高田渡とホッピーの伝道師的な粋なデュオ「ハッピー★ホッピー」に遭遇

小室ゆいさんも駆けつけて素敵なハーモニーを披露した

高田渡さんの音楽が大好きというデュオ「ハッピー★ホッピー」のライブイベントに、昨日遭遇したのです。

そのライブは吉祥寺の「のろ」というお店で開催された。高田渡さんの名曲「ヴァーボン・ストリート・ブルース」からスタート。ボーカルのりかさんは、洒落たウクレレを小脇に抱えながらリズミカルなメロディーを奏で響かせる。あまり広くない会場は、この日「15人限定」と銘打って行なわれていたのだが、あたかもホームパーティーで口ずさむ様な独特のノリがとても手応え強く、ガツンと響いてきたのだ。元はジャズシンガーだという彼女の歌声は会場を響き渡りながらてらいがない。本物である。先日伊豆で聴いたお姉ちゃんシンガーたちとはえらい違いである。かつてりかさんは、渡さんの行き付けの焼き鳥屋「いせや」に、社会勉強のために足を運んでいたことがあるという。気合も中々充分なのである。

高田渡ナンバーだけではない。オリジナル曲も沢山あって披露していたが、独特なテンポのあるリズム感やフレッシュでユニークな歌詞の世界観などをみせていて、とても素敵なのである。少し前の5月には記念すべき「ハッピー★ホッピー」の初アルバムが発売されている。その中の幾つかをピックアップしてみる。

以下、ファーストアルバム「ハッピー★ホッピー」より

「ホッピーあります」
ホッピー大好きなおいらも好きな応援歌。「ホッピービバレッジwithキンミヤ焼酎」の公式応援歌を目指している。

「キララ☆恋の歌」
昔はよく歌っていたという、デュオの代表的な恋歌。20世紀後半のリカさんの乙女時代から恋の棚卸し曲!

「ギターおじさん」
愛すべき高田渡さんを思ってつくられた曲。

 ♪ くしゃくしゃな笑顔で
   ぴっかぴかな歌を歌う
   噂の町の煙の中
   いつでもたたずんで …
 ♪

ぜひ聴いてみてください。
http://happyhoppy.pepo.jp/movie.html

会場には小室ゆいさん(小室等さんの娘さん)、サックスの武田和大さんも駆けつけていた。2部ステージではりかさん&ゆいさんのハーモニーが響き渡り、ライブはとてもアットホームな盛り上がりをみせていたのです。

という訳で、昨晩は素敵な音楽にどっぷりと漬かった夜であった。その心地よい余韻は今も尚、続いているようなのである。

馬喰町のアートビル「アガタ竹澤ビル」を探索

昔から職人の町として栄えた馬喰町界隈を探索した。目指したのは「アガタ竹澤ビル」。年季の入った商用ビルといったつくりだが、今流行のリノベーションとやらでビル全体が改装され、アート作品や雑貨類を扱うショップの集合基地といった趣である。

食事もできる2階の「ART+EAT」では「諸橋明香展」を開催中。ウォーターアートなるものを標榜し、ホースから水を通して会場全体に水の音を響かせたり、ストローを素材にポップな動植物を表現したりしている。美術館、博物館といった類の大仰な会場ではなく、このような場所にこそ相応しく、作家の表現力も発揮されるのだ。

また他のブースでは、創作靴下のブランドを展開する作家が、週末だけ実店舗をオープンしてユーザーとの交流を図っている。いろいろ実験と創作意欲とが交錯している、なかなかユニークな空間であった。

■東京都千代田区東神田1-2-11

代々木公園「GIVE PEACE A CHANCE」であんじゅなライブに出逢う

代々木公園の野外ステージで「GIVE PEACE A CHANCE」というイベントが今日と明日、開催されている。昼1時50分からは、あんじゅなこと多田弘一氏のユニット「PEACE WINDS」ライブが行なわれることを知り出かけたのでありました。

サイトやmixiやらで、彼の歌声は耳に目にしていた。だが生あんじゅなライブに触れたのは今日が最初だったのである。mixiにて数年前にマイミクして以来、ライブ情報とお誘いを受けていたのだったが、中々時間がとれずに過ごしてしまっていた。本日は義理も果たせて気分も頗る快調なり。

ライブはギター1本肩に下げた、あんじゅなの大きく口を開いて沸き出されるアコースティックな歌声から始まった。2曲目「HIMARAYA」ではギター奏者の独特なハモリもあってとてもユニークなユニットの世界に導いてくれた。小雨が降る少々肌寒いときではあったが、会場は天高く突き抜けていくような、自然児あんじゅなの歌声に包まれていたのである。

銀座に聳える岡本太郎の「若い時計台」

写真は、銀座の数寄屋橋公園に陣取って聳える岡本太郎さんの彫像である。タイトルを「若い時計台」というのが、まるでフツーであり、岡本太郎さんらしくないのが却って愛嬌である。1966年に当時のライオンズクラブからの依頼によつて制作された。大阪万博にてシンボルとなった「太陽の灯」が注目を浴びる4年も前の作品である。岡本太郎さんの創作の原点がこの作品にあると呼んでも過言ではないくらいにベーシックな太郎風スタイルがここにある。とてもシンプルな構成でありながら、人間存在のシンボルをイメージさせているのである。

岡本太郎の「明日の神話」に会いに行く

八王子の「アートムーチョ」というイベントが雨で流れて時間を持て余していたとき、ふと岡本太郎の壁画に無性に会いたくなり、出かけたのです。渋谷駅と京王井の頭線の改札を結ぶ通路壁全体を覆うようにして設置されている。毎日30万人の人間の目に晒されるという、幅30メートル×縦5.5メートルの巨大な壁画だ。

もともとはメキシコの新しいホテルに設置される予定で制作されたが、財政難からホテル開業の見込みが無くなり、その後メキシコ国内の何処か判らぬ場所へと姿を消していた。それが母、岡本敏子さんの熱意が実って隠されていたこの作品が発見されたという。2005年には巨大壁画が分割されて日本へとわたり、修復作業も始まった。一般公開もされ、2008年秋には現在の渋谷での恒久展示が実現したのである。

糸井重里さんの「ほぼ日」サイトや他のニュースで壁画の存在は知っていたが、中々観に行く機会も無いままに徒なときを過ごしてしまっていた。やはり「腐っても岡本太郎」のことはある。と云うよりか想像以上の圧等的な衝撃を受けたと述べるべきだろう。この「明日の神話」は広島の原爆投下をイメージして描いたという説が強い。かつてフランスへ渡った岡本太郎はピカソの「ゲルニカ」に衝撃を受けたとされるが、ピカソを乗り越えるためのテーマが、この作品に凝縮されているのかも知れない。日本人である岡本太郎が「広島」に目を逸らすことはできないであろうし、そのことはまた彼個人としての芸術的野心にも裏打ちされていたと云えるだろう。岡本敏子さんも関連ホームページで、以下のようなメッセージを寄せている。

―――――
『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、
岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、
その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。
虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、
健気に力をふりしぼっている。
(以下略)
―――――

中央に聳える巨大な生き物はレリーフ状に浮き上がって描かれており、全く異界からの生物のようであるが、人間のように見えないことも無い。全ては「人間界」における事象、事案がテーマとなっているのだから、きっと人間そのものの変容したイメージを描いているのだろう。

「デザインフェスタ」でアーティストの卵達に接したのです

本日は新橋から「ゆりかもめ」に乗って、有明の「東京ビッグサイト」で開催されている「デザインフェスタ」の取材へと繰り出したのでした。取材だとはいっても目的はおいら自身が若きアーティストたちに接して愉しむためのものでしかない。休日の取材は気儘に行きたいところへ行き、話したい人と話し、突っ込みたいところを突っ込むという、ただそれだけのものなので、おいらはととてもリラックスしていた。つまりは自身が愉しむための晴れの日が幕を開けたのである。

数年前に訪れた時に比べてみると熱気が薄い。もうピークを超えてしまったからなのか。それでもおいらの関心興味は、とりわけアートグッズたちに向かっていた。近頃のアーティストたちはグッズを販売しているという傾向が顕著である。控えめに書いているのだが、アーティストたちが自らの収入源としての作品販売を行なうにあたって、この「デザインフェスタ」はじめ各種イベントの販売収入はバカにならないようなのである。

会場を回って数分したところで、アジアを放浪して絵を描いていたという少女と出逢った。何かしら生と死との問題を画の中で描いていこうという志向性が見て取ることが出来た。絵画としての作品と、彼女のようなアジアを放浪するという生き様とはそのままリンクする訳ではないのだが、やはりカッコいい人生を送っている人の作品は格好よくみえたのだう。おいらはすぐさま彼女のブースに並べられていたポストカードの数枚を購入することとなったのである。

この時のポストカードは1枚200円である。大体1枚50円~300円程度で販売されているので、印刷代その他を考えればとても割に合うものではないはずである。だけども若きアーティストたちのエネルギーはずっと前から沸点に達していて、このようなイベントを求めているのだ。かつては路上や中小のギャラリーにて開催されていたパフォーマンスなのだが、いまや東京都の条令だかによりできなくしまって、結局は行き着く先が「デザインフェスタ」くらいしか無くなってしまったというのが現状に感じさせる。アートのイベントくらい思いっきりに飛び跳ねて行きたいのだが、我が国の現状はまだまたそこに追いついてはいかない様なのである。

井上真央の主演映画「僕の初恋をキミに捧ぐ」

当代随一の人気アイドルの井上真央が主役を演じる、純愛少女映画「僕の初恋をキミに捧ぐ」を鑑賞。青木琴美の同名の原作漫画を実写映画化したものだ。

原作漫画は「少女コミック」(小学館)に2005~2008年の間連載され、750万部という驚異的な売上を誇っている作品。全寮制のエリート高校に入学した「繭(井上真央)」と「逞(岡田将生)」との恋のお話である。キヤッチコピーとして「僕たちの恋愛には、タイムリミットがある」との台詞が、映画公開中の映画館で踊っていたことを記憶している。。今や純愛映画の定番、欠かすべからざるものとなった感のある「死」と「別れ」とが、少女漫画タッチで映画作品に独特の気品を添えている。昨年10月に映画は公開され、まずまずの入場者数であったようだ。だが現在公開中の「ダーリンは外国人」や大ヒット作となった「花より男子」と比較すれば、些か地味な印象を与えられさえしていた。

ところがこの映画のポスターが、おいらの視線を釘付けにしていたのである。若い男女が――たぶん高校の教室の中であろう――キスをしあうという、どこにも有り得るシチュエーションなのだが、やはり人気実力ともにピカイチの女優にかかれば、その一瞬の輝きは永遠に近付く光景ともなって見るものを飲み込んでいくようであった。

散らない花は無いことは明瞭なる道理であることを知りながらも、旬の花の艶やかな輝きに、年甲斐もなく見とれてしまったという訳なのである。当時公開されていた映画は見逃していていたところ、先日はTSUTAYAの新作棚にてこれを発見。早速レンタルし鑑賞したという訳なのでありました。

「土門拳の昭和」展が高崎市タワー美術館にて開催中


カリスマ的な昭和の写真師、土門拳の作品を展望する展覧会が群馬の「高崎市タワー美術館」にて開催されている。帰省した帰りに立ち寄ってみたのでした。

土門拳が写真の世界に入った頃の作品から晩年のものまで、ほぼ全ての時代の代表作品が展示されていて、ファンにとっては必見の展示会とも云えそうだ。青少年の頃から少なからずの関心を示してきた土門拳であるが、おいらの知らなかったあれこれにも接することができ、有意義であった。

個人的に興味深いのが「風貌」のシリーズである。当時の文学者、芸術家をはじめ政界、財界の著名人たちの「風貌」すなわち「顔」を捉えた作品群である。梅原龍三郎の撮影では何カットも注文を付けた挙句に巨匠を怒らせてしまったというエピソードなどが知られている。たしかに梅原龍三郎のこうした表情を捉えた作品は、土門拳が初めてでありその後もあまり見かけた記憶などが無い。

晩年に土門さんが取り組んでいた「古寺巡礼」シリーズには、違和感がある。あまりにもこれみよがしのショットに、圧倒されるよりも前に、何か視線を逸らしてしまうのである。視線を集中し凝視することを躊躇ってしまうのである。何故なのだろうかこの感覚は?

■高崎市タワー美術館
群馬県高崎市栄町3-23
TEL 027-330-3773

パクリと拡大のシンボル。上海万博をどう捉えるか

中国の上海万博が開幕して、マスコミはまたぞろ異様な騒ぎ様を呈している。番組総合司会者のみのもんたなどは司会稼業もそっちのけで出張レポート。ミス上海だかミス万博だとかにエスコートされてでれでれ。しまいには「上海万博の陰は見つからなかった」などとしゃあしゃあ喋って悦に入っているのだから呆れるのである。

そもそも国威発揚のお祭り騒ぎでしかない上海万博に関して、中国館、日本館の案内をしたところで何にもならない。それよりも、封印されたPRソングの行方はどうなっているのか? 岡本真夜の楽曲はオリジナリティーが保障されるのか? 盗作の当事者として名前のあがった繆森の正体は? 等々の追及すべきポイントは少なからず存在するのに、どことしてメスを入れる姿勢さえ示しては居ないようなのである。

1970年の大阪万博を翻ってみれば、そこには岡本太郎の「太陽の塔」なるシンボルが存在していた。良しきにつけ悪しきにつけ厳然として在ったし、今尚、千里万博公園の広場に立ちはだかっている。40年という歳月は「太陽の塔」を褒め称えてそこに住まわせているのではなく、異様な葛藤を生じさせても居る。美術評論家・倉林靖氏の言葉を借りるならば「圧倒的に浮きまくっているのだ」。「人類の進歩と調和」といった美名の下に開催された40年前の大阪万博は、岡本太郎をはじめとする当時のアーティストたちを巻き込み、長期間のイベントにドラマを添えていた。一面でそれは体制が「前衛」というムーブメントを取り込むための大規模なる仕掛けであったことは否定できない。だが大阪万博が終了してからの40年こそは、岡本太郎を含むアーティストたちの多くが新たな闘いを挑んだ時代だったと云えるのかもしれない。

上海万博を40年前の大阪万博の時代背景と比較して「中国は40年前の日本の姿だ」云々の議論ほど、実態に目を背けたものは無いのである。

高田渡作「自転車に乗って」を口ずさみつつのサイクリングは格別なり

 

高田渡さんが作った曲の中で、ベスト10、否ベスト5に入る名曲が「自転車に乗って」である。今日は休日というのにちょっとした仕事が待ち構えていたために、以前から予定していたぶらり旅はおあずけとなってしまった。かわりに自転車でのサイクリングを満喫してとてもハピーな気分なのです。

自転車に乗って川原に下りてみると、そこには中学生と思しきカップルが語らっているではないか。青春よ頑張れ! 等と叫びたいところではあるが、こういう光景はおいらの青春の時代には無かったことなのである。だから今にして尚更に吃驚強調したいという思いを強くしたのでありました。

「腐っても岡本太郎」の岡本太郎記念館はおすすめ 2

昨日紹介した青山の「岡本太郎記念館」では、かつて岡本太郎さんが居住と創作とをともにしていたハウスをそのままに、大量の作品を展示している。といっても元アトリエに仕舞ってあったりする作品の数も多く、美術館の特設展示場ほどには、そのボリュームを感じ取れないかも知れないのだが、昨日も述べたように、この記念館でしか体験できない貴重な出逢いに遭遇できるかもしれないのでお勧めなのである。

彼の生作品にまみえることのできた人は、その荒々しい筆致が目に焼きついてしまい離すことが困難となる。「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という、有名な太郎さんのフレーズは、彼の作品に痕跡を記した生の筆致に触れてこそ、より深い理解が可能となる。美術の教科書に載っている岡本太郎の複製画や諸々の画集などを眺めているだけでは得ることができない感動が、そこには存在しているのである。

3月3日から6月27日までの間、常設展示のほかに「岡本太郎の眼」という企画展示が開催されていており、太郎さんのあまり知られていない一面に接することができる。一言で云うならばカメラにとらえた作品群である。だが、写真ではない。解説は、太郎さんの母親であらせました岡本敏子さんの言葉で締めくくろう。

「写真ではないのだ。岡本太郎の眼、岡本太郎の見たもの、
岡本太郎その人がそこに浮かび出る。
動かし難い存在感、造形的な構成力。
決定的瞬間などという言葉がヤワに聞こえるほど、きまっている。
がそれは、まさに一瞬の、一瞥の火花。深い。」(岡本敏子)

「腐っても岡本太郎」の岡本太郎記念館はおすすめ

岡本太郎さんといえば川崎に大きな「岡本太郎美術館」があるが、まずは青山の「岡本太郎記念館」に足を運んでみることをお勧めする。表参道の駅から徒歩7~8分、閑静な住宅街を歩いたところにその記念館は存在している。住宅街の中には「PRADA」「Cartier」といった高級ブランドショップビルディングが軒を並べていたりしており、ただの閑静な街ではないことが見て取れる。実はこの場所こそ、岡本太郎さんが生前に創作活動の拠点としていた、いわゆるひとつのホームベースなのであり、アトリエや居住空間がほとんどそのまま残されている。岡本さんの私生活を追体験してみたと感じ取っても良いくらいに、生活観を、創作の匂いを残しているのだ。

この記念館では写真撮影が自由だということで、いろいろ記念に撮らせてもらった。撮影OKなどというのは当然のことだが、勿体つけてか何かは知らぬが、「撮影禁止」の四文字に慣らされていたことのこれまでの美術館鑑賞が詰まらないものとさせてしまう。我が国の美術界に対して岡本イズムが今後とも関わっていく余地は、まだまだ存在しているのである。

入場料は大人600円なり。受付スペースには関係書籍類やグッズが多数揃っているが、初めての人には「今日の芸術」(岡本太郎著/光文社文庫)をお勧めしたい。戦後間もなく発行された同名著書の復刊を望んだ横尾忠則さんが、自ら序文を書いている。余計な解説は不要だろう。以下に一部を引用しておきます。

「去年より今年、今年より来年みたいに新しい概念と様式ばかりを求めた結果、今や現代美術は完全に閉塞状態で息もたえだえである。これみよがしのアイデアだけの作品が多い。もうそろそろ頭脳的な創造から、個の肉体を取り戻そうとする生理的な創造に一日も早く帰還すべきではないのだろうか。そのことに気づけば、自ずともう一度岡本太郎の書をひもときたくなるはずだ。」(横尾忠則による序文「岡本太郎は何者であるか」より引用)

東京都港区南青山6-1-19
tel 03-3406-0801

〔作品紹介等は、いずれまた続きの章で〕

横尾忠則さんのtwitterのツイートが凄い。

ツイッターで横尾忠則さんのツイートが注目を浴びている。先日mimiさんから教えてもらって、おいらもフォローしているのだが、パワフルでウイットに富んだツイート書き込み、なかなかいい味を出しているのである。

「人生なんて錯覚の連続だ。精神を錯覚し、肉体を錯覚し、才能を錯覚だ。人間はリアリティだけでは生きて行けない。にもかかわらず芸術のリアリティを求めようとする自分。それも錯覚だと思えば悲劇も起こらないだろう。」(by tadanoriyokoo 約7時間前のツイート)

横尾さんと云えば、最初にその名前を意識したのが、TVドラマ「時間ですよ」のオープニングに出ていた出演者たちのリアルな似顔絵作家としてである。当時思春期のおいらは、下町の銭湯を舞台にしたそのドラマを観るのがとても楽しみであった。浅田美代子などの人気女優が出演する人情ドラマであり、女性の入浴シーンが毎回登場するので思春期のおいらには刺激的でもあった。そこに強烈なインパクトで横尾さんのアートと遭遇したというわけなのである。

似顔絵作家と意識していたおいらは、その後の横尾さんの活躍には目を瞠ったものである。職人的に洗練されたアートの技法がいつの間にやら、別の次元の横尾ワールドへとワープしていたからである。いち早くCGも手がけていた横尾さんの作品をお借りして、雑誌「ほとけのいのち」の装丁をおいらが手掛けたことがあった。そう想っていたのだが、今その雑誌を探し出してページをめくると「表紙デザイン・イラスト 横尾忠則」とあった。横尾さんのデザインをもとにおいらがDTPのデータ処理を担当したというのが正しかったのだろう。友人の誰かが「横尾さんは、いっちゃっている」などと称したのを耳にしていた。「あの世」「神の世」「来世」等々のイメージを、横尾さんの作品から感じ取っていたのだろうが、おいらは「それとは違うな」と、しみじみ作品をながめるばかりであった。

横尾忠則さんの名前を目にして想うことはそればかりではない。特に高校の後輩で美術評論家の倉林靖氏の「岡本太郎と横尾忠則―モダンと反モダンの逆説 」のことが頭に残っておいらの情念をかきむしっているのだ。詳細は失念したので、この話題については後日改めて取り上げていきたい。

蜷川実花監督「さくらん」、そのレッドとピンクの大きな乖離。

 

散り行く桜を惜しみつつ、映画「さくらん」の話題を少々。ビートたけし映画の基調色を「たけしブルー」と呼ぶなら、蜷川実花映画の基調色は「蜷川レッド」である。鮮やかな天然色の中でもレッドは飛び抜けて存在感を示す基調色となっているのである。それくらいに彼女の撮る映画の色調は独特であり個性的である。写真家としてすでに著名な彼女であるが、ちょうど写真にて写し取られる色彩の世界を、映画という大衆娯楽映画の世界に持ち込んで成功させているのである。

映画「さくらん」は蜷川実花の初監督作品ということだが、まさしくこれだけ自分自身の「カラー」を出せるのであるから、実力も相当なものである。しかしながら不満がない訳では決してない。彼女が描く色使いは基本的に計算づくに仕組まれたものであり、それゆえに、無意識裡の欲望やら無常観やら激情やら憤怒やら…その他諸々の情念からすると距離をかんじさせるもなのである。

一例を挙げるならば、ピンクの不在が挙げられる。レッドが薄まったところにピンクが存在するという認識は誤りである。レッドは豊富に存在していながらピンクの不在がこの映画に顕著なのである。当代きっての新進気鋭女性監督と女性漫画家、女性脚本家、そして今をときめく女優陣たちといった強力な布陣、これが当映画の売りであったと想像する。だがその目論見は成功しているとは云えないだろう。

光の三原色、あるいは絵の具の四色といった色彩原論に根拠を置く映像の制作スタイルは、とても計算づくであり、どこか潤いに欠けている。男性の目からというより人間の視線を真っ当に受け止めていないと感じてしまうのだが、思い過ごしだろうか?

「ヴィヨンの妻」を鑑賞。「人間失格」とは月とすっぽんの出来栄え。

レンタル解禁となった「ヴィヨンの妻」(太宰治原作・根岸吉太郎監督)のDVDを鑑賞中である。先日観た凡作映画「人間失格」に比べて素直な原作解釈なストーリー展開であり、また主役の松たか子がいい味を出していて好感が持てる。何よりも天才作家に対する畏敬の念に溢れているところが好ましい。映画は娯楽であり、しかも役者の持ち味に依っているところが大の大衆芸術である。変てこな風俗描写などしていた「人間失格」に比べて月とすっぽんの出来栄えなのである。やはり映画はこうでなくっちゃいけないのである。出だしを観れば映画の良し悪しなどの区別はつくものである。今日観た「ヴィヨンの妻」は傑作であったと記しておこう。

荒木径惟・舟越桂「至上ノ愛像」展をみて思う母子愛の崇高さ。

「高橋コレクション日比谷」にて「至上ノ愛像」展が開催されている

http://www.takahashi-collection.com/

写真家・荒木径惟と彫刻家・舟越桂とのコラボレーション的二人展である。展示されている作品の目をひく大部分が、熊本市現代美術館で開催された「荒木径惟 熊本ララバイ」に出品された「母子像」シリーズのうちの12点となっている。幼い子供と母親とが全裸でカメラに向かい被写体となる。そうした数十組の母子像の姿をとらえた写真群の一部がこの企画展にて展示されている。すなわち「熊本ララバイ」にて作品に接することのできなかった東京人へのお披露目という要素も、この展示会が担っているというわけなのである。ちなみに「熊本ララバイ」の展示会図録は開催間もなく売り切れ完売となったそうだ。それだけ展示会としては至上の人気を博したものであった。

昨日エントリーした「アホの壁(議論の続きはまた後日)」でも触れたことだが、「アホ」とは人間社会においての潤滑油ともなり得る貴重な存在であり、愛すべき要素を持っている。人がカメラの前にて全裸になる、すなわち「アホ」になるには相応の根拠を必要とする。昔の女優であれば「芸術のため」等々の決まり文句が存在していたが、今の世の中、そんなお目出度い言葉は見当たらないのであり、「アホ」の称号を博することが必至なのである。至上の愛とはそんな俗世間のしがらみを払拭すべくパワーをもたらすものである。「熊本ララバイ」の成功がそのことを証明しているのだ。

それにつけても「至上の愛」とはよくもまあのたまったものである。日本語には「無上の愛」「極上の愛」「究極の愛」などといった同様の意味する言葉があるのだが、何故「至上」なのだろうかと、何故か拘ってしまうのである。「無上」という言葉は仏教的であまり一般的ではないし「極上」にいたっては金ピカ成り上がり的雰囲気をまとっていることなどがマイナス的要因ではある、しかも「究極」ときては人気漫画の剽窃とも疑われかねない、等々の検討過程が想像されるが、しかしながら「至上」が何故選ばれたかの根拠は定かではないのである。おそらくスタッフの誰かの入れ知恵で「無上」はこうこうで駄目、「極上」はあれこれでマイナス…的な、スタッフアドバイスが噴出したのだろうかと推測可能である。

尾崎豊を聴きながら振り返る「卒業」という名のセレモニー。

朝、晴着の若い女性を何人も見かけた。何があるのだろうかと思案していたが、「卒業」というセレモニーの日なのだということが判った。近頃の大学、短大の卒業式と云うのは大学構内ではなく巨大なホール等のイベント会場を借り切って行なわれるそうだ。きっと日本武道館やらは大盛況の1日だったことだろう。

ところで「卒業」と云えば、社会への第一歩ととらえる向きが一般的であるが、学校支配からの卒業という一面も忘れることはできない。教育という名の管理、支配に反発を抱いていたおいらにとって卒業とは、早く乗り越えるべき通過点でしかなかった。だから今振り返っても、卒業式で何を得たかはもとより何が起こり何をしたかということさえ覚えていないのである。自分とはあまりにもかけ離れたイベントであるということを、今更ながらに感じている今宵である。

それかあらぬか、今宵は尾崎豊の「卒業」を無性に聴きたくなったのである。ジーンと歌詞をかみ締めつつ聴き入っていたのである。尾崎豊はかねてよりのファンである。カラオケに行って「I Love You」「Oh My Little Girl」「シェリー」などはよく歌うが、こと「卒業」については未だに人前で歌ったことがない。何故かとも思うが「卒業」を人前で歌うには特別な勇気とやらが要るのかもしれないと感じているのだ。それくらいに大きな意味を持つ名曲である。尾崎豊はある意味での「腫れ物」であったのかも知れないと思うことがある。腫れ物にはあまり近付きたいとは思わない。だが、それだけ彼は特別な存在であったということは間違いのない事実であった。

カンパリソーダは甘苦き恋の味がする。

♪ カンパリソーダ片手 バルコニーに立って
  風にさらわれて グラス落とした
  あの晩の 夕陽の悪戯 ♪

http://tayune.com/?pid=479061

知っている人はまず居ないだろう。かつてのシンガーソングライターこととみたゆう子さんの「蒼い風」の歌詞の一節である。メジャーではないが出身地名古屋のローカル局ではリクエストの上位にランクし、ローカル人気は沸騰したのである。おいらも過去に名古屋旅行で一泊したときにこの曲を耳にして以来、愛聴歌曲のひとつとなっている。当時所属していた会社の名古屋支局長がとみたゆう子のファンであり、彼に薦められたのがきっかけでもあった。その後、とみたさんには4~5回は取材、インタビューをしていた。公私混同も甚だしかったのである。

ともあれ当時はこんなヨーロッパ調のポップスは珍しかった。「カンパリソーダ」もまた、バーボン、スコッチ等の洋酒とは違って、程よく甘く苦く、ヨーロッパのエスプリを感じさせる飲み物であった。「カンパリ」というリキュールをソーダで割ったのが「カンパリソーダ」である。調べてみるとこの「カンパリ」は、ビター・オレンジ、キャラウェイ、コリアンダー、リンドウなど60種類もの原料によって作られているという。薬草類が主原料であり、未だその製造方法は公表されることがない。まさに味覚の協奏するカクテルと呼ぶのが相応しいのである。

二十代に入るか入らぬかの青春の門、大人の門を潜り抜けたばかりの頃においらは「蒼い風」と「カンパリ」に出逢った。尚かつ当時の甘苦い恋に酔っていたことを懐かしく回顧するのだ。まるで血液のような鮮赤色。苦味走った複雑な味わいがのどを潤すとき、青年の頃の甘苦い想い出は胃袋から身体全体へと巡りゆくのである。そんな甘苦い想い出を回顧するにはとっておきのリキュールなのである。

ニッコールの名レンズが、オリンパスペンE-P1で甦るのだ。

先日、オリンパスペンE-P1にニッコールのレンズを装着するアダプターを購入した。本日は新システムの試写を兼ねて、新宿御苑などへと繰り出したのでした。

ニコンのF、F2、F3と云った「Fシリーズ」の隆盛を支えていたのは、ニッコールレンズの優秀性である。キャノンレンズには無い品の良い写り。ライカやコンタックスレンズのボワッとした個性は無いが、シャープさ、切れの良さには飛び抜けたものがあった。昔から「ニコマート」「ニコンF3」といった機種を愛機としていたおいらの家の戸棚の中には、クラシックなニッコールレンズが多数眠っている。アダプターなる代物によってそんな往年の名レンズたちが甦ったのである。

本日、「ニッコールの中のニッコール」とも称される「50mm F1.4」レンズを装着したまま撮影を続行した。画角は35mmフィルムカメラに換算して100mmに相当する。いわゆる中望遠系のレンズとなる。標準レンズだが使いこなすには慣れが必要だ。特に開放絞りに設定して撮るボケの味わいは素晴らしく、最新デジカメ用レンズには見られない独特のものがある。とても真新しく感じられたのである。

サザンオールスターズ「TSUNAMI」の不思議なタイトル

ペルーが震源地の津波騒動も、ようやく収束しつつあるようです。日本では最大1.45メートル、海面が上昇したというが、その緩やかさは、「津波」というイメージにはほど遠かった。まるで「大洪水」と混同しているかのようだ。

それはさておき本日は、2000年の300万枚超の大ヒット曲「TSUNAMI」を想い出した。第42回レコード大賞の受賞曲でありサザンオールスターズの代表曲である。歌詞とメロディーが一体となったバラードであり、歌謡曲史上稀に見る大衆性と音楽性との融合が果たされた名曲だと思う。

♪見詰め合うと 素直に お喋り出来ない
 津波のような侘しさに
 I know.. 怯えてる
 めぐり逢えたときから 魔法が解けない
 鏡のような夢の中で
 思い出はいつの日も 雨

最愛の人に捧げるラブソングなのに、どうして「TSUNAMI」なんだろうと、かねてより不思議だった。たしかに津波のように押し寄せては引き、引いては押し寄せるという、そんな逃れ得ない愛のイメージである。だが「大洪水」のような自然の驚異ではなくて、甘っちょろいイベントとして捉えたのだとしたら、ちょっとずれている。