。

久しぶりに訪れてみると、1階入口のところは改装されてしまっていたが、ビル中の歴史ある重厚さは以前のままであった。ことに昭和初期のビル建築の象徴とも云うべき、2重の鉄格子に囲まれたエレベーターは以前のままであったのであり、数年ぶりの感銘もひとしおであった。先ずはいつものようにエレベーターで7階へ昇り、階段で下りつつの画廊巡りが始まった。

今回の探訪で最大の収穫はと云えば、鬼塚緑さんの殊更にユニークな「毛葬展」に出会ったことであった。女の命にも比される「毛」を使って人間の葬送を奏でるというような作品イメージに満たされていたのであり、おいらは其の衝撃に身震いするほどだったのである。作家の鬼塚緑さんは、人間の本当の姿をモチーフにして平面作品を制作していたが、2011年から立体と肉体の表現を始めたという。展示会場には半立体的作品が主であり、若き創造力を会場一杯に撒き散らしていたのであり、此れこそ奥野ビル内ギャラリーにぴったりのお勧めの美術展ではある。

■鬼塚緑個展「毛葬展」
7/15(月)~7/20(土)
東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル206号
ART GALLERY 石
03-3561-6565

https://twitter.com/O2midori

http://itigo821.fc2web.com/