綺麗な薔薇の棘、人生の棘に関する考察

人間の社会には「綺麗な薔薇には棘がある」などということわざ、格言がある。美しいもの、魅惑的なもの、蠱惑的な存在、等々には、決して近付いたりしてはならないという、所謂ひとつの戒めを示しているのである。だが実際に、現実的に、綺麗な薔薇を見て、それに接していながら、みすみす引き下がってしまっている人間は、まるで人生を引退しているか? あるいは人生の魅惑的な真実に対して全く関心のない不具者であるのか? 等々の憶測を抱かれることは必須である。綺麗な薔薇に対してアプローチすることは、現代に生きる人間にとっても大切なことである。

そんなこんなの思いを胸に抱きつつ、綺麗な薔薇たちを描き続けているのである。

芽吹きの里

 

キャンバスにミクスドメディア F100号

里山の存在感が色濃く聳え立つこの場所から、たくさんのいのちが芽吹いている。物語を紡ぎだすいのたちが生まれていることを、何時も感じる。それは小さな芽吹きなのかもしれないし、或いはもっと大きな成長なのかもしれない。

年間を通し、季節が過酷の冬の時代を過ぎて、芽吹きを始めるのは、春の季節である。春に芽生えを得ていのちの息吹を表現するのはその時間は限られてはいるのだが、現在は、夏から夏の終わりにかけての一時期ではある。此の時期の里山の相貌はといえば、まことに不思議な相貌を呈しているので、僕は一層の興味関心を抱いていたのであります。

野獣たちの咆哮する姿

里山の野獣たちが咆哮する姿をよく思い浮かべる。夢の時間に見ることや現に浮かべることなど、様々なバリエーションが有り、何時もその厳かな声に聞き入るのである。あまつさえ、彼らの咆哮が、森の大地が奏でる音楽と感じることも少なくない。

かたや人間社会の汚らわしい政治家どもは、犬笛を吹き散らし、誹謗中傷、阿鼻叫喚、等々の姿を晒している。人間と野獣たちとの叫びや咆哮には、大きな隔たりがあり、両者の接点は皆無と云ってよいのである。

蝶々たちの神的ダンス

常日頃から、里山に生息する蝶々たちには特別な関心を抱いている僕なのであります。蝶々たちが飛翔して舞う姿形は、この世にあってこの世のものとも思えないくらいに、特別なダンスの舞い也。ダンスするその姿は、決して人間には真似できないほどの高貴なものなのである。

そんな前後不覚の舞いを演じる蝶々たちに魅せられ、彼らの姿を連作している今日この頃です。特に白い羽根を羽ばたかせる白い蝶々は、人間の常識では解説不能の、神領域の舞いであると言ってよいのです。特異な、しかも優雅なる舞いは、追いかけるモチーフに相応しい。ずっとずっと描き続けていきたい。そんな気持ちにさせるのです。

アンフォルメルな精霊たちの肖像

里山に棲む精霊たちは、誰も彼もが個性的な顔立ちをしている。それぞれに好みはあろうが、個人的な好みはさて置き、彼ら彼女らの顔立ちかたちに共通しているのが、アンフォルメル的容貌である。

アンフォルメル的容貌とはすなわち、不定形であり、左右非対称的であり、しかもチャーミングである。しかも彼ら彼女らは、容貌見た目に留まらずに、演技力やサービス精神が旺盛であり、堅苦しくなく柔軟でフレキシビリティに溢れている。等々と、その魅力を数え上げたら切りがないほどなのである。

願わくは、これらの肖像画に接して目にした皆さんが、精霊たちの魅力的な姿、顔かたちを思い、記憶の奥底に留めてくれることを。

豊穣の里

田舎暮らしを始めてからおよそ3年半が過ぎました。思い返せば、あっという間の3年半であったように思います。僕が棲む田舎は、決して観光地化することのない里山でありながら、様々ないのちが生まれ、そして育むという光景を目の当たりにすることの多い、特別な里山であると実感するばかりです。

「豊穣の里」シリーズとして描いている作品はまさに、こんな特別な里の現在を捉えようという思いに依っているのです。

月への階段

憧れの存在である月に向かって昇って行く。一般的にみればよく、この「月への階段」というモチーフに関しては、海面から空の月に昇るイメージで捉えがちではあるが、僕がここに描いたのは其れではなくて、僕たちが棲む里山から月に昇って行く階段のイメージなのです。その違いをまずは理解していただきたい。そして、僕自身が棲む此の土地からの権現的なる厳かな姿かたちを受け取っていただきたいと思うのであります。

妖かしの里

キャンバスにアクリル他ミクスドメディア F100号

僕がこの数年描き続けている「妖かしの里」には巨大な猛禽が棲んでいるのであります。例えば人間の社会には「能ある鷹は爪を隠す」などということわざがあるのですが、作品のモデルとなった此処に棲む鷹(或いは猛禽類の一種)は、爪を隠してはいないのです。

そんな人間世界の下世話で、しかもさもしいことわざなどとは関係なしに、野性味にあふれているのであり、だからこそその勇姿に惹かれるのであろうと思う。

この場所に登場する猛禽類は獲物たちを探っているのではなく、気高い勇者として此処の古里に存在しているのです。

音楽シリーズについて

僕が「交響曲」「ピアノ協奏曲」の音楽シリーズの連作を行なっていたのは、コロナで社会が閉塞していた時期であった。当時は外に出ることが憚れるから、終日家に籠って、クラシック曲を聴いていたのであった。今翻って思い返してみるならば、美術と音楽との融合を求めていたのだと思うのです。美術は美術のみで成り立つことは出来ず、音楽や文学や、その他諸々の人間たちの営みによって成り立っているのだということ、そんなことを再確認していたのでありました。

余談だが、少年の頃は僕もピアノを弾いていたことがあった。特段に好きな曲が有る訳でもなく、チェルニーやらブルグミュラーやらといった所謂教則本の譜面をなぞって弾いていた。あまり面白くなかったことや、母親の干渉が激しかったことなどから、自分の意志でピアノを弾くのを止めていた。翻って当時の自分自身を眺めるならば、それはある種の反抗期、第一次反抗期が作用していたと思われるのである。

夏の裸婦

キャンバス地にミクスドメディア F4号

知人の画家は、裸婦を称して「Pomona」であると、即ち、りんごの木の女神だと述べた。僕もまたその形容に同意していたところであります。旧作ではあるが、この作品を「夏の裸婦」と題してアップしたくなったのです。

夏の調べ

キャンバス地にミクスドメディア F30号

強烈な暑さが里山を覆い尽くす、そんな季節です。こんなときはなかなか里山巡りなど出来ずに、部屋で悶々とした時間を過ごすばかり也。ところで悶々とする時間のなかでも、夏は夏らしい調べが、音楽が、生まれているのを感じ取るこの頃でもあります。「夏の調べ」と題した所以であります。

月の四重奏

木製ボードにミクスドメディア

上弦の月、下弦の月、或いは満月、新月、等々と様々表情を見せつける月とは、とても有能な表現者である。今回は、そんな表現者である月たちによる四重奏を描いてみたのであります。

妖かしの里

キャンバスにアクリル他ミクスドメディア

清涼な湧き水が湧く川辺に、大きな猛禽が舞っている。獲物を見詰める鋭い眼光は、長閑な里に鋭い緊張をもたらしている。妖かしの里と呼ばれる光景は、決して観光地化することなく、長い歴史を示しているのだ。こんなモチーフはなかなか出会えることの無い、稀有な存在である。

静岡市美術館で開催中の「パウル・クレー展」を訪問

静岡市美術館で開催中の「パウル・クレー展」を訪問。クレーの生涯を辿って、しかも代表作品が結集されるという特別な展覧会なので、是非訪れたいと思っていた。クレーといえばゴッホとともに、自分が絵描きになるきっかけとも云える存在であり、特別な思いを抱いての訪問であり、希望をかなえる旅となっていた。

予想していたことではあるが、油画よりも水彩画中心で、それほどの大作は無かったと云って良い。画用紙に水彩画というオーソドックスな素材を操るクレーの筆さばきに魅了されながら、特別な時間を持つことのできた稀有な旅となっていた。

「半夏生の会展」はいよいよあと3日の会期を残すこととなりました

「半夏生の会展」はいよいよあと3日の会期を残すこととなりました。
この展覧会は、東京都八王子市を拠点に活動する画家の有志が集まって行なう展覧会であり、毎年続けているお馴染みの企画展です。お近くにお越しの際は、是非御来廊し御高覧ください。

■第5回 半夏生の会展
期間:6月26日~7月8日 7/2日は休み
場所:ギャラリー芙蓉
八王子市横山町18ー19
TEL 042-623-9013

「半夏生の会展」の搬入・展示を終えたのです

明日26日から始まる「半夏生の会展」の搬入・展示を終えたところであります。東京都八王子市を拠点に活動する画家が集まって行なう展覧会で、毎年続けているお馴染みの企画展です。お近くにお越しの際は、是非御来廊し御高覧ください。

■第5回 半夏生の会展
期間:6月26日~7月8日 7/2日は休み
場所:ギャラリー芙蓉
八王子市横山町18ー19
TEL 042-623-9013

妖かしの里

キャンバスにミクスドメディア F30号

今月26日から始まる「半夏生の会展」に向けて制作を進めているところであります。東京都八王子市を拠点に活動する画家が集まって行なう展覧会で、毎年続けているお馴染みの企画展です。お近くにお越しの際は、是非御来廊し御高覧ください。

■第5回 半夏生の会展
期間:6月26日~7月8日 7/2日は休み
場所:ギャラリー芙蓉
八王子市横山町18ー19
TEL 042-623-9013

幼い天使

キャンバスにミクスドメディア F4号

幼い天使を描きました。まるでこの世の中の汚い部分を清くしてくれるような、そんな存在の天使です。まるで天使の前では、世の中の汚い事象は清くしていただけるかのような、そんな存在感が溢れる天使なのです。

妖かしの里

キャンバスにミクスドメディア F10号

近頃常々おもっていることの第2弾なのですが、美術に必要不可欠な音楽的要素に加えて、物語的要素がまた不可欠なものだと思うのです。日常の見かける光景は、今現在は田園生活的、田舎暮らし的な光景でありますが、そうした日常的なリアルと物語性、そして音楽性がないまぜになった作品世界を描こうと、してている訳なのです。

音楽的要素についての考察

近頃常々おもうのは、美術や絵画は音楽的要素を備えているということです。キャンバスに描く世界は、どれもこれもが音楽的な要素によって統べられているという、そんな事実を、改めて感じ取っている昨今なのです。これらは、音楽と向き合って描いた作品です。