「小林活夫展 相貌Ⅱ」スタート

おいらの個展「小林活夫展 相貌Ⅱ」が24日にスタートしました。おいらもなかなか会場には居られませんが、近くにお越しの際はご来場ください。

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会期:
2017年3月24日(金)~3月29日(水)
11:00~18:00(最終日は16:00まで)

会場:
ぎゃらりーロア
〒192-0082
東京都八王子市東町12-7 ロアビル2階
(JR線「八王子」駅下車すぐ)

ぎゃらりーロアの「サムホール展」に出展しました

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八王子の「ぎゃらりーロア」で開催されている企画展「サムホール展」に出展しました。昨年末に制作した「アンモナイト」という、F1号(サムホール)のミニサイズの作品を展示しています。近くにお越しの際はお立ち寄りください。

■ぎゃらりーロア
東京都八王子市東町12-7 ロアビル2F
TEL.042-645-8352

サムホール展 第3週
2017年1月20日~25日

 

謹賀新年的「古里の山と湖の風景」

謹賀新年 本年もよろしくお願いいたします

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ということで、今回アップしたのは、昨年末から描き続けてきた「古里の山と湖の風景」という作品です。本年は3月24日から、八王子のぎゃらりーロアにて個展の開催を予定しており、50号という大きめのこの作品も出展する予定であります。

■ぎゃらりーロア
東京都八王子市東町12-7 ロアビル2F
TEL.042-645-8352

■2017年3月24日~3月29日

東京都美術館「ゴッホとゴーギャン展」を鑑賞

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東京都美術館にて「ゴッホとゴーギャン展」が開かれているのをずっと気にしていて、遅ればせながらに展覧会会場に足を運んだのだった。

ゴッホとゴーギャンという、後期印象画の巨匠の企画展であり、両者共にあぶらの乗った、両者がフランス・アルルという共通の制作の場所を有したという歴史的有意義なる時期の、彼らそれぞれの代表的作品の息吹に触れたということによる、想定を上回る収穫を得ることの出来た鑑賞体験であった。

二人の関係性で述べれば所謂師匠的存在であったゴーギャンの理知的画風がファーストインプレッションとも云うべき印象を濃くしていた。だがゴッホはやはり何時も何処でも主役である、主役であったとみえていて、アルルの気高き風景画を数多く残していたことを思い知らされたのであった。

光あふれる明瞭な南フランスの風景を、思いのままに描いたゴッホは、当時のゴーギャンとの共同生活の時期の高揚感とも相俟って、芸術的生涯のピークだったことを実感させられるのである。そしてまた、脇役のゴーギャンの立ち位置としての、アルル時代の作品にも端倪すべからざるものを感じさせるに充分なると云うべき、価値ある展覧会であった。

ぎゃらりーロアの「秋季展」に出展しました

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本年もまた、八王子「ぎゃらりーロア」の「秋季展」に出展しました。連作している獣シリーズの中の「ピンクの豚の通る道」を公開しています。近くにお越しの際はぜひご覧ください。

■ぎゃらりーロア
東京都八王子市東町12-7 ロアビル2F
TEL.042-645-8352

秋季展 第2週
2016年9月23日~28日

夜行性のバタフライ

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主に夜間帯の時間を活動にあてる、ある種類のバタフライの姿をモチーフにして描いた近作。我が国でこの種のバタフライは「蛾」と呼ばれることが多いが、他国海外人においてこの呼び名は一般的でないことから、「夜行性のバタフライ」という表題を付けてみた。昼のバタフライと比較して、視覚的には極めて地味なことから、触覚や嗅覚により強く訴えかける相貌が特徴的である。闇の世界からその存在をアピールするバタフライを、マチエールにこだわって表現した作品です。

キャンバス地にアクリル画 F6号

逃げる街中の野良猫

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キャンバス地にアクリル画 M10号

街中で見かける野良猫たちは、いつでも逃げ回っているかのごとくに行動する。市内の生ごみをあさっていて追いかけられる習性でも纏わり着いてしまっているのかとも思わせる。実際の街中の野良猫たちの行動パターンは至極俊敏であり、人間たちの追跡能力を遥かに凌駕していると云って良い。

バタフライ 青への飛翔

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おいらにとっての久しぶりの「バタフライ」シリーズの新作の一点です。いままさに猛暑の夏にあって、青空に飛び立ち飛翔する蝶々たちのイメージを描いたものです。猛夏の日に描いた蝶々たちの姿に、過去のおいらのもがき苦しみの姿さえ重ね合わせてもいたのでした。

キャンバス地にアクリル画 F10号縦

緑の鬣を誇らしげに横たわる獣

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今回アップする作品は、獣シリーズとして連作中の中の最新のものです。

幼少の頃からおいらの夢の中に現れては語り接していたのが妖怪類だが、近頃ではそれら異界の生物たちは形態を変えて、様々な獣の姿形となって夢に現れている。そんな中で大いに個性的な生物として現れたのが、緑色した鬣を有した獣の姿だったのでした。

おそらくは若きライオンだと想像されるが、そんな獣が先頃おいらの夢の中にて現れたのだった。恐る恐る近づいては何かを話しかけたと記憶するが、その気高き緑の鬣には圧倒されること至極なのであった。

F10号 キャンバスにアクリル画

ぎゃらりーロアの「自画像展」に出展しました

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八王子「ぎゃらりーロア」の「自画像展」という企画展に参加し、最新の自画像1点を出展しました。翻って思い起こせば、おいらが「自画像」というテーマでタブローを描き上げたのは、おそらく20歳を過ぎては今回が初めてのことだったかと思われる。すなわち画学生のときから数十年して「自画像」というテーマの作品制作に向かい合ったというわけである。鏡に向かいて、映る自らの姿と深く対話するという経験も、数十年来無かったかにも思われる。稀有な体験から導かれた作品の展示となってしまった。

■ぎゃらりーロア
東京都八王子市東町12-7 ロアビル2F
TEL.042-645-8352

自画像展 第2週
2016年7月1日~6日

月の在る風景に関する想い出

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おいらの絵画制作のテーマの中でありますが、かなり大きな地位を占めているのが「月」であり、ことに其の月の裏側に対する想いの強さがかなりの比重を占めているのです。思春期のある時期の想い出であるが、おいらは月の裏側を見たいと欲していたのでした。察しの良い人々にはピンと来るだろう。ピンク・フロイドによる名曲「The Dark Side of the Moon」に、或る時期に心底を揺らばされていたことからの、月の裏側への憧憬から発せられた、思春期ならではの想い入れなのであった。ウサギが住むと公言されていた月の裏側には何が存在しているのだろうか? などといった疑問符が沸き、そんなおいらの思春期の疑問符は拡大していったのだったのです。「狂気」とも和訳されたその名曲の存在の背景には何があるのか? といった疑問が、そもそもの出で立ちであり、そのような素朴な疑問がずっとずっと、奥深くに巣食っており、数年前からおいらの制作の主要なテーマの一つとして湧き上がっているのであります。月の裏側を見たいというおいらの願望は、いずれの時期には叶うことになるのでしょうが、今では月の裏側に限らずに、月の表面における憧れを強くしていったのでした。月の表面には何が在るのか? 生命は存在するのか? 宇宙の生物は地球外に在り得るのか? 等々の疑問が、おいらの「月」に関してのテーマに対して、強く反応してきていたのが、おいらが月の裏側や表面に対するテーマ性を強くしていったことのきっかけで在ったのだろうと思うのであります。そんなおいらの近作にも、月が沢山登場しています。旧作品の御紹介とともにご覧下さい。

夏の巨大ナスを味わうには「米ナスの田楽」が最適だ

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アメリカから来た巨大ナスの「ブラックビューティ」を改良した種類が「米ナス」である。そもそもまん丸な恰好のブラックビューティーを、日本で品種改良した代物だ。

日本種のナスに比べて大振りであることに加えて、その味わいはすこぶるジューシーなのであり、夏野菜の瑞々しいエキスを堪能することができる。

そんな夏の巨大ナスを「米ナスの田楽」というメニューにて味わったのだった。

田楽という料理につきものの味噌だれは、ベースの赤味噌に加えて砂糖や酒がアレンジされたものであろう、米ナスの上にナスの身が隠れるくらいに、たっぷりとかかっていたのであり、些か煩くも感じていたが、夏野菜のナスにはピッタリの味わいであった。

味噌と茄子の相性は国境を超えて良好なることを再認識していたのである。

我が国の名匠映画監督、大島渚さんの死を悼む

大島渚監督が逝ったという。享年80歳。肺炎が死因だという報道である。以前から脳梗塞による体調不良がうわさされており、リハビリに励んでいる姿などがよくマスコミ映像でみかけていたものである。肺炎が原因で命を終えるということは以前は考えにくいことであったが、近頃はリハビリ中の高齢者の死因の上位に「肺炎」が並んでいる。十分注意するに越したことはないのであろう。

大島渚監督といえば、「日本の夜と霧」「青春残酷物語」「新宿泥棒日記」等々の作品で注目され、「日本ヌーベルバーグ」の第一人者として日本の映画界をリードしていた名匠である。おいらも高校を卒業後には各地の名画座等にて大島渚監督の映画にのむさぼり観ていたものである。