銀座逍遥記 ―東京銀座で出逢った都会の相貌―

昨日に引き続き、「デジブック広場」に「銀座逍遥記」スライドショーをアップしました。

当ブログをを始めて以来、銀座の様々な相貌をデジカメに収めつづけていたのだが、今回それらの写真群の中から特に、印象に深く刻まれた15点のスナップ風景をピックアップしてみた。以下に挙げるのがその写真群の中身である。

1 パティシエと赤い花弁
2 清楚な胸元
3 籠の中のバッグを見詰める少女
4 籠には鳥の姿も
5 LOUIS VUITTON
6 50th Aniversary
7 幕を閉じた歌舞伎座
8 HERMES
9 奥野ビル内ギャラリーにて
10 春近いショーウィンドー
11 和光ビルの踊子
12 岡本太郎の若い時計台
13 MERRY CHRISTMAS
14 銀座シネパトス
15 韓流スター、ヨンさま

日本全国には数多の「銀座」が散在している。銀座こそは増殖された都会像の表徴なのかもしれないと、時々感じることがある。全国の田舎には銀座的な表徴が少なからず存在しており、それらはある種の、都会に対する憧れを指し示していると云えよう。

現実に在る東京都中央区銀座の街は、日々その表情を変えていきながら、田舎からの大勢の訪問者を出迎えているのだ。

人間の都合で銀座にオープンされた「沖縄美ら海水族館」の巨大ザメ

東京銀座の「ソニービル」前には、「沖縄美ら海水族館」がオープン。それほど大きくは無い、否、沖縄を取り巻く海洋に比べては極端に矮小な水槽の周りには老若男女が取り囲み、甚平ザメなどの巨大魚たちの姿かたちに見とれている。行き交う人々は足を止めては水槽に見入っている。

ビルの内側に回って水槽の中を観察してみると、巨大なサメが可愛い目をこちらにむけて近付いてきた。瞬きもせずに道行く人間たち生態を観察するかのごとくである。36度を越えたという猛暑の東京だが、甚平ザメたちは東京都民をどのように観察しているのか? 逆に知りたいところでもある。それにしても人間の勝手な都合で極小の水槽に閉じ込められた南洋巨大魚たちにとってはいい迷惑この上ないのである。

暇つぶしの贅なる機器「iPad」狂想曲が勃発 [その1]

apple銀座店の前には、「iPad」予約のために長蛇の列が出来た。

前日10日、いつものように銀座を散策していると、一群の行列に遭遇した。こんな光景は銀座では珍しくもなんでもない。ブランドショップの激戦区でもあるこの土地は、様々な仕掛けを打って銀座観光人に行列を作らせる。未だに強烈な印象として残っているものに、新規参入宝飾店ブランドの「モーブッサン」が、0.1カラットのダイヤモンドを先着5000人に無料で配布するというイベントを敢行したことの一件である。職場のスタッフが朝の行列を目にして取材したところ、無料宝石サービスに目が眩んで並んだ群集による長蛇の列であることが発覚した。彼は仕事を放棄してその行列の末尾に並ぶという誘惑に囚われていたというのだが、やはりそんな邪心は捨て去って、職場へとたどり着いていたわけである。さすがは立派な心がけであった。

さて今回の「iPad」騒動とはこんな単純な出来事ではない。先端のITマシンを逸早く手に入れようとして、APPLE銀座店の前に長蛇の列に並んだのであるから、相当に志の高い人々であったと想像される。実はこの日は、国内で販売される「iPad」の予約注文が開始された日なのであり、決してその日に並んだからと云って真新しいニューマシンが手に入れられることでもなかったのである。だから行列者は余程の暇人であったか、あるいき余程この機種購入に拘ったかのどちらかであろう。

俄か勉強ではあるが、この数日は「iPad」に関する情報収集に余念が無いおいらである。いろいろジャーナリストやらマニヤやらのコメントを目にするところ、「iPad」とは究極の暇つぶしのためのマシンではないかという思いが強くなってきた。ライバル機器とされる「ネットブック」「ノートブック」「iPod」「iPhone」等々と比較しても、「iPad」がずば抜けているという要素が見当たらない。どれをとっても中途半端のようなのである。だが、遊びに長けた若者や中高年たちからは、暇つぶしに開いて時間つぶしするにはもってこいの機器だという評価が意外に高かった。

であるからして、後に続く[その2]の稿では、具体的にどこが暇つぶしに良いのかをレポートしていきたい。

銀座で食した「肉巻きおむすび」

東京銀座のおむすび専門店「金の芽」にて「肉巻きおむすび」を食した。元来は宮崎県が発祥の地域グルメの「肉巻きおにぎり」として、全国に浸透していったニューフェースである。「おにぎり」ではなく「おむすび」とメニューにあるのは、この店舗が「おむすび」の専門店であることによっている。

おむすびに牛の薄切り肉を巻いてそのうえで焼くのが基本的なレピシのようである。銀座の「おむすび」も、そんな基本的レシピは踏襲しているようだ。

肝心なのはその味わいである。お米ご飯のおむすびに肉を巻くといった、一見シンプルにも見えるレシピではある。だがこんなことは戦前の日本人は誰も考え得なかったのであろう。それを「気まぐれレシピ」と見るか「コペルニクス的転回のレシピ」だと評価するかによって、味の評価にも大いなる影響を与えかねない。はっきり云っておいらの評価は前者である。宮崎の気まぐれなシェフによる気まぐれレシピという評価を与えたい。

若いシェフの卵たちにとっては、こんな肉巻き料理はエネルギーの元となることだろう。それは別に「おにぎり」「おむすび」である必要性もなく、肉じゃが定食なりハンバーガーなりを求めれば良いというだけの話であると思われる。まずはこのおむすび、おにぎりは食べ難い。さらには肉+ご飯という取り合わせ自体は、メタボ的であり非健康的であると云わざるを得ないのである。

銀座の一等地において宮崎の人気メニューを提供するといったアイデアは認めるが、それ以上ではない。東京都中央区銀座にて提供されるべきメニューでは、決してないのである。

歌舞伎座が千秋楽で出来た異様な人の群れ

昭和26年に開場して以来60年の歴史を有する歌舞伎座が、本日千秋楽を迎えた。数日前から歌舞伎座の前には異様な観光客の群れが殺到し、猫も杓子もデジカメにその最後の姿を納めていたのだが、本日はそれがピークに達した。

老朽化による建て替えだと関係者は説明するが、それほど傷んだ風には見られない。銀座を象徴する建造物がまた一つ消えて無くなるのは忍びないことこの上なしなのである。

明日から取り壊しということでもなさそうなので、まだまだここは昼散歩の良いコースとなっていくだろう。入口の前には蕎麦屋があって賑わっていたものだ。蕎麦の味はよくある一般的なものなのだが、かき揚げてんぷらが個性的で愛嬌があってよろしいのだ。この蕎麦を食べに行くだけでも、歌舞伎座に通う価値ありなのである。

パッシングされた沢尻エリカの向かうべき今後の、正と邪。

銀座のソニービルでは沢尻エリカの巨大なポスターが道行く観光客らの人々の視線を釘付けにしている。極小ブラと腰まわりを隠した皮製のなにやらを身にまとってポーズしているのだから、思わず知らずに足を止めて見つめてしまうのもせん無きことだと云うべきだろう。ポスターに踊っている「沢尻エリカ、解禁。」のコピーは、様々に不穏当な憶測を呼ぶのだが、まあ何てことはない、芸能界に復帰できてオメデトー、初仕事はこれたかのゆりのCMですよと、まあ単なる人を喰ったセレモニー、イベントのである。

そもそも沢尻エリカと云えば、井筒和幸監督の映画「パッチギ」で女優デビューを果たし、その可憐な存在感で多くのファンを魅了したものであった。それが一昨年の「別に…」騒動で芸能マスコミの餌食となってしまった。ちょっとばかりお行儀が悪かったという程度のネタなのだが、それが芸能マスコミの格好のターゲットとされ、パッシングの対象となったのだから不運であった。

「持ち上げるだけ持ち上げて、落とす」。これが芸能マスコミの基本的スタンスである。沢尻さんはデビュー間もなくさんざん持ち上げられていて、たぶん有頂天になっていて、「私は女優よ、もともと女優よ。女優なんだから生意気よ。生意気なんだから、マスコミは媚び諂いなさい。」云々という、云わば思い上がり的境地に辿り着いたのではあるまいか。ただしそんな境地はまだかりそめのものであって、芸能マスコミがお膳立てしたものでしかなかったのである。だから結局のところ、芸能マスコミの格好のネタにされてしまったことを強く認識すべきなのである。

おいらはかつて芸能マスコミの一員として仕事をしたという恥ずべき過去を有しているが、ただし沢尻エリカさんをパッシングするような邪道なサメ集団では決してない。それどころか、エリカさんの復帰を歓迎するものなり。敬愛する俊才、井筒和幸監督が見込んで主役に抜擢した逸材が、こんなことで萎んでしまってはならないのである。もう一度「パッチギ」に抜擢された女優の原点に立ち返り、女優としての再起を図る心づもりが必要である。CMに起用されたからと云って浮かれていてはいけないのである。

銀座は今や即席インタビュアーたちのメッカなのだ

映像の時代、ネットの時代と、人々がもてはやしている間に、そんな時代のスキマをねっては、キャッチインタビューが横行している。キャッチセールスならぬキャッチインタビューである。東京の真ん中にある銀座は、まさしく即席インタビュアーのメッカだと云ってよい。欲得に目がくらんだミーハーたちを鴨にして食する光景がみられるのである。

有楽町ガード下の「満腹食堂」を初体験したのです(☆)

黒ホッピーしかないと云って出てきたのがこれ

有楽町のガード下付近を歩いていると、とても目に付く店がある。店名を「満腹食堂」という。店構えからしてとてもレトロな雰囲気が漂う。今日はこの店を初体験したのであった。まずはいつものホッピーを注文である。だが店員の対応は頗る悪い。

「うちのはグラスに入ってますけど、いいですか?」

なにやら最初から高圧的モードなのである。そうかそうか、ここは銀座によくある「樽生ホッピー」を出す店なのか…。それならばそれでよしと、気を取り直して再注文する。またまた店員の反撃である。

「うちには黒だけなんですよ。白はないんです」

またまた訳のわからない高圧モードがぶり返している。おいらはもうどうでもよくなって、だったらそれでよしと、白けた黒ホッピーを飲んで帰ってきたという訳なのである。出てきた黒ホッピーは、白けたプラスチック製のカップで出てきた。つまみはよくあるソーセージとポテトの盛り合わせ。出てきたポテトはマクドナルドで出されるようなポテトフライであった。これもがっかり。☆(星五つ満点で星一つって云うところですね)ジャンじゃんっと。

群馬のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」で水沢うどんを当てたのだ

マスコット「アルティ」君も大活躍である。

銀座にある群馬のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」(銀座5-13-19)では、伊香保・渋川フェアを開催中である。

http://kikaku.pref.gunma.jp/g-info/

2Fのイベント会場に入ると、沢山のパンフレット類に「エチケットセット」までもが無料提供される。そして簡単な2問のクイズに答えると抽選の権利が与えられるのだ。1等賞は伊香保の一泊旅行券である。久しぶりに気合が入って臨んだのだ。早速簡単なクイズに合格して、次なる抽選の機械をぐるぐるっと回す。

「お目出とうございます!」の大きな掛け声とともに、チャリン! チャリン! と、鐘の音が鳴り響いたのです。見事引き当てた賞品は「水沢うどん」でありました。知らない人も多いだろうが、日本3大うどんにも称せられる名物である。3大うどんとして名を連ねる他の讃岐うどん、稲庭うどんに比べても、この水沢うどんの方が断然と品良く高級であることは明らかである。即ち、水沢うどんこそ日本のNo.1うどんと云っても過言ではないのである。

家に持って帰って食してもよかったのだが、群馬出身のピチピチOLの「うどんちゃん」に差し上げることにした。もちもちとした柔肌のうどんちゃんには、水沢うどんが良く似合うと感じたからである。

銀座の「ブランド」考現学或は鳩山内閣の使命

東京の下町をこよなく愛した作家、永井荷風さんは、名作「墨(変換不能文字)東綺譚」の随筆的後記「作後贅言」のなかで、銀座にふれて次のように記している。

「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く関西もしくは九州から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処に海豚汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも怪しむには当らない」

この文章を、「関西」を「欧州」、「九州」を「亜細亜」、「海豚汁や関西料理」を「イタリアンもしくはエスニック」、「屋台店」を「立呑み店」に置き換えてみるならば、まさしくそのまま、現在の銀座を云い当てていると述べても過言ではない。つまりは、現代銀座を荷風さんの先見の明を借りた表現にて述べるとするならば、以下のような表現が成り立つ。

「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く欧州もしくは亜細亜から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処にイタリアンもしくはエスニックの看板がかけられ、横町の角々に立呑店の多くなったのも怪しむには当らない」

さらに述べるならば、銀座の表通りには「エルメス」「ルイヴィトン」をはじめとして高級ブランドのショップが軒を連ねている。「エルメス」「ルイヴィトン」は誰もが知るが、そう有名でもない二流、三流のブランドショップの名を知っていないと、銀座界隈における会話でつま弾きにされてしまうのである。おいらもそうしたつま弾き的痛恨の目にはしばしば遭遇しているのだが、かといって二流三流のブランドの名など覚えようという気はさらさら持ち合わせては居ないのである。そもそもは「ブランド」といった概念の生成過程における矛盾は、銀座のみならず日本国全般に覆い尽くされていると云って良いだろう。

先日は鳩山首相も引用した、インドのガンジー元首相の言葉「七つの大罪」を正しく理解するならば、「富みなき労働」を作り出しているものこそ「ブランド」にほかならない。悪しきブランドの弊害は、日本国全般を蔓延しつつあるくらいに重大な問題である。銀座がこれからブランド化していくことは、即ち日本国が虚業化、空洞化していくことに繋がっていく。この一連の動きこそ、止めていかなくてはならない鳩山内閣の使命なのである。

姿を隠した銀座三越ライオンの行方とは?

銀座四丁目の三越では最近になって突如改装工事を始めた。あの猛々しいライオン像が見られなくなって、何やらいぶかしい匂いを感じ取っていたのであるが、このライオン像がいつの間にやら他の場所へと移動させられたというニュースを目にした。

新しい移転先は、墨田区内の三囲(みめぐり)神社だという。だが、ネット上でいろいろ検索していくと、このライオン像は、閉店した三越池袋店にあったものらしいのだ。簡単には移動させることもできないであろう、重々しい青銅製のライオン像というのも一致している。もっとよく調べてみれば、もともとライオン像は日本橋本店に周囲を睥睨するかのようにあったというが、いつの間にか銀座店、池袋店などに模造品が建てられたというのだ。

我が世の春を謳歌していた時代のライオン像は、とても厳かに映っていたが、今になってみれば、幾つもの模造品の引き取り場所にその身を隠すように居るのだろうか。いずれにせよ銀座三越のライオン像は、この場所から離れることなく生涯を全うしてほしいと願いのである。

私はいつも都会をもとめる (c)萩原朔太郎

このところ、1年を超えて銀座をウォッチし続けているおいらである。「何故、銀座なのか?」と問われれば、「仕事柄」だと、残念ながら答えるしかなさそうなのではあるが、それでも、正邪併せて、都会としての銀座が醸し出す特有の景色や匂いに、いつの間にやら虜にされそうな、からめ取られつつある自分自身を意識せざるを得ないのだ。

そんなおいらが銀座を散歩しながら撮影したスナップショットの中から、数点をアップしておきます。

思い返せば、かつて萩原朔太郎さんが東京銀座を謳った当時の銀座と現在。根源的なところはほとんど変わらないのではないかと想うのだ。都会としての磁場を放った銀座が発する様々な匂いを掬い取ろうとして、いつもシャッターを押している。思わず知らずに、そうしていながら癒される自分が、確かに存在することを発見している、昨今なのである。

萩原朔太郎が描いた「虎」の風景

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トラ年、新年、初仕事。いささか世間は浮かれ気味の中、おいらは朔太郎さんの隠された傑作詩の「虎」を想い出すのだ。

虎 (萩原朔太郎「氷島」より)

虎なり
昇降機械(えれべえたあ)の往復する
東京市中繁華の屋根に
琥珀の斑なる毛皮をきて
曠野の如くに寂しむもの。
虎なり!
ああすべて汝の残像
虚空のむなしき全景たり。
―銀座松坂屋の屋上にて―

凍える手先をすり合わせ、なぐさめ程度の暖を取りながら、おいらは「虎」が産まれたという銀座松坂屋の屋上へと向かっていた。館内を抜け屋上をまたぐ扉を開けると、ヒューヒューと空っ風のような乾いた息吹がおいらの顔を撫でた。懐かしい息吹である。

しばしの間、空っ風もどきに打たれた後に、おいらは屋上階にめぐらされている金網の外へと眼を伸ばしてみた。普段見慣れたはずの濃い化粧した銀座都市が、また違う姿を見せていた。化粧の頭に隠されていたのは、都市を機能化させるべく様々な様相を見せている。それはまた、隠された都市の一素顔だったのかも知れない。

銀座の裏通り散歩

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中央区銀座の、表通りではなく裏通りを散歩するのが好きである。本日はまだ仕事で、銀座に出向くことになったのだが、週末の裏町銀座は、平日に見るその光景とは様相を異にしていて興味深いものがある。

平日の銀座界隈といえば主に、中国系、欧米系の外国人の集団が闊歩する姿が目に付き、それはそれでまた定点観測の対象として面白いのであるが、それらとは違って、日本人の老若男女の多種多彩なる風貌に接する銀座散歩は、また一段と楽しいものである。

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銀座三越の地蔵尊

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別名で「出世地蔵」とも呼ぶそうな。元々銀座三丁目の横町に鎮座していたものであったらしいが、いつの間にか銀座三越の屋上にて、界隈を睥睨している。地蔵尊に歴史あり。中央区民有形民族文化財に登録されているそうで大変貴重なのである。

奥野ビルに異変勃発なり

ビル内にはしっかりした石材が使用されている。

ビル内にはしっかりした石材が使用されている。

寒気が肌身にしみる季節ほど、散歩は欠かせない。今日もまたいつもの銀ブラコースを巡りながら、銀座一丁目の奥野ビルへと辿り着いたのでありました。今日はいつもとは逆に、階段を登るルートをとってみました。実はこのビルには、左右を隔てて二つの階段ルートが設けられている。それほど大きなビルとは云えないのに、この二つ階段はある種の贅沢品でもある。逆に辿ったと思い込んだビルの隅々に未だ足を運んだことのないスポットが幾つも存在していたことに、今更ながら気づいたのである。

それにしても今日のビル内は人だかりがしていた。ビル内の住人や関係者であればおいらの嗅覚はすぐにそれと判断しつつ、外来者のマナーを示すために、プライバシーの尊重には気を遣うのであるが、今日すれ違った人々の多くが、外来者のマナーを軽んじていたのである。探索には探索のマナーがあるのにそのことを知らないものが多いのだ。とあるギャラリーで雑談していると、先週の読売新聞に当ビルの記事が掲載されたということを知らされた。

「先週新聞に載ってから、ビルを見に来るお客さんが多いんですよ。画廊を見に来るんじゃなくて、ただビルを見て楽しんでいるだけみたいな…」

慌てて調べてみたらネットにも出ていた。流石はネットに強い読売新聞である。可愛らしいイラスト入りで、銀座初心者向けの紹介記事が掲載されていた。

なかだえりの さんぽるぽ
築77年 「昭和の銀座」を今に…奥野ビル(中央区)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/sanpo/20091208-OYT8T00565.htm

記事内容は丁寧にビル内を取材した痕跡を残してあり、好感度が大である。しかれども、このような記事を見てビル内を徘徊する人種の出現には、銀座愛好家としてがっかりなのである。

オパール寸前のアンモナイト

先日もレポートした「奥野ビル」内の某ギャラリーにて、アンモナイトの土器を発見したのです。燻し銀のごとく妖しい輝きを発するその土器は、宝石のオパールに変化する寸前のアンモナイトのものだという。モナッコ産なり。

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アンモナイトが妖しい輝きを発していたのである。

銀座一丁目の由緒正しき奥野ビルは別名で「骨董ビル」とも称され、十数軒のギャラリーが軒を並べているのであるが、それかあらぬか、ビル内ギャラリーには、陶器関連、時代物関連、高齢者関連、等々の展示でこれでもかと云うくらいに骨董関連に溢れている。そんな中で今日遭遇したのが「土器」を専門に扱っている展示室であった。信州をはじめとする国内産の土器から、欧州、アメリカ大陸産のものなど多様に渡る。世界中を駆け回って収集しているマニアによる展示会であった。骨董の中の骨董とも云える「土器」専門展示。流石に「骨董ビル」に棲まうギャラリーの名に恥じないものである。

今日もまた当ビルの探索を決行したのであった。有り難いことにこのビルには骨董エレベータと呼ぶに相応しい文明開化の利器が設置されているのである。まずはビル最上階の7階へ登るのである。鉄格子と見紛うエレベータの扉は、がっしりとしたドアノブを手にして回さなければならない。手動式である。降りるときにも二重に設置された扉を開いて、手動で閉じなくてはならないのである。かりに手動扉を閉じ忘れたらば、エレベータ自体が動くことを止めてしまうのだから、このビルの住民、利用者にとっては死活問題なのである。

骨董品だろうが天然記念物であろうが容赦なく破壊する、我が国の非常識にかんがみれば、早晩の間に取り壊されること必至なりの奥野ビルなのである。このエレベータに乗るだけでも奥野ビルを探索する価値がある。小声ではあるがここで断言しておきたいと思うのであった。

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二重に設置された鉄製の扉がいかついのである。

銀座四丁目を俯瞰する 昼の銀座散歩 [2]

銀座四丁目を眼下に見渡せる場所なのだ。

銀座四丁目を眼下に見渡せる場所なのだ。

昼時になるとたまに足を向けるのが、銀座四丁目交差点に隣接するDOUTORなり。サンドイッチが五百数十円にコーヒーを付けてしめて八百数十円なりと、チェーン店舗の喫茶店にしてはかなりの割高である。なんでまたこの様な割高な店舗へと足を向けるのかと云えば、地価日本一と云われ続ける銀座四丁目交差点の一等地を眺め渡すことのできる場所だからであり、この場所で、かつての一時期文化人類学の手法として風靡した路上観察を行なうためである。世の中を風靡した路上観察の対象はと云えば、石ころやガラクタのたぐいであったと記憶しているが、おいらの観察対象はと問われれば、交差点をぶらつき歩くおのぼりさんやら海外から遥々おいでましたる観光客だということになる。銀座の達人でもないおいらが銀座人を見下し観察するのであるからたちが良いわけが無い。吾ながらお恥ずかしい趣味のカミングアウトなのであるが、我慢し通し持ち堪える自信などないのである。

路上観察のことを横文字の別名で「フィールドワーク」と云う。こう云い換えると多少高尚な響きも有してくる。今日はしかるにフィールドワークのテーマを立てて、路上観察を敢行したのだ。題して「銀座四丁目スクリーン広告の考現学」である。銀座四丁目の三越本店には巨大なスクリーンが掲げられ、日夜行きゆく人々にスポット広告を流し続けている。その広告をフィールドワークしてみたのだ。不況の只中にあって、地下日本一の巨大スクリーンに広告を流していその広告主とはいかなるたぐいか?

・フジテレビ
・産経新聞ニュース
・ニンテンドー
・ブリジストン
・ミキハウス
・赤い羽根募金
・GMアジアパシフィック
・東京メトロ
・創価学会
・すしざんまい

とまあ、この様な広告主が並ぶのである。知名度だけでは計れないゲンダイの世相が見て取れるのだ。光あるところには影がある。不況下においても明るくスポットライトの当たる一等地でスポット広告を流し続ける広告主たちの、異様なる華やかさ志向、明るさ志向に接しながら、おいらの興味関心は、それらの影の部分に向いていたのであるが、そのあたりの考察についてはまだ少々時間がかかりそうである。

銀座のレトロな穴場ギャラリー

これまで銀座のネタはといえば、飲み食いの話題にばかりであったことを反省し、今宵は芸術の秋にも相応しく、画廊の話題など少々。

ビル自体が骨董品である。

ビル自体が骨董品である。

レトロなアコーディオン扉が懐かしいエレベーター

レトロなアコーディオン扉が懐かしいエレベーター

誰が呼んだか「画廊の街銀座」は、犬も歩けば画廊に当たるっちゅうくらいに画廊がひしめきあっている特異な街なのですが、そのほとんどは画商という、得体の知れれないモンスターが仕切っているので、例えば地方から上京したばかりのお上りさんとか、日本観光の最初の日を銀座に訪ねたビジッターさんたちにとっては、格好の鴨となるおそれが大なのであり、ご注意遊ばせなのである。お上りさんの目をしながら画廊に入ったが最後、「お客様、お目が高いです!」というお褒めの言葉に続いてあらゆる高等画商テクニックの実験台にされること必至である。おいらも同様の経験豊富では有るので身につまされること大なのであり、余計なお節介を述べたものなり。

ところで吾輩が銀ブラしながら時々訪ねるスポットに、銀座1丁目の「奥野ビル」があります。一見して時刻が止まってしまうくらいにレトロなビルであり、一度そこに足を踏み入れたことのある人間にとって、そのゾクゾク感を追体験しようとして、何度も足を運ぶことになること必至なり。馬鹿なミーハーどもが集る、かの「メゾンエルメス」なんてものは女子供に任せておけば良いのであります。

レトロなビルに相応しく、大昔の銀座三越に採用されていた、アコーディオン扉のエレベーターに乗って、画廊散策するのはとてもお薦め体験です。人も住む住居が有るというこのビルの中には、十数件の画廊がひしめき合っていて、ゾクゾクとして画廊の扉を開けたときの快感は、他では味わうこと無いものであったと実感している。それくらい貴重な「奥野ビル」。銀ブラしながらゾクゾク感味わえるスポットが、時代とともに減ってしまった。古きものを簡単にぶっ壊す悪しき風潮に「渇!」なのである。

今日は股々、そんなゾクゾク感を期待して同ビルを訪れたのだが、ただし、特別な出会いや発見はなかったのである。残念!